林壮一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
筆者はアメリカに住む日本人ライター。
ちょうど会社を辞めて収入もなく途方に暮れていたとき、
リノ地区にあるいわゆる″最底辺学校”の臨時高校教員を以来される。
「日本文化」のクラスに集まった生徒たちの集中力は、ものの5分ともたない。UNOを始めたり、八ッキーサックを楽しんだり、トイレに行ったきり戻ってこない生徒もざらにいる。
そんな生徒たちを目の前にして奮闘する彼の姿に共感しながらも、家庭的環境に恵まれない子どもたちをなかなか責めることもできない。
将来に希望がない。やる気がない。単位さえ取れればいい。
そりゃ、そう思って当然だよね。
生徒の親のほとんどはシングルで、理由は離婚から犯罪から病気から多岐にわたる。
まず勉強するより、今日食べるものを買うために働かなきゃならない。
家にも町にも居場所がない。
社会の階層を越えてホワイトカラーの職に就くなど、夢のまた夢。
そんな非現実的なことのために勉強するくらいなら、今日働いて遊んで生きていく方が現実的かもしれない。
そして、彼らが社会に出て自分たちの無知さを思い知ったときに、彼らにセカンド・チャンスを与えられる者はいない。
それが今のアメリカ社会。
ソーイチセンセイの授業のなかで、だんだんと心を開いていく生徒の言葉一つ一つに隠された影のあまりの深さに、何もしてやれないという先生の無力感が痛いほど伝わってくる。
もともと子どもに何の罪もないのだけど、
産まれてくる家は選べない。
産まれた家庭によって、既に将来の階層まで決まってしまっているというのが現実でもある。
先生の考えや授業に疑問を抱く点は多々あるものの、
素直で優しい生徒たちの姿が見えれば見えるほど、悲しくなる。
先生が学校をやめるとき、何とかお礼をしようと「先生が家族と寿司を食べにいくのなら、その食事代を俺が払うよ」なんて言い出てきた奴。かわいかった・・・・
社会的階層がこれほど顕著に表れている社会における
最底辺の学校の実情が垣間見える本。
【以下メモ】
p148
「一方で、チャーター・スクールで悶々とする日々を送った生徒たちは、社会に出て初めて自らの無知を思い知らされるのだ。学を得たいという気持ちになっても、食っていくためには日銭が必要だ。だから大抵の場合、再び学問をやり直すこともできず、社会の底辺で踠くほかない。
チャーター・スクールの学生たちは、「根はいい子」が多い。が、教師も、社会も、彼らを再生させる術を持たないのだ。今後も、教育の差はますます広がっていくであろう。」
p174
「生きるためには、学業どころではない。明日の朝食のパンを買うには、今、働かなければならない。
10代にして、そんな現実を受け入れねばならない彼らに対して、私は為す術がなかった。こうした生徒は間違いなく、シングル・ペアレントと暮らしていた。子供が労働せざるを得ないのだから、親をもっと逼迫した状況に追い込まれている筈である。心の底では、子供に教育を授けてやりたいが、どうにもならない。そして若者は若者で、学問よりも目先の楽しさのみを覚えてしまう例も少なくない。」
→最近はシングルファザー・マザーも増えつつあるし、特に特別な話ではない。シングルだからといって愛情が足りないなんて言えない。けれど、そのぶん子どもを気にかけることが大切だということ。
p197
「「中流家庭に育つ子供には、音楽のレッスンやアスレティック・クラブ、サマー・キャンプなど学校外のプログラムがあり、大人から正しい言葉で社会性を学ぶことができます。でも、崩壊家庭、貧困家庭の子供にはチャンスが無いのです。こうして、どんどん差が出てしまいます」」
→義務教育の段階で私立公立で生徒が分けられる。もうそこから、身に着けるもの、ふるまい、言葉や態度・考え方に階層差が産まれてくる。
