右田裕規のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
江戸時代から江戸の町では朝から飲んでいた?
東京はやたら飲む街?
東京に通勤すること40年以上、
私もご多分に漏れず、東京の街でさんざ飲んできた。
初めて倒れたのは越乃寒梅をしこたまごちそうになったとき。
転んで歯が欠けたのは浅草だったか
友人の店の飲み放題でホームで一回転。
全部都内だ。
あ、一度大阪でもあった。出張終わりでごちそうになり、酔い、
一人になって宿に帰る時こけてメガネが割れた。
そして宿にたどり着けなかった。
翌朝吉野の桜を観に行ったがどんな姿だったことか、、
そしてマラソンを始めてからは、
大会一週間前は禁酒。
そのほうが走るのが楽。楽、じゃないか、苦しみが減る。
走り終わったら祝杯。
飲むために走る。
主食のコメが足りないのに日本酒など作れるかと、
大麦から作るビールが出回ったと。
その米は今や制限して作って、
そのひずみで去年は品薄になって、
酒米も高騰し、おいしい日本酒4合瓶2,000円ラインが崩れる。
ま、日本酒は安すぎるのだ。美味しいのに。
戦後雑なアル添酒などして日本酒がまずいものになってしまった。
私も飲み始めはビール派。
日本酒が好き、と言えるようになったのは50代ではなかろうか。
日本酒が日本の料理に一番合うけどなあ。
・・・そういう新書じゃないか、、
読み終えて、そんなことを考えた。
はじめに
第1章 つぶれるまで飲む――近世の飲酒スタイル
第2章 仕事帰りに飲む、終電で帰る――昼酒慣行の終焉
第3章 曖昧な仕事と飲酒――酒席の労働化
第4章 飲んで、燃料補給する――ガソリンとアルコール
第5章 米から麦へ――あらたな飲酒文化
おわりに -
Posted by ブクログ
近世、近代、現代に至る、飲酒文化の移り変わりを解説。
人類と切り離せない「酒」というドラッグ。その位置付けの変化が面白い。「へぇ〜」となる事例が盛りだくさんで、飽きさせない。
近代日本において「酔っぱらい」は決してマイノリティではなく、ある意味当たり前の存在だったようだ。
生産性とは対極にあると思われる「酒・アルコール」が、実は近代の工業化社会と労働文化を補完してきた。
「酒を飲むのも仕事のうち」
これは昭和・平成にかけて、日本のサラリーマン社会では一般的なアイデアだったはず。令和の今でも、業界によっては残っているのではないか。
日本は欧米社会ほどアルコール規制が厳しくないが、飲酒文化を都市勤労者の生活にうまく組み込んできたからかも知れない。
もちろんアルコール依存症や暴力などの問題はずっとあるわけだが、酒の全面禁止はまた別の問題を引き起こす(禁酒法下でのギャング台頭とか)。
アルハラが批判される現代でも、酒は飲食文化の中に不可欠の位置を占めている。つまるところ、人類と酒は、ほどよい距離感で付き合い続けるほかないのだ。 -
Posted by ブクログ
近現代に至る、酒の失敗のエピソードかと思ったら全く違った。
社会の中での飲酒の位置付けの変化。
もともと社会が貧しかった頃は、主食である米を、敢えて無価値な使い方をして酩酊感もあって仲間と共通の体験をして一体感を生む祭り。
近代に入って都会労働の中では、その非日常性が禁忌されて、余暇に追いやられた。
戦時の総力体制の中で、労働力の再生産のための栄養ドリンク的な位置付けになり、主食である米ではなく、麦に主役が移ってからはその傾向が進んだ。
らしい。
面倒臭いこと考えるもんだな。
酒が不味くなる。
美味いから飲む。
確かに、若干の背徳感を感じるため、というのはあるが、回復のためなんか考えたことは全くない。
が、そもそも、翌日の仕事に影響しないように、と考えて飲むところが、労働再生産に組み込まれているという主張なのだが、なんか横にズレてる気がする。