田村和紀夫のレビュー一覧
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それはむかーしのことですが、私が高校生だった頃、一向に成績のよくならなかった教科の一つ数学の授業の時、先生がこんなことを言いました。
「日本では、高校の主要教科は理系文系と分かれていて数学は理系の教科だと言われているが、ヨーロッパなどでは、数学はほぼ哲学の隣あたりに位置している」云々……。
さて、それを聞いた時私がどんな感想を持ったのか、今となっては全く覚えていません。ただ、そう言われたことだけは今になっても覚えています。
後日、かなり月日がたってからですが、クラシック音楽の本を読んでいたら、音楽と数学の高い親和性について書かれた文章があって、そこにはバッハの「平均律」なんかが例として紹介されていました。
そこを読んだ時に私が思ったことは、なんとなく覚えています。
といっても、全然たいしたことのないことを考えていたのですが、なるほどそう言われれば音楽ってちょっと理系っぽいかな(やっぱり理系かい)、などと思ったわけです。(本当につまらない内容ですみません。なさけなー。)
さて、この度冒頭の本書を読んで、私はとっても面白かったです。(一部音楽の専門的なところは理解できませんでしたが。)
要は、タイトルの通り音楽って何だと、かなり正面からあれこれ考察している本ですが、これは面白そうでしょう。
音楽とは○○である(ではないか)、という定義めいたものがいっぱい書かれてあってそのどれもが、私としてはとても説得力がありました。
また、そんな大層な定義だけでなく、いわゆる音楽を聴くことによって我々の心の中に起こる現象めいたもの(よーするに「感動」などですね)の説明なども、(当然と言えば当然でしょうが)詳しく書かれています。ここも、とても説得力がありました。
以下に、そのどれか一つを紹介しようと思いましたが、この記述もいいし、あの記述もいいと迷いました。でも一つだけ書いてみますね。
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というのも、音楽は意味世界を叙述するのではないからです。音楽においては、むしろ発信されたもの――ある感情であれ、ある気分であれ、ある魂の状態であれ――が、他者のなかで呼び起こされるのです。概念的な理解が知識と照合されるのに対して、音楽的な理解は同じ感情を引き出します。ちょうどある波長が波動となって伝わり、同じ波長を共振、共鳴させるように、です。その時、コミュニケーションの根幹たるべき発信者にとってのことの重大さが同調されるのです。
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ここに書かれたのを読んで、わたくしは(いつものように偏見と誤解にまみれつつ)こんな風に理解しました。
例えば小説に「絶世の美女」と書かれているのを読んだ時、読者の頭に浮かぶ美女の顔は、まさに十人十色でありましょう。しかし、ある音楽を聴いて悲しいと思った時の感情の「形」は、なんと十人いても十人とも同じ形だ、ということではありませんか。
ダイレクトに脳内に、ある感情の塊のようなものが姿を現す、ということではありませんか。
……ということは、ということは、ですよ。
例えば小林秀雄がモーツァルトのト短調クインテットを聞いて、「かなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる」と思った時彼の頭の中にあった悲しみの形は、私が同曲を聴いて「ああ、悲しい曲や。ほんま、ええ曲やなー」と感じた時の悲しみの形と同じものだということではないですか。
……うーん、と、はじめ私も思いました。
でも、なんとなく納得してしまうんですよね。
私の呆けたような鑑賞はともかく、結局音楽を聴く感動とは、言葉で説明すればこのような理解が一番正しいんじゃないかと、とっても納得的に思ったわけです。
……いやー、小林秀雄と私が同じ思いであったなんて、なんだかちょっと得したような気持ちになりました。
そんな、音楽とは何かが、あれこれ考察されている本です。
とても、面白かった。 -
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評者のようなすれたクラシック・ファンは『交響曲入門』などといういかにもビギナーむけのタイトルの本に関心はないのである。が、それが「講談社選書メチエ」から出たとなると……
著者については寡聞にしてよく知らない。音楽学者で、『ビートルズ音楽論』などという本も出しているそうだ。結論からいえば、まさに「交響曲入門」、正統的な立場から、音楽の構造を丹念に追ってまとめた文句の付け所のない本である。「文句の付け所のない」などと持ち上げた場合、必ず文句をつけるわけだが、巻末の「ディスクガイド」をみると、筆者の嗜好が概ねわかってくる。今さらモノラル期の名演ばかり挙げる手合いではないが、1960年代、70年代の名盤を押さえた、穏当で常識的な選択である。古楽器系の演奏についても端から拒否するわけではないが、「開放弦で弾かせるのはどうか」といった疑念が何度か表出される。ロマン派以降の演奏習慣でヴィブラートをたっぷり掛けて弾かせるようなところで、開放弦を使うのは明らかに意図的で、異質な音色を導入するためにあると思われるが、そういうバロック的発想を筆者は拒否する。
