吉田禎吾のレビュー一覧

  • 贈与論

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    贈与は呪い。「贈与交換」は無限ババ抜き。
    貨幣経済とどっちがカオスか、と問われると難しいが、個別清算であるぶん、貨幣経済のが健全だろう。
    一方で貨幣はムラを分断するだろうから、互助の精神は希薄化するのだろうな。

    読むほどに不安と恐怖を感じる。
    呪いとしての贈与文化は苦手。
    しかし何度も読み返したくなる蠱惑的な本。
    GIVE&TAKEみたいなペラい本と違い、プリミティブな人類に対する示唆が超絶多い。

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    2022年08月12日
  • 贈与論

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    贈与論
    人やモノを全て含んだ円環状の贈与体系をトロブリアントの民族からの実地調査をもとに検証している。また、贈与をするための霊的な感覚による根拠(ハウなど)を同時に示し、人類の経済の基層に贈与・交換があることを明らかにした。
    ハウとは、何か物を与えられたら、人に与えなければならない。そうしないと、落ち着かないという気持ちを霊的存在に見立てて解説したものである。モノをもらっても人にあげなければ、ハウという悪い神が持ち主をどんどん蝕んで最後には殺してしまうというのである。これは、ものではわかりにくいが情報ならどうだろう。噂話を聞いたら人に語りたくなってしまう気持ちは、ハウによるものではないかと思う

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    2017年01月04日
  • 贈与論

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    [メモ(暫定)]一連の研究の問題意識は「未開あるいはアルカイックといわれる社会において、受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られたものに潜むどんな力が受け取った人にその返礼をさせるのか」であり、モースが分析の対象としたポトラッチやクラは以下の特徴をもっている。①交換し契約を交わす義務を相互に追うのは個人ではなく集団である、②彼らが交換するものは、専ら財産や富、動産や不動産といった経済的に役に立つものだけでなく、何よりもまず礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市といった社会の全領域にわたる資源であり (全体的給付)、経済的取引はその一部にす

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    2012年11月07日
  • 贈与論

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    全人類に共通する慣習「贈与」。

    これは、単に与えるだけではなく、受け取った側が返礼の義務を負うという点に特徴がある。
    また、贈与に対する返礼といっても単なる物々交換ではなく、宗教的・法的・競争的・経済的・政治的な要素を多分に含んでおり、それらは全て集団的である。

    本書は、世界各所および、あらゆる時代における人類社会の贈与活動についての考察を通して、現代社会が陥っている個人主義偏重を批判している。

    本書で提案されているのは、貨幣経済に偏重しない、より集団社会的な人類の営みである。

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    2011年11月27日
  • 贈与論

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     特に一部の地域コミュニティでは、人間の活動は贈与で成り立っている。そこには、霊とのつながりから導き出される現所有者との
    過去所有者とのつながりがある。それが、恐らく地域コミュニティにおいての不和をなくさせてきたのかもしれない(もしかしたら、逆なのかもしれないが)。
    では、なぜ現代社会では不和がすぐ近い人間同士でも起こるのか?それは、現代社会がつながりを見えなくしているからかもしれない。
    人間、やはり視覚でとらえられないものに対しては非常に弱い(ラ・ポール効果の目隠しした人の誘導でも分かるが…)。それが人とのつながりを
    希薄にさせているのか…。考えさせられる逸品である。

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    2009年10月07日
  • 贈与論

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    様々な地域に残る贈与と返礼の義務という伝統的な習慣を膨大な資料を元に比較研究し、贈与の与える社会的な役割や影響を研究した書籍。現代の日用品の交換などの贈与との違いは精神のコミュニケーションでもあること。贈与は神聖な儀式であり、富を破壊(消費)することで争いではなく信頼関係を築き、クラン同士の結びつきが強まり文化圏を広げ、また再生することで循環が生まれ文化が成熟していったのかと思います。最初難しかったけど、終盤で突然頭の中のゴリラ達が一斉に立ち上がり武器を捨て、経済活動をする瞬間があって気持ちよかったです。

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    2021年04月27日
  • 贈与論

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    今春ころから気になっていた、モースの『贈与論』を読みました。
    モース(1872-1950)は社会学者であり、民俗学者であり、
    当時の彼の学生や交友のあった学者からは、「彼は何でも知っている」と言われたり、
    思われたりしていたそうです。そういう博識の大学者タイプの人だったようです。

    さてさて、ずっと頭に引っかかっていて、
    きっと現代の生きにくさをやわらげる一つのヒントになるんじゃないかと思えていたこの『贈与論』。
    その贈与についてですが、まず原始的な社会において、「物々交換」とされるような、
    その文字通りの意味での淡泊な交換は存在しなかったみたいです。
    霊とか魂、そう書くとオカルト的に思えちゃ

