佐藤亮一のレビュー一覧
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ネタバレ頭の整理
1939年9月1日
ドイツがポーランドに侵攻
1939年9月3日
英仏がドイツに宣戦布告
→ドイツは東部戦線に戦力を集中し、英仏との戦闘はほぼなし
→まやかし戦争、奇妙な戦争と呼ばれる
1940年4月9日
イギリスはノルウェーに先制攻撃
チャーチルの発案だったが、ドイツ軍を前に大敗を喫した。
1940年5月10日
ドイツはフランスに侵攻。
マジノ線を突破し、戦車部隊により破竹の勢いで侵略。
イギリスではチェンバレンが退陣し、チャーチル首相のもと挙国一致内閣が成立。
1940年5月24日〜6月4日
ダンケルクの戦い
フランス駐留のイギリス軍を始め同盟国側軍隊、40万人の撤収戦(ダイナモ作戦)
1940年6月10日
イタリアが英仏に宣戦布告
1940年6月14日
パリ陥落
1940年6月16日
抗戦派のレイノー首相が退陣。
休戦派のペタン元帥が組閣。
1940年6月17日
抗戦派のド・ゴールがイギリスに亡命。
1940年6月21日
フランスが独伊に休戦申入れ
同22日、独仏休戦協定が締結されペタン元帥を首相とするヴィシー政権が成立。
親ナチのラヴァルが副首相に。やがて1942年には首相に。
1940年7月10日〜10月31日
バトルオブブリテン
7/10〜8/18 ドーヴァー海峡
8/24〜9/27 ロンドン空襲
10月 ロンドン及び各地の軍需工場無差別爆撃
その後もロンドンへの空襲は続く
年末の12月29日がそれまでで最大級の空襲。
機雷に加え、大量の焼夷弾により猛火となった。
1940年9月15日
ドイツのとど作戦(イギリス上陸作戦)の当初のDデー(決行日)
→ドーヴァー海峡の制空権、制海権を確保出来ず、逐次延期。9/17には無期限延期に。
1940年7月〜1941年7月
大西洋の戦い。ドイツのUボートにより、植民地や同盟国からイギリスへの輸送船が次々と撃沈。イギリスはカナダ、アメリカ、ニューファンドランドの協力を得て、なんとか制海権の確保を行った。
1940年11月5日
米大統領選→ルーズベルト異例の3選
1940年12月16日
ルーズベルトがイギリスへの武器貸与を声明
→1941年3月レンドリース法(武器貸与法)成立
1941年3月20日
ユーゴスラビア政府はドイツと協定
→しかし、3月28日、革命により政府は打倒され、対ドイツ政府が成立
→ヒトラーは激怒。隠密裏に進めていた、対ソ戦計画(バルバロッサ作戦。1940年12月18日に指令され極秘で準備)のDデーを5月から6月に延期し、ユーゴスラビアへ侵攻。
→4月17日、ユーゴスラビア降伏
→その勢いでギリシャにも侵攻し、4月24日、ギリシャも降伏
1941年5月
ドイツはイギリスの地中海の拠点、クレタ島にパラシュート部隊による猛攻。
→6/1までにイギリス軍はクレタ島から撤退
→6/21、クレタ島の戦い、北アフリカ戦線でのロンメルとの戦い、アラブにおける戦いでの意見相違、敗戦により中東軍司令官ウェーガン将軍が更迭された。
1941年6月22日
ドイツ(リッベントロープ外相)がソ連に宣戦布告。
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P17 挙国連立
「もし現在が過去を裁判するなら未来が失われるだろう」
P20 権力について
第1の地位と、第2、第3、第4の地位は全く違う。
P23 公務は文書で
私が下す指示は全て文書になっているか、あるいは直後に文書で確認されるべきものである
P25 国防相の地位
省の新設は考えなかった。そのためには立法が必要で、実際には個人的好意でほぼ全て解決されていることを一つずつ憲法いじりしないといけない面倒さ
P26 国防相の閣僚
秘密問題に接し、関係の深い閣僚の人事異動は事務の連続的、能率的な処理に有害である。
第2章 フランスの戦い
P33
しかし、ドイツ軍は攻撃の時期、方向、戦力を自由に選択出来る立場にあった。
→先制、主導の重要性
P35
5月9日から10日にかけての夜、ドイツ軍はフランスに奇襲
P55,56,70
ウェーガン計画に対しイギリスの遠征軍総司令官ゴート卿は海からの撤退を決断。
その時点でフランス軍への撤退命令はなし。
そうした中で、イギリス軍を当然最優先にしつつも、フランス軍もイギリスに救出した。
→P79 戦火の中、チャーチル自らがフランスに出向き同盟国としての仁義を切る。
P78
撤退戦における最後の迎え方。
アメリカ軍のコレヒドールでのマッカーサー撤退に繋がったと言われる。
P123
多くのことが不確かだったときだけに、主導権を回復することがなによりも大事であった。