p258
「家族の団欒を経験せずに育った子供は、自身が成人しても「家庭」や「親子の絆」の意味を把握しないまま生きるという。親になる責任感、倫理観を身に付けられないのだ。
めんたーリングの専門家たちは、幼児期に虐待されて育った人間は、自分の子供にも同じように接するを口を揃える。正しく輪廻である。アメリカ合衆国において、崩壊家庭や未婚の母、日本で言うところの新生児の数が減らないのは、このような背景に起因する。」
→まえ読んだ精神科医の本でも同じこと言ってた。虐待されて育てられた子どもは、その虐待自体を親の愛情であると理解しようとするため、自分の子どもへの愛情表現もそういった形でしかできない傾向がある。輪廻。貧困の世代的再生産。 -
Posted by ブクログ
著者の林壮一氏の著作を以前読んだ気がするが思い出せない。
アメリカのチャータースクールで教鞭を執るルポタージュ。困難な家庭環境にいる子供に教育を受けさせることがなんと難しいのだろう。
しかし教育を受けていないことにはまともな職にはつけない。
いま日本でもフィリピンや中国から日本に来る子供が増えている。私が通った公立小・中・高にも何人かいた。
日本も雇用の悪化が言われ、貧困が問題にされ始めた。
この国でもいきるためには学が必要だ。外国の子達がきちんと学を身に付けられるのだろうか。
私が出会った高校時代の外国籍の友人は、日本語を教えてくれる人がいたという。心細かった友人を助けてくれた先生を恩師と呼んでいた。
そんな人に全員が全員出会えるのだろうか。 -
Posted by ブクログ
オバマの民主党候補選挙前後から大統領就任までの選挙の日々を、社会的マイノリティーへのインタビューで捉えるルポタージュ。
その対象は黒人・ヒスパニックからpoor white、WWⅡに従軍した日系退役軍人や荒廃するデトロイト市民、ハリケーン・カトリーナの被災者まで多岐に及ぶ。もっとも、本当に底辺層なのかは疑問であるが。
あるものは貧困、あるものは戦争を理由に「CHANGE」を望んでオバマへ投票しようとする。保険問題や失業問題など、大統領選の争点となった政策上の議論について生の声を聞けることはありがたい。
また、いまさらながら黒人をはじめとする有色人種への「ぼんやりとした差別」はアメリカに残っていることに気づかされた。冒頭の章で、「オバマは白人に暗殺される」と言い放つ、黒人男性の言葉は痛々しい。
一方で、学歴のうえで成功者である若い朝鮮系移民の二世は、「そのような時代ではない」と笑いながらその言葉を否定してしまう。ここに、現代アメリカのマイノリティにおける問題が垣間見える。
現代のアメリカ社会は一応差別を克服しようと試みて久しく、特に自助努力の結果豊かな能力と学歴を身につけた者達に対しては特段ハンディを感じずに生活ができるようになった。
しかしながら能力のなきものははじき出される「実力社会」の面も少なからずあるためか、実際は社会的な構造からくる扱いの差であっても、貧困層のマイノリティはまだまだその人種によって差別されている、と感じてしまう場合ある。そして、貧しい彼らが上昇のきっかけをつかむのは大変難しいのもまた事実だ。どれだけマイノリティが優遇されようとも、貧しい人々の前から差別の実感はなくならない。
そんな「どうしようもない悲壮」を背負った弱者達は、オバマに自分達への理解を求めていた面も少なからずあるようだった。
就任から一年たった今、オバマが彼らの期待にどれだけこたえられているかは、残念ながら疑わしい。この本の中で、日系ハワイアンのボクシング・トレーナー、マック・クリハラはオバマを褒め称えたわずか数ヵ月後に、「オバマは詐欺師だ」と意見を翻してしまう。「オバマは扇動者か、洗脳屋だ。金の具体的な使い道をちっとも言いやしない」、と。
彼の考えがこのまま一般意見となってしまわないことを、ただ願うばかりであろう。