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    2014年09月11日
  • 贈与論

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    ドイツ語におけるGiftは「毒」の意味も併せ持っているというのは象徴的だ。そう、資本主義が商品の売買によって他者との関係を築くのに対して、それ以前の未開社会は相互の贈与によって他者との関係を築き、それは政治や法律の代替として機能していた。だからこそ贈与には受領や返礼の義務が付随するのであり、それは又物品だけでなく感情の交換をも担う行為でもあった。「貰ったのと同じだけ施しなさい。そうすれば万事上手くいく」これは決して偽善から生じたものではなく、人類の歴史が育んだ叡智の結晶であったのだ。知的興奮が止まらない。

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    2013年08月26日
  • 贈与論

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    本書は、経済は市場経済だけではないという論証になっていると思うので、市場経済に苦しめられている私としては救われる書物であった。
    贈与経済を実践するためには、贈与を義務としてとらえるというマインドや贈与先の無数のリストを保持するという条件が必要だが、未開社会や原始的な社会においては、神話や呪術や宗教や法や倫理が様々に入り組んで構造化されることで、その二つが人間に与えられている。
    そういうものをこれから組み立てようとするのは至難の業のようにも思えるが、やはり必要な気がする。最終的には、人類共同体が生き残るためのきまり(=倫理)の追求の問題になるのかな?

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    2013年12月27日
  • 贈与論

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    贈与と返礼を巡る考察。豊富な具体事例も魅力の一つ。

    古代社会・未開社会での経済を考えたとき、「物々交換」とは異なる原理が存在するのではないか、ということを事例を引きながら丁寧に説いている。本文中の引用に留まらず、注釈部においても多く事例が掲載されており、読むのにとかく時間がかかった印象。それだけに結論部で述べられている利己的すぎてはいけないし・度を過ぎた寛大であってもいけないこと、また社会学という学問のあり方についてが非常に印象的だった。

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    2012年01月03日
  • 贈与論

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    ほぼ世界の全域にわたる地域に関する資料を渉猟し、古代の法に関する文献を蒐集することによって、贈与、受領、返礼を義務とする文化が、太古から人類のあいだに、しかも地域を横断する仕方で息づいていることを、比較文化的に浮かび上がらせる文化人類学の古典的研究であるが、そのアクチュアリティは、発表から85年以上を経た今も色褪せない。本書の議論において何よりも重要なのは、人類が太古から、場所によっては「ポトラッチ」と呼ばれる蕩尽の祝祭に極まる歓待と贈与の文化を発展させてきたことであり、またそこに生まれる鷹揚な交換を可能にする関係こそが、文化そのものを育んできたという洞察であろう。それとともに、英語のinte

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    2011年11月08日
  • 贈与論

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    業務の中で存在を知り、読んでみました。
    前半は、「贈与『論』」というほど一般化された内容ではなく、贈与の原始的な形態にまつわる事例の紹介ばっかりだな、と思って読みました。
    後半に入り、贈与に関する一般化についての話が始まるのか、と思ったのですが、強引な推論や飛躍が多い印象を受けました。

    結果として、自分にとって、とっても読みにくい本でした。
    その原因が、著者のせいなのか、翻訳者のせいなのか、己の無知(著者と自分の時代背景や育った環境の違いも大きいかも)のせいなのか、はわかりませんが。

    そもそも、この本における「贈与」という言葉の使い方が適切なのかどうかも疑問ですが(モノを贈る、という意味で

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    2022年06月14日
  • 贈与論

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    現代では人の法と物の法とが区別される。
    アルカイックな社会では区別がない。物に人格が宿る。

    破壊を伴うようなポトラッチとて利益に無関心なわけではない。
    富とはまず何よりも他者を支配する手段なのではないか。


    いろいろ考えさせられる。。。
    全体的給付と、貨幣による交換との前提条件の違いは
    ネットワークの開放具合、密度の差じゃないのかな。
    全体的給付では、
    ・全ての取引が人格を帯びる
    ・意味合いが常に集団内で確認される。

    貨幣の性質・・・富の保存、尺度
     これが取引の形や、富への態度に影響しているはずと思う。

    後続の研究とか色々あるんだろが、どうなっているのかな?

    しかし訳はこれでいいの

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    2018年11月05日
  • 贈与論

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    アメリカなどの先住民のポトラッチなどから贈与が社会の基板であることを説いたモースの視点は感嘆の声を上げてしまう。
    贈与の本質は3つの義務で
    1.贈与する義務、2.受け取る義務、3.お返しをする義務
    で、正のフィードバック構造を持つために、時には人を死に追いやったり争いに発展するという苛烈さからも、贈与という規範が社会の中枢に根付いているのが理解できる。

    ただ、先住民の生活の基板が贈与で、資本主義社会に批判点が山のようにあるから、贈与社会に逆行しろという説は、あまりにも急進的であり論理が飛躍していると言わざるおえない。

    いわゆる古典というのは、発想の斬新さと論理の跳躍の2つを兼ね備えているこ

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    2016年03月16日
  • 右手の優越 ──宗教的両極性の研究

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    現在の象徴体系、認識体系研究の先駆けとなったフランス社会学黄金期の著作。(裏表紙より)
    「死の宗教社会学」も収録。
    人類学・社会学的立場からの論考。

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    2009年10月04日