貝澤哉のレビュー一覧

  • カメラ・オブスクーラ

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    ロリータの原型とも言える、少女によって破滅する中年男の物語。物語自体はまったく救いが無い。が、何故か美しい。プルーストの文体模写が笑える。

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    2011年12月20日
  • カメラ・オブスクーラ

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    ネタバレ

    あの「ロリータ」のナボコフの初期作、ということで期待して読んだけど、
    レトリックに関してはやっぱり「ロリータ」ほどではなかった。
    初期作だからこそだと思うけど。ロシア語作品だし、訳の問題もあるかな。
    良くも悪くも読みやすい作品。
    「ロリータ」の前にこれを読んでおけば、もっと早い段階で「ロリータ」も楽しんで読めたかもしれない。

    ストーリーは特にどうということもなく
    クレッチマーが普通の思考回路を持った人だったり登場人物が割と多かったりしたせいで、
    ラストまで現世離れせずにストーリーが進んでいった気がする。
    (だからあまりレトリックにのめり込めなかったのかもしれない。
    「ロリータ」は完全にハンバートとロリータの二人の世界で、
    難解な描写や比喩も全部ひっくるめて「世界」を形作っていたんだな、と今になって思う。)

    ナボコフの作品は、細部を読み解くところに楽しみがある。
    独特の比喩とか表現はもちろんだけど、
    例えばマグダの蛇のイメージとか。(これはちょっと露骨すぎるなとも思ったけど)
    そういう意味ではこの作品も相当読みごたえはあると思う。
    登場人物も多いし、繰り返し読んだらまだまだいろんな発見が出てきそうだ。

    解説によると、この作品のテーマは「見る」「見えない」らしい。
    要素はいたるところに。
    私がいいなと思ったのはマグダがクレッチマーの家に押しかけた後、
    書庫の隙間から赤い裾が覗いていて…のくだり。
    割と象徴的な部分だと思った。
    結局クレッチマーは何を見てて、何が欲しかったんだろう。


    「カメラ・オブスクーラ」と「ロリータ」だったらやっぱり「ロリータ」の方かな、と私は思う。
    もちろん細部の凝りようは言うまでもなくなんだけど、
    ドリーとマグダなら断然ドリーの方がすきだから。
    マグダの悪女っぷりがただの年を取った悪女と同じそれで、なんとなくしっくりこない。
    成熟しきれない素朴さとか、素朴ゆえの残酷さとかそういうものは幼いものの特権だと思う。
    そういう幼さを存分に発揮してるドリーの方が私には魅力的だった。


    全然関係ないけど「カメラ・オブスクーラ」っていうとどうしても
    楠本まきと有村竜太郎が先に出てきてちょっと中二病っぽいイメージを持ってしまう。

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    2013年09月16日
  • カメラ・オブスクーラ

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    ナボコフ33才の作品。俗物たちのメロドラマを世にも美しい文章で。この人、30代のころは文章もノリノリで読みやすく、どこか清々しい作品が多い。楽しい!
    マグダのイメージは、ちょっと前のスカーレット・ヨハンソンがぴったりくる。

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    2011年11月17日
  • カメラ・オブスクーラ

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    確かに『ロリータ』にすごくよく似ている。語りが全知の三人称とハンバート・ハンバートの強烈な一人称っていう違いもあって(もちろん、多分それだけじゃない)、ロリータっていう万華鏡の鏡の中に入って、内側から外を眺めている感じ。いや、ハンバート・ハンバートについて言えば『ロリータ』が中で『カメラ・オブスクーラ』が外なのか。

    『ロリータ』より短くて分かりやすい。

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    2011年11月17日
  • カメラ・オブスクーラ

