田中優子のレビュー一覧
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<目次>
第1章 戦争が準備されていた
第2章 二つの戦争
第3章 占領日本が失ったもの
第4章 生いたちのなかの昭和
第5章 本を通して昭和を読む
第6章 昭和に欠かせない見解
<内容>
まずは松岡正剛さんを追悼…。稀代の本読みでした…。この本はなくなる直前に校了したそうで、遺作となります。
さて、元法大総長の田中優子さんとの対談集の三作目。『日本問答』『江戸問答』に続く。お二人も昭和の半分を生きてきた人。リアルタイムを本を通して追想しながら、昭和を深掘りしていきます。そこには多くの示唆が。勝ち目のないアジア太平洋戦争に突っ込んでいったこと。高度成長期の学生運動。戦後日本に本当の独立がされていないこと…。後半の読書体験とその分析は深いと思います。 -
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<目次>
第1章 何人もの蔦屋重三郎
第2章 世界が彩られた~蔦屋重三郎の生まれ育った環境
第3章 吉原を編集する
第4章 洒落本を編集する
第5章 なぜ蔦屋重三郎は処罰されたのか?
第6章 狂歌師たちを編集する
第7章 浮世絵を編集する
第8章 芝居と役者を編集する
第9章 天明の大飢饉が江戸を変えた
第10章 編集ということ
<内容>
著者は、来年の大河ドラマの主人公が蔦屋重三郎であることを利用して、江戸時代の文化、特に出版に関連する諸分野を書きたかったのだろう。山東京伝、大田南畝、喜多川歌麿、東洲斎写楽…。さらに吉原や狂歌、浮世絵から絵巻物…と縦横無尽に語り尽くしていく。最後に亡くなった松岡正剛を語ってこの本は終わる。 -
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ネタバレジェンダーから見た遊郭の問題がある一方で、遊郭は日本文化の集積地だった。遊女の能力や人柄は、和歌や文章や筆など平安時代の文学に関わること、琴や舞など音曲や芸能にかかわること、中世の能や茶の湯や生け花、漢詩、俳諧など武家の教養にかかわること、着物や伽羅や立ち居振る舞いなど生活にかかわることなど、ほとんどが日本文化の真髄に関係している。そしてこれらの、特に和歌や琴や舞などの風流、風雅を好む人を平安時代以来、「色好み」と呼んでいた。「色」には恋愛や性愛の意味もあるが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったもので、その表現としての和歌や琴の音曲を含むものだった。遊女が貴族や大名の娘のように多くの教養を積んでいったのは、日本文化の核心である色好みの体現者となり、豪商や裕福な商人、大名、高位の武士たちと教養の共有、つまり色好みの共有を果たすことを求められていたから。これらの伝統的文化に遊ぶことこそが、彼らにとっての「遊び」だった。好色とは、高度に洗練された音楽や絵画や文章、衣食住を楽しむことであり、性関係を含む男女関係は、それらのひとつと考えられていた。つまり「文化」。文化は、欲望に人間的で伝統的なかたちを与えたものである。単なる欲望を精神的、社会的な喜びに変えることである。遊郭は、性を中心にそのような総合的な文化創り上げた場所である。食欲が料理と演出によって真に贅沢で裕福な時間に生まれ変わるように、性欲や愛欲も、贅沢で夢のような経験に生まれ変わり得る。そのためには努力が必要で、色道とは、その努力の方法を示すもの。遊郭は性のみで成り立つことはできず、そこに恋の文化、もてなしの文化が成立した。遊郭は、日本の芸能史の観点とジェンダーの観点から語り継ぐべきだ。
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某所読書会課題図書:これまで田中優子の本は「布のちから」「江戸とアバター」の2冊を読んでいた.本書は彼女の感性を石牟礼道子に集中して、新たな展開を見せたものと感じた.p21の道子の世界を表した図は対談の中で田中が感じ取ったものを抽象化したものと捉えたが、道子の心をうまく表現したものと思う.道子が一般的な女性解放運動を避けたことに田中は注目していたが、道子の心意気の核心を捉えたものと推測する.死者と生者を区別しないある意味でおおらかな発想も、道子独特の思考方法だと思う.独特の発想や方言の積極的な採用など、独自性が世界的に受け入れられないためにノーベル文学賞の候補にならなかったことは、反対に素晴らしい特異性を認められたと評価できる.