→イズメー将軍への手紙
P126
戦車上陸用船やマルベリー港(浮かせて運ぶ人造港)の開発
P239
イギリスは膨大な量の武器をアメリカに発注。
しかし、ドルの外貨準備と、その代わりとなる金の保有は底をついており、今後の武器支払いが不可能になることは明白だった。
そうした状況のもと、再選を果たしたルーズベルト大統領は「Lend-Lease」(武器貸与)という形をとることを決めた。これは古い法律の一部に根拠があったが、イギリスが発注した武器をアメリカが買い取り、リースすることを議会で説明し、理解を得る必要があった。
P335
クレタ島の制海権維持
カニンガム提督「海軍が新艦を建造するには三年を要する。新しい伝統を作るには三百年を要するだろう。撤収(すなわち救出)は続けられるだろう。」
P346
中東作戦における現地のウェーガン将軍と本土のチャーチルほか三軍参謀らとの意見の相違と結果。
「できる以上のことはやらぬとか、やるからには確実にものにできることをやるということは、常によくいわれることである。しかしこの原則は、人生や戦争における他の原則同様に、例外を持っているのだ。」 -
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第二次世界大戦において大きな役割を果たした英国首相ウィンストン・チャーチルが後年当時の情勢を振り返って書いた伝記。第1巻は開戦前からチャーチルが首相の任に着くまでが記されている。
あくまでチャーチルの主観で書かれているものであるものの、第二次世界大戦が起こる経緯が、関係する諸国の政治家との交流の記録とともに説明されている。なぜ開戦にまで至ってしまったのか。防ぐ道はなかったのか。何が失敗だったのか。あとからなら何とでもいえる、と思うかもしれない。しかし、政治家の判断、国民の世論、他国に対する交渉と妥協点、防衛力と平和希求の関係性と様々な視野から語り出されており、当時の感覚を論拠としている以上、疑いなく重要な見解ではなかろうか。
軍縮や圧力をかけすぎない方向性の、開戦前のイギリスの国民の世論と、ネヴィル・チェンバレンの平和の求め方が、どこか日本的であると感じるのは私だけだろうか。現代は当時とは事情が違えど、安全保障問題を考えるうえで、最も現代に近い時代の大戦について知っておくことは不可欠なのではないか、と思わされる一冊であった。
チャーチルの文章は軽快なので比較的読みやすいものの、地名・人名がピンと来ない部分や、非常に詳細に記している点でやや読みにくい部分もある。第二次世界大戦前後の状況について、他書で概要を先に確認しておいた方が良いかもしれない。 -
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第二次世界大戦を連合国の勝利に導いた、イギリスの首相、ウィンストン・S・チヤーチルの回顧録である。
第一刊から第四刊まで読んでみて、改めて、チャーチルの指導者としての、国際情勢の先をみる鋭さには驚かさせられる。世界の指導者でこの時代以後も、これほど世界情勢を的確に見れる人はいない。第一刊の序文で、チャーチルは第一次世界大戦の戦禍を免れて、世界に残されたものを破壊尽くしたこんどの戦争ほど、防止することが容易だった戦争はかってなかったと述べている。1936年のドイツのラインラント再占領までに対して、英、仏が断固たる意志と行動を示せば、あるいは、この戦争は防げたかもしれない。また1939年でも、スタリーンのソビエトを英、仏側に引き止めることができれば、戦争の局面は変わっていたであろう。彼は戦争末期、ドイツが降伏した後、ソ連との東西冷戦が始まることを予見していたが、米国が太平洋での対日戦の集結を残していたのと、余命わずかのルーズベルト大統領の体調も相俟って、米国に戦後の冷戦が、始まりつつあることを認識させることはできなかった。第四刊のエピローグで1946年の秋、ジュネーブで、欧州の平和には仏独両国のパートナーシップが重要であると、今のEUの設立の趣旨と、同じ考えを述べている。戦争の指揮官としては、作戦の失敗はあったかもしれないが、国際問題に対する、卓越した認識、国民を指導者として導く不屈の闘志、ユーモアのセンス、英国は、危機にあったとき、最高のリーダーを輩出したと言える。、今の日本の必要な指導者は、チャーチルのような、国際情勢に対する深い洞察力と、強靭な意志力持った人が必要であろう。 -
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・佐藤亮一「日本の方言」(角 川文庫)を読んだ。この佐藤氏、私は知らなかつたのだが、例の方言地図の編者の一 人であり、個人的には「日本方言大辞典」の編者の一人であるといふ点でなじみ深い人であつた。なじみ深いと言つたところで、必要があつて稀に見るといふ程度でしかない。それでありながら、いや、それだからこそであらう、編者の一人にこの佐藤氏がゐることに気づいてゐなかつた。そんな人が書いたのだから、本書は本文200頁ちよつとといふ軽い体裁でありながらも、しつかりした内容の 書である。