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    ネタバレ

    おもしろい。芸能人の不倫報道などが気になってしまう人にはたまらないだろう。
    ナボコフといえば「ロリータ」だが、本作もロリコン親父が未成年の美少女に翻弄されてしまう物語だ。
    裕福な美術評論家クレッチマーが、美少女マグダに夢中になる。妻子を捨ててマグダと一緒に暮らし始めるが、そこにマグダの元カレであるホーンが戻ってくる。
    マグダとホーンの関係を知らないクレッチマーは、マグダとの生活の中にホーンが出入りすることを許してしまう。マグダとホーンは、クレッチマーの目を盗んでいちゃいちゃし、しまいにはクレッチマーの財産を奪う計画まで立てはじめる。
    偶然、マグダとホーンが自分を騙していたことを聞かされたクレッチマーは逆上し、事故が起こる。そのせいでクレッチマーは失明する。しかし、クレッチマーはマグダを疑った自分に罰がくだったのだと反省する。クレッチマーはマグダとふたりで療養のために田舎の家で暮らす。しかし、クレッチマーが失明しているのをいいことに、ホーンもその家にもぐりこみ、マグダといちゃいちゃする。
    クレッチマーの義弟マックスが乗り込み、クレッチマーを連れ出す。
    自宅に戻ったクレッチマーはマグダへの殺意を抱いていた。
    やがてマグダの居場所を知ったクレッチマーは、マグダを殺しにいくが、逆に自分が殺されてしまう。
    解説には、これは「見る」「見ない」についての小説だと書かれている。
    カメラ・オブスクーラというタイトルからもそれは想像できる。
    クレッチマーは、マグダの中になにを「見た」のだろう。
    おそらく、彼がそれまでの人生において見ることのなかった「女」を見出したのだ。恋愛の対象となる「女」だ。それはもしかしたら「人生」と言ってもいいかもしれない。それこそ命をかけてのめり込む「人生」。熱意を向ける対象を見たのだ。そういう意味では、この作品は、宝を求めて冒険する男の物語といってもいいかもしれない。

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    2020年03月20日
  • 絶望

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    ねっとりとした意地悪な文体。解説にて初期ロシア語による翻訳で、それがウリだそう。その解説にて一生懸命、小説の仕掛けを力説されてる訳だが、まず作者を好きで尊敬し、作品に興味を持つ、そこからが開始点であり。

    淡々と読んでいるだけでは、そうなのいやそうじゃない、もったりくったりとした、自分の犯罪を計画して楽しみイラつく男の1人語り。

    場面場面は昔の宝田明が出てるドラマっぽいと思った。

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    2018年08月23日
  • 絶望

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    1936年刊、ナボコフ初期の小説だ。今回は犯罪者の手記といった形をとり、どうやら、ナボコフが嫌いなドストエフスキーをパロディ化しているようだ。どうにもとりとめのない、主観的な饒舌がドストエフスキーの文体を真似ているのだろうが、本家の作品のようななまなましい迫力は全然ない。
    「鏡像」という「虚構」が最後に音を立てて瓦解していくところが、この作品の白眉だろう。主人公の思い込み・勘違いがさっと振り払われ、主体が一瞬消失するような感じは、ナボコフならではかもしれない。
    ドストエフスキーの真似なんて、やめとけば良かったのにな。

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    2014年08月17日
  • 絶望

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    ふぅ! やれやれ…。印象をとしては、「ヘッポコ主人公のながい知的遊戯に付き合いました」かな(失礼)。タネ明かしはほぼ解説にて。探偵小説を下書きにしたメタフィクション、だそう。なのですが。正直なところ、読んでいる間は、「これが、文学、芸術、なのですね?」ふふふ...コントとしてなら楽しめそうかしらん、といった感じ。
    度々読者を引き止め、「読者よ...」と呼びかけては、コレにはこれこれこういう理由があるんだからね、『なんだからね!』の過剰なエクスキューズに、あ、そう。へーそう。(毛先を弄りながら)そっかそうだねあはは、と上の空で相づちをうっているイメージが続く。
    好きな場面は、風がオリーブの木の葉をいっせいに裏返す様子を、飽きることなく窓から眺める場面で、お?思ったのは、妻に向かっての「脳タリンな女」発言。
    ただ、示唆にとんだ文節が無かったかと言えばそんなことはないし、解説を読んで皮肉たっぷりな小説だったんだと気づいた(解説がいい)。鈍いな自分。
    読書って解釈の自由さがあるから面白いし、それが醍醐味だと改めて気づかされた。

    ドストエフスキーが読んだら何て言ったか、想像すると楽しい。

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    2014年01月23日