若桑みどりのレビュー一覧
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2002年に出版された本。フィクションに込められたジェンダロールは今や普通に作品批評の際に語られるものになってきたけど、おそらくその先駆けと言ってもいいと思う
有名なディズニープリンセスの白雪姫やシンデレラ、眠れる森の美女などから思い込まされている女らしさ、男らしさを考えて男女が平等に社会に参画するとはどういうことなのか、ということを書いている
何がびっくりしたって2024年の今でも全然、全然この見方が現役だということだ。悲しい…!20年経っても変わらないことが、悲しい!
でもこういうフィクションからジェンダーやフェミニズムについて解釈して語らう人が増えたことはうれしいし前進している部分だと思う。だからこそ、やっぱり構造のほうも変わってほしい -
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美術史入門としての位置づけの本らしいです。
本書を読んで思ったのは、一枚の絵からこんなにも話が広がるものなのか、ということでした。この絵を描いたのは誰で、いつ生まれていつ亡くなって、その時代にはこういうことが起きていて―
そういうことが一つずつ丁寧に説明されています。
美術って見た目の美しさが全てだと思っていましたが、違うんですね。少なくとも中世まで、絵は思想の表現手段の一つだったのだそう。でも、文章表現とは違い、そこに在るものが全てで、表現の幅がとてつもなく広いです。だから、美術を解釈するには、歴史・社会学・民俗学…等々いろんな知識が必要なのだとか。
現代でも、様々な画像やイラストが描かれていますが、一つ一つ、誰かが何かを思って、または考えて描かれているとわたしは知っています。美術も確かにそういうものなのかもしれないと考えるきっかけになりました。 -
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絵画・彫刻をはじめとするあらゆるイメージの、とりわけ「女性」というモチーフに何が求められてきたのかが古代ギリシャから現代に至るまで丁寧に分析されており、なるほどと(なんとなくわかってはいたことが明快に言語化されているが故に、結構ショックも受けた……)。特に、イギリス・アメリカ・フランスに於ける「自由」の捉えられ方、彼らの国家としてのアイデンティティの形成のされ方の違いを辿った上で、日本の公共彫刻に見られる謎の女性裸婦像を論じているのが面白かった。
あらゆる歴史上の国家・権力者の打ち出すイメージには当然のことながら(毒々しい・自分勝手な)メッセージが包まれていることを忘れずに、与えられたイメージを鵜呑みにして考えることを止めてはならないと強く思ったし、この貧しくなる一方の本邦において未だクールジャパンなどと独りで寂しく言い続けている様子に白けながら、この国の誇れるシンボルとは一体なんなのか、そんなものあるのか、作れるのだろうかとぐったりした。 -
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P63多くの女性は私的言語では雄弁だが、公的言語ではちんもくする
P130サービスが女性の天職だと多くの女性は洗脳されている〜多くの女性がリスクを負うことを嫌い、選ばれるのを待ち、未知に向かって行くことを恐れ、成功することを恐怖しているのと同じだとマドンナは分析する
P155責任のある教育者が化学的な性を教えることをやめているいっぽうで、暴力的な性文化が巷にあふれ、テレビやテレビゲームにあふれている。女性の人格を無視して、それをただの姓の対象としてみるような文化があふれていては、男子が成人に達したときには、すでに古いタイプの女性観が刷り込ませていることになってしまうのだ。
P199十八年または二十年、社会や学校や家族のなかで「女の子」として軽んじられて生きてきたなかで、自ら培ってきた、冷徹な批判能力、自己懐疑と強固な自我である。 -
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ネタバレ
Frozen 2やSixにはまり始めてから、プリンセスの表象についてもっと知りたいなと思っていたので。この本は少し古いんだけど、逆に白雪姫とかシンデレラとかディズニー初期作品の批評って今時なかなか聞かない気がして。
