畠中尚志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
(上巻より)
「神と人間」についての観念的な議論が中心だった上巻に比べ、下巻では「倫理」や「永遠の愛」といった実践的なテーマが中心。しかし当然これらは上巻の議論を下敷きにしているので、下巻を読みながらも何度も上巻に立ち戻り確認しながら読み進めることとなる。
第四部の冒頭でスピノザは、人間がなぜ善より悪に従うのか、そもそも何が善で何が悪なのかを明らかにする、という。上巻で触れた本書の構造の独特さの次に印象深かった点として、この「善/悪」の定義に見られる「構成的」な視点を挙げたい。第三部定理9備考にあるように、「善/悪」はそれ自体善/悪だからでなく我々が欲するものが善/悪なのだという転倒なの -
Posted by ブクログ
842夜
非常に面白い。
ドゥルーズが『千のプラトー』で器官なき身体に関する書物だと言っていた。
本来的に不自由な人間が自由を獲得するためには外的な刺激による身体の変化に伴って生じる受動的な感情を克服する必要がある。そのことによって人間は感情に支配される度合いを少なくし、理性により神を認識する直観知を獲得することができる。スピノザは直観知を獲得して自由人となることに道徳的な意義を認め「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」と述べて締めくくっている。-Wikipedia
スピノザについて書かなかった理由ではなく、なんとなく書きにくかった理由に、もうひとつ、スピノザをめぐる周囲の騒 -
Posted by ブクログ
読み始めると分かるが、この著書でスピノザは神というものを設定している。そしてその神はどこにでもいることを前提にしている。これを汎神論という。つまり、スピノザはこのエチカで神はあらゆる所に存在しているということを前提に、人間の経験に依存せずにユークリッド幾何学の演繹方法、つまり定理、公理、証明などを用いて論を展開して行く。
設定された神は現在考えられている存在とは異なり、スピノザの神の設定はギリシャ神話、キリスト教、ユダヤ教などの神の概念とも異なっている。
エチカとは、ラテン語で倫理学をさす。神の存在、人間の精神や感情の本性などについて論証されている。
始めは神のことについて語り、そ -
Posted by ブクログ
主知主義的な哲学の世界では「神」はたいてい究極的原因として引き合いに出される。スピノザも神を根本原因とするのだが、汎神論の特異な点は、神を超越的原因ではなく内在的原因として規定するところにある。これは循環とも思えるが、それは我々が差異の世界に生きているからだろう。神は一にして全なのだから、スピノザの言い分はむしろ合理的である。スピノザの方法に従って把握された神は世界の製作者ではなく世界そのものであり、自由意志さえ持たない。神の様態にすぎない我々にも、当然自由意志は与えられていない。
神は自己原因に従い様々な変状を呈する。これが世界の動きにほかならない。人間が自由意志に基づき行動しているなどと考 -
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エチカは、一言で言えば、人間の自由について述べている本だ。どうすれば、人が自由になれるのか?を難しい言葉を使いながら説明している。
スピノザの言う自由とは、自分自身の必然性である本性に従って生きることであるという。
自由という言葉には、必然性という縛りの言葉を似つかないような感じもするが、この矛盾があるようで実はない論理がとても面白い。
文書自体は非常に読みにくく、何度も読まないと全くわからない。まして、解説書なしに読みだすと途中で投げ出すことは見えている。
実際、今回自分で読んだ時も下巻は読みきったが、上巻は読み切れていない。というか、断念した。
また興味が湧いた時に読めばよいと思