アリストテレスの「実体」をめぐる問いから説き起こし、時間論や可能態と現実態についての議論をたどりながら、哲学的な考察が展開されています。
まずは、「実体」についてのアリストテレスの議論が解説されます。アリストテレスは「実体」について、「自然物」、「魂」、「数、点、線、面」「本質ないし定義」という4つの考え方があると紹介しています。著者はこれをわかりやすく説明し、とくに「数、点、線、面」という考え方をめぐって、ピュタゴラスやプラトンのイデア数論を著者自身の考察を交えながら議論を進めていきます。そして、アリストテレスの可能態と現実態の区別に触れつつ、可能無限の発想を説明します。
次に、ゼノンのパラドクスに対するアリストテレスの批判がとりあげられます。アリストテレスは、「見ること」や「考えること」のような目的が内在している「現実態としての行為」と、たとえば「家を建てること」のような「運動としての行為」との違いについて説明しています。「家を建てること」は、全体としてみれば一つの形相をもっていますが、プロセスとして見れば多様な形相、多才な表情を持っており、そこでは可能態であるということ事態が、「今」において実現されているのでなければなりません。アリストテレスは運動を、「可能的なものとしてのかぎりにおける可能的なものの現実態」と定義しています。そこでは、「今」とはまさに運動が運動として現われるそのときだと考えられることになります。
このような考察を踏まえたうえで、著者は「実体」をめぐる問いに立ち返っています。著者は、私たちの「魂」が、つねに今にあり今にあるしかないという意味では現実態そのものであると同時に、あらゆる動きがまさにそこにおいて動きとして現われてくるような動きそのもの、つまり「可能的なものとしてのかぎりにおける可能的なものの現実態」だと主張しています。そして、そのような「魂」が、何かが何かとして「ある」ということの境界だと述べて、議論を締めくくっています。
アリストテレスの解説書というよりも、アリストテレスの議論に寄り添いつつ、著者自身の哲学的な考察が展開されている本という印象です。「形而上学」という営みが直面している問いの途方もなさに圧倒されます。