平安末から鎌倉・室町時代の僧兵について解説した一冊。
古代から中世にかけては、「違勅の科」「不善の罪」「冥顕の恐れ」というのが大きい罪であったという。
「違勅の科」は、天皇の命に服さないこと。
「不善の罪」は、あるべき姿からの逸脱(モラルから外れた行為)
「冥顕の恐れ」は、眼に見えない神仏の世界
...続きを読むである「冥」と、人間界である「顕」をつなぐ秩序の乱れによる神仏の恐れを表しているようです。
本書は、この「冥顕の恐れ」がテーマになっています。
仏法を媒介とした「冥」と「顕」をつなぐ人知を超えた力を、世俗社会が宗教勢力に期待しているのを背景に、祈りと暴力に実効性をもたせた時代を解説します。
神への精神的依存を高めた時代、神祇を自らの行動の正当性を表すものとして、しばしば神の名が利用されました。
国家の鎮護ばかりではなく、平将門のような反乱者にとっても、新皇を名乗るための託宣の根拠となったりします。
神を味方につけることが、民衆を手名付ける有効的な手法として活用されました。
同じ平安末期には、天皇と神との関係も変化します。
天皇自身が「現神」であり、神祇体系の頂点である伊勢祭神とのみ交感していたのですが、他の神々にも働きかけを行うようになりました。
具体的には、体制に逆らって命を奪った者たちを、叛逆神へ転化させることなく、王権擁護の神として体制側につなぎとめようといたします。
こうした平安末期の変化を通して朝廷祭祀の整備が進んで行ったようです。
また、密教修法全盛の土壌がつくられたのもこの時代だそうで、国家に対する強力な敵に対して、密教の力を期待して調伏の祈祷などが行われたようです。
このように、国家全体が神仏の持つ「冥顕の力」に頼ることで、仏教界において「護法」というのが盛んに叫ばれるようになります。
簡単に説明すると、仏法に対する攻撃や破壊は全て敵対行為とみなされ、重い罪に問われることになりました。
「護法」という正当性を得た仏教界は、自らが自衛の武力を持ち、積極的に政治権力に干渉するようになります。
寺院勢力の中には兵学を教えるところも珍しくなかったとか。
平安末期における、僧兵が中心となった「強訴」はこういった仏教界の躍進のあらわれともいえます。
祈りと暴力という、「寺院勢力が持つ力」の面から仏教界の発展を分かりやすく解説しているので、仏教に詳しくない方でも難なく読める内容になっていると思います。