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ロシアのウクライナ進攻。
中東でも中国、北朝鮮でもなく、東欧の文明国と思っていたロシアが、まさか。
スマホによって、リアルタイムに発信される戦況。被害を受けたウクライナの人々の、生の声と表情は、戦争というものの圧倒的な破壊と惨状を物語っていて、それが今まさに起きているということをダイレクトに伝えている。
戦争とは何なのか、平和とは何なのか、少しでも考える端緒を得たいと思い読みました。
フロイトのエロスとタナトス、ブローデルの地中海、西鶴の日本永代蔵、ヴォルテールの寛容論。時代も場所もそれぞれ異なる著作から、平和とは何なのかを考えるためのヒントを興味深く与えてくれる。
死の欲動によって避けがたく攻撃性を孕んでいる人間は、経済的格差や宗教上の信仰の相違などから、他者を攻撃する。
生の欲動は、それとは反対に、他者を理解しようとし、継続的な対話に努める。人に対してだけでなく、物に対しても持続可能なあり方を体現していた江戸時代の知恵や、多くの人たちと分かち合うことのできる文化、芸術。
他者に対して寛容であることを志向すること。
それらを祈り、考え続けること。 -
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田中優子
芸者文化を 芸を以って もてなす 日本文化 として 論述した本。芸者文化の衰退を 日本文化の豊かさの喪失と捉えた。日本文化が失った豊かさとは 「いき」「のんびり」といった 洗練した社交性、マナー、かたち とした点が面白い。
「文化の豊かさに 金銭は不可欠だが、失った文化の豊かさは 金銭で買えない」
のんびり とは
*日常的な付き合い(社交)→何事も起きない関係
*社交が成立するには マナーがある→マナーがモラルに優先する
いき とは
*所詮 遊びは遊び〜嘘は嘘と見抜かなければならない〜しかし、そのことが相手にわかっては芸がない
*芸者や太鼓持ちは 客を遊ばせるのが商売〜客は 彼らを遊ばせるかが腕の見せ所〜その勘所を押さえるのが 粋人
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ネタバレ読書途中。20人の講師による。一人90分の講演会の収録である。一気に読めるはずもなく、じわじわと読んだ。
姜尚中の講演のなかで、夏目漱石が奥さんをなぐっていたエピソードがあった。ノイローゼであったらしい。私は夏目漱石になれないけど、夏目漱石よりましだなと少し思った。考えかたとしてまちがっているのかな?どんな偉い人もほんとうにいろいろな苦しみにもがいていきているのだと思い直した。
20名全て役に立つわけでないが、中には、気に入る人もいるかもしれないとのことだろうか?3.11後の話など考えさせられたり。光触媒の話は興味を覚えた。文学、美術に関心を持った。宇宙論や素粒子の話は、わからないので、もういいとの気持ちであった。こんな講演会を聞けるのは、エリートの家の子供だからいいなとひがみたくなるが、本として出版されているので、誰でも接する機会があるのだと思い直す。マスターキートンにあった、「勉強はどこでもできる。便所でも」を思い出す。 -
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知っているようで知らないコピペの知識と
体験を咀嚼して全体観とつなげた意識まで
育て上げた熟した知識の違い
まず二人が始めたのは
江戸流の時間と暦を日々の暮らしに持ち込むこと
そのために太陽と地球の関係から機械時計を作る
当時は日の直前を《明六つ》と言い
五つ・四つ・九つの正午となり
そこから八つ・七つ・と進み
日の入の直前を《暮六つ》言う
この先は夜の部となり
五・四・九・八・七となって明六つになる
昼間の短い冬の一刻は三分の二となる
夜の部の一刻はその分長くなる
暦は自然界から遊離した太陽暦でも
太陰暦でもあく
陰陽二本立ての複雑なもので
暮らしのリズムに合わせられている
特に漁業や農業に適していた
その理由は太陰暦を取り入れることで
月齢と日付がほぼ一致していることと
1日は新月で暗いし
右半分が欠けている間は月の前半である
コレに対して太陽暦のグレゴリオ暦は
自然のサイクルと繋がることもない
その代わり都会的な人工の暮らしの範疇では
部分的合理性を発揮して簡便なシステムとなる
人工的に囲われた世界では
過不足なく存在するエレルギーを排除することで
自律と調和で満たされた個々の心を
欲望と価値観と妬みに入れ替えてると共に
人工的エネルギーを量産することで余りを出し
その權利を所有するために
競争原理という縄張り環境を作り
そこに群れる人々を閉じ込めて依存関係で繋ぎ直し
搾取と支配をしやすくする短期的な損得勘定を編み出した
これは過去をベースにして未来を取引をし
その負債を自分の孫達である未来人に置きみあげとする
一方的なネコババである -
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春画のからくりというタイトル通り、春画の見所、解説、解釈、変遷が見事にまとまっています。
なるほど、そういう解釈をして楽しむ(エッチな気分になる、という意味ではなく、単純に笑う)ものなのかと、春画の奥深さを感じます。
春画は笑いの種として親しまれていたようですが、いや多人数で見るのも恥ずかしいし、しかもそれを笑いに変えるとなると、僕にはなかなか理解できません。それだけ性に奔放だったのでしょう。
死が日常であった時代だからこそ、生=性も日常的なものとしてあったのかもしれません。
大学時代の卒業旅行で秘宝館に行きまして(笑)そこにはもちろん春画があったのですが、本書のような解釈が添えてあったら、もっと違った視点から見れたのに……と残念でなりません。絵師の意図を汲み取る鑑賞者の教養を求められます。表現者と鑑賞者、送り手と受け手のルールが存在し、故に門外漢などが見るとその魅力が半減し、大衆受けの不毛な作品に成り下がってしまいます。これは春画に限らないことですが、送り手と受け手のギャップによって、本来評価されるべき作品も評価されなかったり、また逆のことも言えます。それで言えば、春画は評価されて(単なるポルノ作品として扱われなくて)良かったです。
ふと思ったのですが、じゃあ現代のポルノ作品で、後世にまで受け継がれそうな『芸術性の高い』ポルノ作品はあるのでしょうか?
『見える・見えない』や『隠す・隠さない』によるエロティシズムとは鑑賞者に想像力を働かせる余地を残しているため、そこに更なるエロスを感じることができる。確かにそうですね。『脱げばいいってもんじゃない もっと色気出して』と言われたら、隠す表現がどうしても重要になってきます。
なかなかに面白かったのですが、挿絵がカラーだったらもっと良かったのに……と思わずにはいられません。
僕の評価はAにします。