・序には「方言とは何か」といふ副題がついてゐる。その方言とは、「それぞれの地域の人々が話している言語である。」(9頁)ところが「現代では老いも若きも方言と共通語を使い分けて生活してゐる。」(同前)ここで共通語の定義が出てくる。「共通語とは、 地域を越えて広く使われる言語または方言のこと」(同前)とある。最後の「方言のこと」とあるのが意外であつたのは、要するに私が共通語を知らなかつたといふだけのこと、「現代では首都圏方言が共通語として機能しているとも言える。」のださうである。首都 圏方言などと一括りにする必要があるのかどうか。東京方言と言つてしまつても良ささうな気がするのだが、やはり東京方言では印象が限定されてしまふのであらうか。「昔は山の手と下町でかなりの違いがあった。」(同前)しかし、今はほとんど同じになつてゐるらしい。それでも落語等で聞く東京方言は、つまり所謂下町の方言である、私には共通語とは思へない。あれは結局東京方言であつ て、それ以外の何物でもない。それでも方言学の世界では、「首都圏方言が共通語として機能している」といふことになるらしい。ただし、これも微妙は言ひ方で、この後に「とも言える。」とつく。とも言へるといふことは、別に共通語になり得るものがあるといふことであらう。もしかしたらそれが標準語であらうかと思ふ。私はこの2つをたぶん混同してゐる。「共通語と標準語は同じ意味で使われることもあるが、厳密には区別すべき概念である。共通語は(スピーチをするときのような)あらたまった場面や、よその地方の人との会話などで現実に使われている話しことばである。」(10頁)かうなるとますます共通語が東京方言かと思ふ。少なくとも私は東京方言は普通の方言の一つだと思つてゐる。「標準語は、人々が規範として正しいと認識していることば(言語形式)であり、書 きことば的な性格が強い。」(同前)からである。要するに、テレビやラジオのニュースの言葉が標準語なのである。たぶん私は、東京方言は東京方言であるからといふ理由で、共通語=標準語と理解してゐるのである。ここで言ふ首都圏方言がいかなる方言であるの か、この説明がない。東京方言だけでなく、近隣の、神奈川、千葉、埼玉等の(東京に近い)方言もまたここに含まれてゐるのであら うか。首都圏とは「首都圏整備法の定める区域。東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県・茨城県・栃木県・群馬県・山梨県の全域で、東 京駅を中心に半径約150キロの区域とされる。」(デジタル大辞泉)これだけの広い地域で共通に使はれてゐる言葉があるのであらうか。それが首都圏方言なのであらうか。これが分からないと、私はいつまでも共通語=標準語と理解するしかなささうである。丁寧に話さうとすれば、誰でも話し言葉は書き言葉に近づいていく。方言を使ふ時、つまり日常的には丁寧に話してはゐないやうな気がする。本書がしつかりした内容であつても、かういふのが学問的でありすぎる、説明不足であると私は感じる。首都圏方言とは何か教え給へ。 -
Posted by ブクログ
第三巻では、チャーチルとソ連のスターリン、モロトフとの交渉と駆け引きに興味を惹かれました。当初、ドイツと協力関係にあったソ連ですが、ヒトラーが対ソ戦を開始したことにより熾烈な戦いへと引きずり込まれます。ソ連は、英国との共闘へ転回していていく中で、の英ソ交渉は水面下での駆け引きが多々あったことを感じさせる緊張感のあるものとしてチャーチルは述懐しています。
また日本の真珠湾攻撃により米国の参戦が決定的になったときのチャーチルの大きな安堵には、日本人として複雑な気持ちを抱きました。またミッドウェー海戦以降の旧日本軍の敗退については、情報戦で劣後したことや作戦に固執するあまりそれがうまくいかない場合にすぐ目的を放棄してしまう傾向も指摘されています。
対独戦については、まず北アフリカのドイツを責めることにより地中海での主導権を握ることによるメリットをチャーチルがスターリンに説明し理解を得る件が描かれています。この時、チャーチルはモスクワにいるのですが、スターリン、モロトフの歓待を受けて痛飲するときの様子が活写されています。
