マルセル・モースのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
相手から助けてもらう。自分は相手を助けていない。相手からものを貰う。自分は相手に何もあげていない。他人からの贈り物に「お返し」をしないとなんだか気持ち悪い。他人からの贈り物には霊力が込められている。マルセル・モース『贈与論』1925
人から何か贈り物をもらったら、お返ししないと気持ちが悪い。人は贈与と返礼を繰り返している。それにより社会は変化し続ける。人間の社会で何かを手に入れたいのなら、こちらがまず相手に与えなければならない。レヴィ=ストロース『親族の基本構造』1949
援助や好意を受けたら、相手にお返しをする。もらいっぱなしよりも返す方が結局は自分の利益になるし、そうしないと社会で孤立するかもしれない。グールドナー1960
他人が欲しいものを自分しか持っていない場合、相手は自分に依存せざるを得ないため、持ってる側(自分)に権力が生まれる。エマソン1962 -
Posted by ブクログ
業務の中で存在を知り、読んでみました。
前半は、「贈与『論』」というほど一般化された内容ではなく、贈与の原始的な形態にまつわる事例の紹介ばっかりだな、と思って読みました。
後半に入り、贈与に関する一般化についての話が始まるのか、と思ったのですが、強引な推論や飛躍が多い印象を受けました。
結果として、自分にとって、とっても読みにくい本でした。
その原因が、著者のせいなのか、翻訳者のせいなのか、己の無知(著者と自分の時代背景や育った環境の違いも大きいかも)のせいなのか、はわかりませんが。
そもそも、この本における「贈与」という言葉の使い方が適切なのかどうかも疑問ですが(モノを贈る、という意味では「贈与」の要素はあると思うのですが、現在の「贈与」の意味からはずれているように思うのです)、とりあえず、ここでいう「贈与」に、貨幣や契約や経済や政治の原始的な形を見出し、現代へのつながりを考察しようとしていることだけは、少し理解できた気がします。 -
Posted by ブクログ
現代では人の法と物の法とが区別される。
アルカイックな社会では区別がない。物に人格が宿る。
破壊を伴うようなポトラッチとて利益に無関心なわけではない。
富とはまず何よりも他者を支配する手段なのではないか。
いろいろ考えさせられる。。。
全体的給付と、貨幣による交換との前提条件の違いは
ネットワークの開放具合、密度の差じゃないのかな。
全体的給付では、
・全ての取引が人格を帯びる
・意味合いが常に集団内で確認される。
貨幣の性質・・・富の保存、尺度
これが取引の形や、富への態度に影響しているはずと思う。
後続の研究とか色々あるんだろが、どうなっているのかな?
しかし訳はこれでいいのかね? -
Posted by ブクログ
著名なフランス人社会学者マルセル・モースにより100年ほど前に書かれた著作を現代語訳したもの。贈与や交換について、ポリネシア、北米、ヨーロッパ、インド等の当時の事象や歴史的考察、宗教的考察を行い、意見を述べている。研究が深く、脚注が充実している。訳もわかりやすく読みやすい。
「友に対しては、こちらも友であらねばならない。贈り物をもらったら贈り物でお返しせねばならない。笑いに対しては、笑いを返さねばならない」p56
「贈り物は、建前上は自発的に贈られるけれども、実際上はそれを贈り、またそれを返すことが義務として課されているのである」p58
「首長の個人的な威信や、その首長のクランの威信が、自分が受け取った贈り物以上の物をきちんとお返しすることに結びついている。自分が受け取った以上の物をお返しすることによって、自分に返礼の義務を負わせた当の相手が、今度は逆に自分に対する返礼の義務を負うようになる」p213
「その場でただちに利益をあげることを目論むというのは心得違いであって、そのようなやり方をしようものなら、きわめて強い侮辱を浴びせられるのである」p215
「贈り物なら人はいつでも受け取るし、その物を褒め称えさえする。自分のために用意された食べ物を、人は声を大にして褒めなくてはならない。だが、それを受け取ることによって、自分が義務を負う立場に立つということも心得ている。贈り物を背中にしょい込むのだ。物や祭宴でもてなしを受けるというのは、たんにもてなしを受ける以上のことである。挑戦を受け入れたということなのだ」p247
「贈り物というのは、与えなくてはならないものであり、受け取らなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである」p369
「贈り物を受け取ったにもかかわらずお返しをしないでいれば、その人が劣位に置かれるということは昔とかわりない」p394
「招待というのは、されればお返しをしなくてはならないものである。それは礼に対して礼を返すのと同じである」p395
「借りを返さないままでいる、というのは、こうした表現が今なお使われていることから分かるように、許容されえないことなのだ」p395
「与えるということ、それは自らの優位を表明することである。それは、より大きくあることであり、より高くあることであり、マギステル(人主)であることである。これに対して、受け取っても何もお返しをしないということ、もしくは、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属的な立場に身を置くということである。それは、相手の子分、従僕になることであり、より小さくなることであり、より低い地位に身を落とすことなのである」p425
「富というのはもっぱら他人を動かすための手段である」p427 -
Posted by ブクログ
アメリカなどの先住民のポトラッチなどから贈与が社会の基板であることを説いたモースの視点は感嘆の声を上げてしまう。
贈与の本質は3つの義務で
1.贈与する義務、2.受け取る義務、3.お返しをする義務
で、正のフィードバック構造を持つために、時には人を死に追いやったり争いに発展するという苛烈さからも、贈与という規範が社会の中枢に根付いているのが理解できる。
ただ、先住民の生活の基板が贈与で、資本主義社会に批判点が山のようにあるから、贈与社会に逆行しろという説は、あまりにも急進的であり論理が飛躍していると言わざるおえない。
いわゆる古典というのは、発想の斬新さと論理の跳躍の2つを兼ね備えていることがよく見られるし、レヴィ=ストロースなど後の文化人類学に多大な影響を与えたのは間違いない。
また、近年注目されているSNSのいいねや文化資本の問題などは、この贈与論の視点から見ると面白いし、多くの評論は多大な影響を受けている。
とりあえず、ポトラッチとタオンガ、この2つを覚えておけ(笑) -
Posted by ブクログ
個人が個人の利益の追求に走る社会に警鐘を鳴らし、全体に対する意識(全体給付)を向け、円満な社会(アーサー王の円卓[p]のような)を目指そうという論。社会主義的か?成功した富裕層が、被災者に多額の寄付やNPOなどを組織をしたり、匿名で学校などに何かを寄付したりするようなことについての考察。
一方的にお返しもせずに、贈り物をもらうことはどういうことなのか、部族などのトップたるものがなぜ贈り物などを与えなければ威信を保てないのか[※ポトラッチ]というのはおよそ信仰(迷信)と結びついている[p100、p231など]。類似した例が世界各地にみられる。例示内容は興味深い。
個人と個人が契約を履行するとしても、それは個人ではなく集団と集団(の連盟関係(アリアンス))である。集団はクランや部族や家族のこと。過去はいまほど「個人」が際立つことはなかったらしい[p446]。従って、あるまとまった集団のなかで権力を持つには、ポトラッチは欠かせなかったのであり、それが下位集団との信頼関係、自分の身分の明示。
誰かから何かを一方的に貰う(贈与される)、ということは従属である。ただし、例えば、返済能力のない被災者が寄付を受け取るのは、しっかりとした生活を取り戻すということなどによって返済できるといえるだろう。
ポトラッチ(競覇型の全体的給付)[p74]
贈与[p212]
ネクスム(法的な縛り)[p304、307など]