梅木達郎のレビュー一覧
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ネタバレ『存在/しないあなた、と私』でサルトルが引用されていたので、とりあえず哲学のエッセンスシリーズを読んだり。
ウィトゲンシュタインの時には感じなかったけど、文量が少ないからといって難しくないわけじゃないな…。端的な分、むしろ難しくなっている気も…。
西洋哲学はどこか「(キリスト教的な)神」が思考のベースにあることが多く、そういう意味ではサルトルも例外じゃないんだよなぁ。サルトルが言う「理由もなく存在する不条理」もそりゃそうだろとしか言えないし。
ただ、サルトルの面白いところはそこからスタートして、「存在」を肯定するに至るってところだけど。
<私>から見たあらゆる存在は(「神」から意味付けされ -
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ネタバレコアになる以外の人物については、そこを踏破した先人のルートをまず倣いたいというのが、自分の考えである。
道がどうできているか、何でできているか。そうした問いを全ての道へ向けることができれば文句はないが、それには時間が限られている。
だから、そうしたものをいちいち解体するのではなく、道を歩くガイドの言葉で語ってくれる書籍に、自分は特に強い信頼と安心をおぼえる。
そうした意味で、故梅木氏のこのルート取りは、サルトルという道を味わううえで格好のガイドであった。何より梅木氏自身も道だった。
直接性をめぐって苦闘するサルトルと、彼をめぐって苦闘してきた氏。
二つの道の味わい深さは、100ページあまりの -
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著者のあとがきが感慨深い。いわくD1の時にサルトルが読めなくなったと。サルトル自身もフッサールについてそうした「汲み尽くし」があったと。その後の本書であっただけに、文章は流れるようでいながら、新たな驚き(可能性)と限界がちりばめられ、熱があります。
・サルトル的人間は、ひとりひとりが光を発し、世界を照射する光源のようなものです。その光は、それが及ぶ範囲で、真実を暴露し、絶対的な確実性を、つまり明証をもたらしてくれます。ただ、この光が強ければ強いほど、そのまわりの暗がりは深く、闇は濃くなっていくものです。P97※わたしという実存と世界や歴史との関係の深刻さ。 -
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事物それ自体は無時間性の中にある。
世界に時間が到来するのは、自分の過去や未来を内的な関係として「生きて」いる意識があるから。
他者を前にして「恥」を経験することにより、「対他存在」には他者の主観が前提として含まれており、この私の意識の事実はあらゆる独我論を反駁する、他者の存在論的証明となる。
「他者との直接的関係をもつことを諦めること。
他人との真の関係はけっして直接的ではない。すなわち作品を媒介とした関係。私の自由は相互承認を含んでいる。しかし、ひとは自己を与えることによって自己を失う。気前の良さ。愛。わたしの対自と私の対他の新たな関係。」(倫理学ノート/遺稿)
自由な創造である文学 -
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世界への直接性を追い求めたサルトルの思想において、他者論および倫理学が大きく立ちはだかる課題だったことをていねいに解説しています。
サルトルが倫理学を構築する意志をいだいていたことは、彼の生前にすでによく知られていました。しかし、フッサールの現象学を独自のしかたで継承した彼の哲学は、意識の立場を脱することができず、またマルクス主義と実存主義の総合をめざした『弁証法的理性批判』では社会や歴史の問題を視野に収めつつも、未完に終わっていました。その後、『倫理学ノート』をはじめとするサルトルの遺稿を人びとが目にすることができるようになり、書かれることのなかったサルトルの倫理学をめぐる研究が進められま