樫山欽四郎のレビュー一覧

  • 精神現象学 上

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    ヘーゲルの書いていることを、「理解」ではなく「感じる」「感得」できるためには、「人は嫌なことに向き合ってそれを克服することで成長するのだ」という経験を持っていれば十分だと思います。

    そして、その経験(精神の運動)を人生のどこかのタイミングで止めてしまわずに、継続して日常や仕事を通じて、「どこまでいくの?」ということを繰り返している人は、この本に書かれていることの後になればなるほど、よく分かってくる内容だと思います。

    たとえば、仕事において、
    「人は嫌なことに向き合ってそれを克服することで成長するのだ」という経験のなかに、「自分は間違っているのか(否定)」ということを経て、その状況を克服するように「進化を遂げた自分(止揚を達成した状態)」を見出すとき、

    そこには最終的に「自分を変えたのだ」ということが大いにあると思いますが、そうした自分が、元の自分を見れば(元の自分に帰ってきたら)、それは元の自分からずれた自分であると言えましょう。

    これは仕事で、修羅場を経験して、痛切な進化を経験した人には感覚的に分かることだと思います。

    では、これを繰り返したらどうなるか?それは「ずれた自分」からいつしか「別の自分」になっていくことは、論理的にも経験的にも予想できましょう。

    その「別の自分とは?」という直前までが、この精神現象学(上)には書かれているように思います。

    ※

    私は読み進めていって、上記を知って衝撃を受けました。

    そのことを本に書き込んだ内容としては、以下のようなものです。

    絶対的自分なるものは、自分の否定の運動のうちに見えてくるものであるから、なんと、それなしに「自分などという本体には絶対にたどり着けない」のであるが、そのたどり着く先は、なんと「自分」などではなく、
    「自分ではない何ものかの理性なのではあるまいか」(P487付近を読んで)

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    2026年08月10日
  • 精神現象学 下

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    『精神現象学』のうち、精神、宗教、絶対知の各部を収める。理性にまで達した人間の意識は、それからも遍歴を続ける。精神においては、人倫、教養、道徳が問題とされる。しかし道徳に至ってなお、精神と対象の分裂が終わったわけではない。そこで宗教へと精神は展開されるが、そこでもまた分裂は終わらない。最終的に、意識ないし精神と対象との和解がもたらされるのは、絶対知すなわち学の境地においてであるとされる。人類の知の展開と自己の意識の展開とをパラレルなものとして把握しながら、自己の知を歴史のもとに把握する、というのは卑俗な概括かもしれないが、ヘーゲルの目指した学の何たるかを理解しようとするのであれば、この書は非常な重要性を持っているだろう。

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    2012年12月24日
  • 精神現象学 上

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    哲学・思想史でヘーゲルの名を不朽のものとしている名著。本訳では、序論、緒論、「意識」、「自己意識」、「理性」を上巻に収める。序論では、ヘーゲルの学の理念が語られる。それ以降は、精神の現象学すなわち「意識の経験の学」が展開されるが、それはあらかじめ不動の観点に立って意識を観察するというものではない。むしろ、意識の形成を「感覚的確信」から、あたかも意識を遍歴していくように、各々の観念を展開しては廃棄していく。そうした運動こそが「概念」であるというヘーゲルのテーゼは、概念についての概念の変革を企てたものだと理解できるだろう。意識がいかなる経験を経て、究極的にいかなる境位にたどり着くのか、それが「精神」「宗教」「絶対知」で明かされるだろう。

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    2012年11月19日
  • 精神現象学 下

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    読み通すだけで一年三ヶ月かかった。
    キリストの死と再生と三位一体、ギリシャ悲劇「アンティゴネー」の解読(というのか?)などまで飲み込んでしまう破格の展開にびっくり。

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    2009年10月04日
  • 精神現象学 上

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    ただでさえ難しい内容の上、専用の辞書がいる直訳調の翻訳。「即且対自的」「自独存在」「対自存在」って言われて何のことだかわかります?長谷川宏「新しいヘーゲル」「『精神現象学』入門」、西研「ヘーゲル 大人のなりかた」を脇に置いてなんとか上巻は読み通す。★五つは読み通した自分へのご褒美。

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    2009年10月04日
  • 精神現象学 下

    Posted by ブクログ

    再読。
    しかしヘーゲルは苦手である。何度読んでもやっぱり苦手だなと思った。
    西洋哲学史上最も重要な代表作の一つとして尊重されている本書、最初の方は、「どうしてわざわざここでこんな概念を持ち出さなくちゃならないんだろう」と腑に落ちないながらも、まあ、すこぶる複雑な論理に知的興味を惹き付けられないでもなかった。しかし、ヘーゲルの言う「精神」は実体化し、いつのまにか共同体や果ては「国家」をも支える原理となってしまう。このへん、ルソーの「一般意志」とも共通点があるのかもしれないが、それと同様に危険な思想でもある。本書を読んでいると、あの「エーテル」というヘンテコな(誤った)当時の科学的常識が思い出される。
    最後の方は、人類の宗教(インド、エジプト、ギリシャ、キリスト教)を発展史的に解読してゆくのだが、ここではあの「歴史哲学」の西洋至上主義的傲慢さが顔を覗かせる。このくだりはかなり恣意的なのではないかという気がした。
    苦手とはいえ、ヘーゲルくんはあくまでも西洋哲学の巨人なのだし、本当はもっと違った読解が可能なのだろう。今回の再読でもまた、私はその「真の価値」をとらえることができなかった。
    いつかまた読み返して、あっと思い至ることができるだろうか?

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    2016年08月14日