ドゴールについては、傲慢な態度に腹が立った、英国の友人ではない、と手厳しく記述していますが、一方クレマンソーとともに、押さえきれないフランス人である、との印象を持ったともいい、フランスに対する崇高な思いを体現するする人物として敬意を表しています。一方、ルーズベルトとは盟友ともいうべき仲を育んでいくのですが、マラケッシュを一緒にドライブした逸話など、アメリカに対するチャーチルの親しみは彼の母がアメリカ人であったことによると後に本人も語っています。
大戦当時の各国の巨頭たちとの交流や絆についてのこうした記述に、チャーチルの正直な感想が述べられており、彼の率直な性格がよく分かりました。 -
Posted by ブクログ
第2巻では、ついにドイツがフランスへの進行を開始。映画にもなったダンケルクでの救出作戦(ダイナモ)には、個人の所有する小型艇も多数参加し33万人以上の兵士を英国に救出したそうです。
フランスがドイツに降伏し、ペタンを首班とするヴィシー政権に移行しますが、ドゴールがフランスの未来を背負う人物として登場します。「平然とした振舞いのなかに、苦痛を耐え忍ぶ並々ならぬ資質がうかがわれた」とチャーチルによって評されています。ドゴールの評伝を読んだ際に、彼がチャーチルの英国やルーズベルトの米国に対して不信感を抱いていた様子が書かれていたのを思い出しましたが、チャーチルの言を借りれば、対独協力政権となったヴィシー政権に対しても関係の改善を促し続ける必要もあったことにより、英国は二心を持っている、との印象を自由フランスに与え、それを代表するドゴールとしては、英国の傀儡でないことを示すために強めの態度をとる必要に迫られたため、と説明されています。
1940年の夏のこの頃は、英国は西欧諸国にあって独伊に対峙する唯一の国だったようです。事実、この後にドイツによる激しい空爆に曝され、海上ではUボートに攻撃されながらも、バルカン、北アフリカ、中東にも戦線が拡大していく中での英国は正に孤軍奮闘の様相を呈しています。
敵将ながらチャーチルはロンメル将軍を高く評しています。1944年のヒトラー暗殺計画に連座して落命しますが、「素晴らしい戦争の賭博士」と評されています。
本書では、チャーチルが霊感によって使用人を空爆による爆風から守ったエピソードも紹介されています。絵を描いたり、闘い続けることに対するスピリチュアルな演説といい、チャーチルには神通力のようなものが備わっていたのかもしれません。 -
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第二次世界大戦を英国首相として闘ったチャーチル。時局を的確に把握する眼力に秀でていたのでしょうか。第一次世界大戦敗戦後に課せられた過酷な賠償により疲弊したドイツから勃興するナチス主義、ヒットラーの本質を早くから見抜いていたことが、第一巻に記されています。ドイツに対する宥和政策の気分が高まっていた英国にあって、時局に対する危惧を正しく主張していたチャーチルの勇気と気力には感心させられました。
ドイツがヒトラーのもと軍備を拡大する中、対抗する欧州の大国たる英仏が何ら実効性のある対策を講じなかった結果として、チェコスロバキア、ポーランド、北欧諸国が次々と攻略されてしまったことに、事態を傍観して相手を利する結果となることの危険性が良く描かれています。
本書では、英国首相チェンバレンや、スターリンの懐刀であったモロトフなどの人物像も詳しく触れられています。チャーチル自身については、時局の急転下であっても絵を描きに旅行に出かけたりと、精神の余裕を感じさせる一面を知ることができました。首相として戦時内閣を組閣後は、昼寝をして深夜までの激務に耐えていたといい、長寿であった彼の健康法を垣間見た気がしました。 -
Posted by ブクログ
P56
1941年12月7日 真珠湾攻撃 日米開戦
P62
1941年12月10日
戦艦プリンスオブウェールズ、巡洋戦艦レパルス撃沈
「すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。」
P82
1941年12月22日〜1942年1月14日
第一回ワシントン会談(ARCADIA)
「合同三軍参謀首脳委員会」を設立
帰路は急遽飛行艇で。
P93
戦争内閣の指導者のリアルな孤独。
P120
1942年3月28日 サン・ナゼール強襲
ドイツ占領下のフランス大西洋岸、ロワール川河口の重要なドックを破壊
P294
カサブランカ会談
ド・ゴールの態度
P311
モル・フランダース -
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長かった。 (−_−;)
途中で何度やめようと思ったことか。
ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。
ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。
チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
こまかすぎます。
加えて日本語訳も分かりづらい。
ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。
でも読んで良かった。
本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。
アメリカって、太平洋だけでなく
ヨーロッパでも戦ってたんだね~。
ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。
本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。 -
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長かった。 (−_−;)
途中で何度やめようと思ったことか。
ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。
ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。
チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
こまかすぎます。
加えて日本語訳も分かりづらい。
ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。
でも読んで良かった。
本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。
アメリカって、太平洋だけでなく
ヨーロッパでも戦ってたんだね~。
ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。
本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。 -
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長かった。 (−_−;)
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ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。
チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
こまかすぎます。
加えて日本語訳も分かりづらい。
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長かった。 (−_−;)
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ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
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チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
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本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。
アメリカって、太平洋だけでなく
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ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。
本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。 -
Posted by ブクログ
単に名前を知らない人たちが多く出てくるので判りづらいのか、他の人が言うように訳が悪いのか…。
基本的にスラスラ読んで頭に入る感じじゃないです。
学問として読むわけではないので、あまり細かい点を気にせず、とりあえず大きな流れだけを読むようにしたら面白かったです。
戦争アレルギーというか「ありえない!」って拒否反応は万国共通なんですね。それでも起こってしまう時はあるのだから、現実に即して対応をすべきことを教えてくれます。
理念だけじゃ物事解決しない…。チャーチルのブレないリアリストさは含蓄があります。
一部引用しましたが、他にも良い言葉があったので、再読したら載せたいです。