評者のようなすれたクラシック・ファンは『交響曲入門』などといういかにもビギナーむけのタイトルの本に関心はないのである。が、それが「講談社選書メチエ」から出たとなると……
著者については寡聞にしてよく知らない。音楽学者で、『ビートルズ音楽論』などという本も出しているそうだ。結論からいえば、まさに
...続きを読む「交響曲入門」、正統的な立場から、音楽の構造を丹念に追ってまとめた文句の付け所のない本である。「文句の付け所のない」などと持ち上げた場合、必ず文句をつけるわけだが、巻末の「ディスクガイド」をみると、筆者の嗜好が概ねわかってくる。今さらモノラル期の名演ばかり挙げる手合いではないが、1960年代、70年代の名盤を押さえた、穏当で常識的な選択である。古楽器系の演奏についても端から拒否するわけではないが、「開放弦で弾かせるのはどうか」といった疑念が何度か表出される。ロマン派以降の演奏習慣でヴィブラートをたっぷり掛けて弾かせるようなところで、開放弦を使うのは明らかに意図的で、異質な音色を導入するためにあると思われるが、そういうバロック的発想を筆者は拒否する。
つまり、1970年代以降、力を得てひとつの潮流として定着したかの感のあるポストモダン的立場からは距離をとって、リニアな音楽史観に立った「交響曲入門」なのである。シューマンのミドル・ネームに「アレクサンダー」が入っているなど、今日誤りとされていることが踏襲されていたり、何だか古い立場の人なのかと思ったが、「交響曲を構造やレトリックで論じて欲しい」という編集者からの依頼があっての執筆のようだ。まずはモンテヴェルディあたりで、オーケーストラというものが成立することから説き起こされ、交響曲の起源はイタリア式序曲だという立場をとる。このあたりは異論もあるが、それは『文化史としてのシンフォニー』に譲ろう。
交響曲の雛形はハイドンにあり、その確立はモーツァルト、そして中核にあるのがベートーヴェン。本書のほぼ真ん中で他の作曲家よりも多くの紙幅が割かれているのがベートーヴェンである。著者は交響曲とはソナタ形式のオーケストラ的な顕現とみており、主として両端楽章のソナタ形式の論理が時代により作曲家によりどう変遷していくかが追いかけられる。
確かにこうしたひとつの視点から交響曲をみていくと作曲家の創意が明らかになって、なるほど面白いのだが、逆にソナタ形式によらない中間楽章の記述は添え物的になり、ソナタ形式から隔たった破格の交響曲は俎上に載せられない。例えばシベリウスを評価しつつもそれを論ずる足がかりがないという感じ。ベートーヴェン以降はメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスで、ブラームスは若干大きく取り上げられる。その他は十把一絡げだが、ドヴォルジャークとチャイコフスキイの記述は若干濃い。さらにブルックナーとマーラーを扱って、最後はショスタコーヴィチの第5交響曲のソナタ形式に言及がある。今日、コンサート・レパートリーとして生き残っているものというのも、筆者を動かす基準である。
文句の付け所のない『交響曲入門』のあと、やはり『交響曲裏入門』とか『交響曲出門』とかが読みたくなるのが、交響曲というもののとらえ難さ、うさんくささなのであり、本書は「入門」に過ぎないといえる。ただ、一本筋は通っているから、これでいいのだ。