田中優子のレビュー一覧
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ネタバレジェンダーから見た遊郭の問題がある一方で、遊郭は日本文化の集積地だった。遊女の能力や人柄は、和歌や文章や筆など平安時代の文学に関わること、琴や舞など音曲や芸能にかかわること、中世の能や茶の湯や生け花、漢詩、俳諧など武家の教養にかかわること、着物や伽羅や立ち居振る舞いなど生活にかかわることなど、ほとんどが日本文化の真髄に関係している。そしてこれらの、特に和歌や琴や舞などの風流、風雅を好む人を平安時代以来、「色好み」と呼んでいた。「色」には恋愛や性愛の意味もあるが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったもので、その表現としての和歌や琴の音曲を含むものだった。遊女が貴族や大名の娘のように多くの
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某所読書会課題図書:これまで田中優子の本は「布のちから」「江戸とアバター」の2冊を読んでいた.本書は彼女の感性を石牟礼道子に集中して、新たな展開を見せたものと感じた.p21の道子の世界を表した図は対談の中で田中が感じ取ったものを抽象化したものと捉えたが、道子の心をうまく表現したものと思う.道子が一般的な女性解放運動を避けたことに田中は注目していたが、道子の心意気の核心を捉えたものと推測する.死者と生者を区別しないある意味でおおらかな発想も、道子独特の思考方法だと思う.独特の発想や方言の積極的な採用など、独自性が世界的に受け入れられないためにノーベル文学賞の候補にならなかったことは、反対に素晴ら
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ロシアのウクライナ進攻。
中東でも中国、北朝鮮でもなく、東欧の文明国と思っていたロシアが、まさか。
スマホによって、リアルタイムに発信される戦況。被害を受けたウクライナの人々の、生の声と表情は、戦争というものの圧倒的な破壊と惨状を物語っていて、それが今まさに起きているということをダイレクトに伝えている。
戦争とは何なのか、平和とは何なのか、少しでも考える端緒を得たいと思い読みました。
フロイトのエロスとタナトス、ブローデルの地中海、西鶴の日本永代蔵、ヴォルテールの寛容論。時代も場所もそれぞれ異なる著作から、平和とは何なのかを考えるためのヒントを興味深く与えてくれる。
死の欲動によって避けがたく -
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田中優子
芸者文化を 芸を以って もてなす 日本文化 として 論述した本。芸者文化の衰退を 日本文化の豊かさの喪失と捉えた。日本文化が失った豊かさとは 「いき」「のんびり」といった 洗練した社交性、マナー、かたち とした点が面白い。
「文化の豊かさに 金銭は不可欠だが、失った文化の豊かさは 金銭で買えない」
のんびり とは
*日常的な付き合い(社交)→何事も起きない関係
*社交が成立するには マナーがある→マナーがモラルに優先する
いき とは
*所詮 遊びは遊び〜嘘は嘘と見抜かなければならない〜しかし、そのことが相手にわかっては芸がない
*芸者や太鼓持ちは 客を遊ばせるのが商売〜客 -
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ネタバレ読書途中。20人の講師による。一人90分の講演会の収録である。一気に読めるはずもなく、じわじわと読んだ。
姜尚中の講演のなかで、夏目漱石が奥さんをなぐっていたエピソードがあった。ノイローゼであったらしい。私は夏目漱石になれないけど、夏目漱石よりましだなと少し思った。考えかたとしてまちがっているのかな?どんな偉い人もほんとうにいろいろな苦しみにもがいていきているのだと思い直した。
20名全て役に立つわけでないが、中には、気に入る人もいるかもしれないとのことだろうか?3.11後の話など考えさせられたり。光触媒の話は興味を覚えた。文学、美術に関心を持った。宇宙論や素粒子の話は、わからないので、もうい -
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知っているようで知らないコピペの知識と
体験を咀嚼して全体観とつなげた意識まで
育て上げた熟した知識の違い
まず二人が始めたのは
江戸流の時間と暦を日々の暮らしに持ち込むこと
そのために太陽と地球の関係から機械時計を作る
当時は日の直前を《明六つ》と言い
五つ・四つ・九つの正午となり
そこから八つ・七つ・と進み
日の入の直前を《暮六つ》言う
この先は夜の部となり
五・四・九・八・七となって明六つになる
昼間の短い冬の一刻は三分の二となる
夜の部の一刻はその分長くなる
暦は自然界から遊離した太陽暦でも
太陰暦でもあく
陰陽二本立ての複雑なもので
暮らしのリズムに合わせられている
特に漁業や農業に -
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春画のからくりというタイトル通り、春画の見所、解説、解釈、変遷が見事にまとまっています。
なるほど、そういう解釈をして楽しむ(エッチな気分になる、という意味ではなく、単純に笑う)ものなのかと、春画の奥深さを感じます。
春画は笑いの種として親しまれていたようですが、いや多人数で見るのも恥ずかしいし、しかもそれを笑いに変えるとなると、僕にはなかなか理解できません。それだけ性に奔放だったのでしょう。
死が日常であった時代だからこそ、生=性も日常的なものとしてあったのかもしれません。
大学時代の卒業旅行で秘宝館に行きまして(笑)そこにはもちろん春画があったのですが、本書のような解釈が添えてあったら、