つまり、1970年代以降、力を得てひとつの潮流として定着したかの感のあるポストモダン的立場からは距離をとって、リニアな音楽史観に立った「交響曲入門」なのである。シューマンのミドル・ネームに「アレクサンダー」が入っているなど、今日誤りとされていることが踏襲されていたり、何だか古い立場の人なのかと思ったが、「交響曲を構造やレトリックで論じて欲しい」という編集者からの依頼があっての執筆のようだ。まずはモンテヴェルディあたりで、オーケーストラというものが成立することから説き起こされ、交響曲の起源はイタリア式序曲だという立場をとる。このあたりは異論もあるが、それは『文化史としてのシンフォニー』に譲ろう。
交響曲の雛形はハイドンにあり、その確立はモーツァルト、そして中核にあるのがベートーヴェン。本書のほぼ真ん中で他の作曲家よりも多くの紙幅が割かれているのがベートーヴェンである。著者は交響曲とはソナタ形式のオーケストラ的な顕現とみており、主として両端楽章のソナタ形式の論理が時代により作曲家によりどう変遷していくかが追いかけられる。
確かにこうしたひとつの視点から交響曲をみていくと作曲家の創意が明らかになって、なるほど面白いのだが、逆にソナタ形式によらない中間楽章の記述は添え物的になり、ソナタ形式から隔たった破格の交響曲は俎上に載せられない。例えばシベリウスを評価しつつもそれを論ずる足がかりがないという感じ。ベートーヴェン以降はメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスで、ブラームスは若干大きく取り上げられる。その他は十把一絡げだが、ドヴォルジャークとチャイコフスキイの記述は若干濃い。さらにブルックナーとマーラーを扱って、最後はショスタコーヴィチの第5交響曲のソナタ形式に言及がある。今日、コンサート・レパートリーとして生き残っているものというのも、筆者を動かす基準である。
文句の付け所のない『交響曲入門』のあと、やはり『交響曲裏入門』とか『交響曲出門』とかが読みたくなるのが、交響曲というもののとらえ難さ、うさんくささなのであり、本書は「入門」に過ぎないといえる。ただ、一本筋は通っているから、これでいいのだ。 -
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交響曲の形式についての説明を期待してたんだけど、どちらかと言えば成り立ちについての簡単な歴史的背景。あとは時系列にそって作曲家とエポックメイキングだった交響曲について、個別に評論。楽典はある程度納めてる人向けの本ですね。
とは言え、わりと知らなかった事も多くて。例えば、もともと交響曲はクラシックの本流じゃなかった、というのは意識した事なかった。声楽→協奏曲というのが境界を中心とした本流の流れで。舞曲→オペラ→シンフォニア→交響曲という傍流がベートーヴェンの深刻な取り組みで器楽の集大成という地位を確立。でも、ほとんど同時に完成形になってしまったので、その後も時間で見るとそれほど長い間クラシックの中心にいたわけでもない。
協奏曲の方は、ピアノ協奏曲みたいな単一ソロのイメージが強いけど、声楽からの流れで言う協奏曲は交互にソロを取るリトルネロ形式。Jazzとかわりと協奏曲に近いよなぁ。
ブラームスとブルックナーがほぼ同時期の人ってのも音しか聴いてないと想像もできない事実ですね。 -
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入門書としては、スコアのページがあるなどレベルが高いかも知れないが、文章だけでも交響曲作家たちの目指した音楽がよく分かる。ソナタ形式が読み解くカギであり、楽章の編成、調性・移調・変調、楽器編成、リズムなどにより曲の特徴が説かれる。ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、マーラーその他の主だった交響曲についての解説が分かり易い。最後のディスクガイドは名盤紹介というわけではなく、各演奏の特徴、功罪の説明がユニーク。
モーツアルトの晩年の3大交響曲はハイドンのロンドン・セット以前、ブルックナーの第5はブラームスの第1以前!驚きの事実を初めて知らされた。マーラーにとって音楽は人生だったが、Rシュトラウスにとって音楽は効果!実に興味深い比較であった。 -
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音楽の本質について、七つの視点に沿って著者自身の考えが展開されている本です。
本書の冒頭で著者は、音楽の起源をさぐる方法には「考古学的方法」「文化人類学的方法」「現象学的方法」の三つがあると述べています。これにつづいて、「音楽は魔法である」にはじまり、「システム」「表現」「リズム」「旋律」「ハーモニー」「コミュニケーション」の七つのテーマに沿って音楽の本質が探究されていくことになるのですが、そこでの議論は実証的な考古学や人類学の成果にもとづいているというよりも、むしろいささか素朴なしかたではありますが現象学の本質観取の方法がとられています。
こうした視点から音楽の本質を論じた本ははじめてだったので、興味深く読みました。ただし、こうした本質観取の方法にもとづいているために、たとえば民族音楽の固有性や現代音楽の問題性を掘り下げるよりも、音楽一般の普遍的本質へと議論の焦点が偏ってしまっているのではないかという疑問もあります。