服部英雄のレビュー一覧
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元寇の表から裏側まで、その詳細な経緯を学ぶことができます。前半では様々な文献資料から、その時に実際は何があったのか。タイトルにもありますように「神風」はあったのか。を知ることができます。後半では、実際に戦に参加した人が残された資料を元に、その人の立場に即した流れをつかむことで、リアルに元寇を知ることができます。また今日に残る現場の遺物を紹介されることで、この元寇を様々な角度から学ぶことができます。
「神風」について、嘘ではないが、真実ではない。読んでよく考えれば冷静に理解できることが、あの戦争のときには出来ていなかった。この悲劇を繰り返さないために、事実を知ることの重要性として本書の価値は高い -
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疑われることもなく『孫引き』されていた定説を、資料を丹念に読み解くことで否定していく。これはとても研究者として誠実な姿勢で好感が持てる。
もっとも、何故そこまで誰も定説の誤りを指摘出来なかったの?と言う疑問はとても残る(力のある人が主張していたからと言うことが示唆されていたが…)
ただし、「学界の定説を疑問視し、実証的に通説を否定していくことを使命」とまでいくと、それはそれで『先入観』ではないのか?という疑問は残る。
まあ、それはそれとして、絵巻を読み解いていくことで、文永の役、弘安の役の実相に迫るのが主題であるのだから、絵巻のカラー写真は入れて欲しかった。
元寇が『神風(台風)で船が -
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ネタバレ<目次>
序章 神風と近代史
第1章 日宋貿易とクビライの構想
第2章 文永の役の推移
第3章 弘安の役の推移
第4章 竹崎季長の背景
第5章 『蒙古襲来絵巻』をよむ
第6章 その後の日元関係
終章 ふたたび神風と近代へ
<内容>
元寇(蒙古襲来)について、淡々とした筆致ながら従来の説を撫で切りにしていく。神風は吹かなかったし、現地の武士はそうしたことは考えてなかった。日元両軍とも「神風の吹いた」翌日も戦っていた…。そして、『蒙古襲来絵巻』の有名なシーンが書き足しであったという説も否定する。絵具で結構書き換えていると(一部江戸時代の修復での塗りなおしはあったらしい)。そう -
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台風もしくは暴風雨は確かにあった。ただ勝った理由はそれだけではないだろう。その後も戦闘は続いて日本は辛勝だった。と言ったところか。歴史上の出来事をしかも1200年代なんて、正確に把握する事は困難だ。なので新資料が出てきたり、丹念に精査すると実は違ったというのは結構あるのだろう。そういう意味では学ぶ方もアップデートしていかないといけないかな。絵巻があってそこに色々書いてあったりするなんて、覚えていなかった。どこかに完全な形で残っていたりしないのか。他の人は絵巻を描かせなかったのか。何か新資料とか出てくると面白いのに。モンゴル帝国の本を読んだこともあり、興味深く読めた。当時の日本は貿易の事、捕まっ
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蒙古襲来(元寇)について、「文永・弘安合戦ともに暴風雨によって元軍は敗退した」という類の説(「神風」説)は、教科書や一般書はともかく、歴史学の本ではさすがに近年見かけなくなったが、本書は近年の研究に比べても旧説・通説に対して徹頭徹尾全面否定で、主要な論点についてことごとく新説を提起している。
その中でも特に注目しなければならないのは、(1)モンゴルの日本侵攻の当初目的は、日宋貿易による南宋への硫黄(火薬の素材となる軍事物資で中国では産出しない)供給を絶つためである。(2)文永の役では元軍の平戸・鷹島侵攻は確認できず、また戦闘は1日(文永11年10月20日)ではなく数日間にわたった(『関東 -
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蒙古襲来といえば、鎌倉時代に日本が、当時の国の名前で言えば「元」から二度の攻撃を受けて、それを見事に跳ね返した歴史的な事件として歴史で習う事柄です。私が初めて習った40年ほど前は、確か、二回とも台風が来て幸運にも助かったとのことですが、時代を経るにつれて変わってきたと思います。
曰く、一度目は偵察に来ただけで、自主的に引き上げたとか、二度目の来襲は台風シーズンを外して攻めてきたが、抑撃体制にあった日本軍が上陸をさせなかかったので、そのうちに台風が来たとかいうものです。
この本では、2つの来襲について、具体的な兵士の数の考察や、二度目の来襲(弘安の役)における台風は、両軍に対してどの程度の被