私が生まれたくらいの時の女子大の授業で扱われていた内容で、白雪姫やシンデレラを授業で見せた時の学生の反応がそのまま載せてあるのがかなり面白かった。
よく考えたら私白雪姫もシンデレラも眠れる森の美女も映画をちゃんと見たことない。もちろん大体の話は知ってるし曲も知ってる。でも何度か見ようとしたものの、のんびりゆったり平和な雰囲気が退屈で全然見られなかったんだよね…。ストーリーだけでなく曲調も含めて。
シンデレラ・コンプレックスについて書かれてある辺りで、先日楽しみにしていたDVDで見た梅芸版ファントムのクリスティーヌを思い出した。
『シンデレラは果たして自分が幸福をつかむために何か努力をしただろうか? 何の落ち度もないのに継母や継姉たちに召使い同然の不当な扱いを受けているが、そこから脱出を図った形跡はない。要するに不当な仕打ちにも「すなおに」ひたすら耐えていたわけだが、そうしているうちに魔法使いによってお城の舞踏会へ行くチャンスがめぐってきて、王子に見初められる。しかしここでもシンデレラは、「惨めな境遇からの脱出のいいチャンス」とばかりに果敢に王子にアタックしたわけではなく、しかもチャンスがせっかく到来したにもかかわらず、魔法使いの言いつけを守って途中で城から帰ってしまう。さらには、いなくなったシンデレラを、王子が国中を鳴り物入りで捜しているというのに、「それは私です」と名乗り出ることもせず、自分の目の前にガラスの靴が差し出されるまでただ待っている。』(p.304)
道端で歌ってたらシャンドンに見出され歌を習うためにオペラ座行ったのにカルロッタにこき使われそれでもいい子にしてたらそのうちファントムに見つかり歌のレッスンをしてもらえるようになり…って流れがシンデレラすぎて、しかもその先の流れは自分の「優しさ」「母性」みたいなものに対する過信の表れのような言動も出てきてちょっと気持ち悪かった…。あの作品は初演が30年前なんだよね。
白雪姫の女王の鏡が「世間=男の目」という見方はなるほどと思った。あれって当時の女性(今もかもしれないが)が鏡を見るたびに苦しめられてきた自分の心の声なんじゃないかと思っていたけど、それは男の期待に答えなければという焦りを反映したものだったのか。 -
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初っ端のシスティーナ礼拝堂天井画から本当に暗号解読みたいだなー!と思って感動しました
というのも美術館で天井画含めてルネサンス時代の絵画はそのまま聖書のワンシーンとしてのみ認識していたからです(そういう意味ではちゃんと真の目的は果たせている訳ですが)
言葉じゃ表せないことを美しい創作物として昇華して伝えるなんてロマンチックじゃないですか?色々と数学に通ずる部分ありますよね
その愛と情熱をもって提示されたイメージは、やはりそういう態度で誠意をもって理解しようとするのが受け取り手の義務だなと思いました
ってこれ人とのコミュニケーション上の礼節と本質は変わらんやないかーい
この本の主題からはズレるけどアダムとイブが人間になったときにお互いを恥じるのは裸で性器が丸見えなのを恥じているのではなくてお互いが違う存在だと気付いたことに恥じたんですよね
これって他者と自我の認識=差別の始まりで、この差別でずっと人間は苦しんでるからやっぱり人間の罪なんだなあと改めて思った次第です ただ、どこ読んで思ったかは忘れました
取り敢えずミケランジェロとレオナルドダヴィンチの本漁ります -
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本書では、西欧を代表する芸術家たち(ミケランジェロ、ダヴィンチ、ボッティチェリやデューラーなど)の傑作について、描かれた時代の歴史や思想的背景、そして画家の人間に対する思いが綴られています。著者は既に鬼籍に入っていますが、美術史家としての博識はもちろんのこと、芸術家がどういう思いで作品を描いたか、についての洞察に引き付けられました。
ダヴィンチの「岩窟の聖母」と「聖アンナと聖母子」について、前者の画中でキリストのそばに描かれたスミレの表すもの、そして後者で子羊と戯れるキリストを引き寄せようとする聖母の思いについての著者の解釈には心が震える思いがしました。
絵画に対峙するときに、その世界観をどう読むか。指針を与えてくれる素晴らしい本でした。 -
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クアトロ・ラガッツイの若桑さんの著書。絵画の鑑賞術を美術史の観点から解説するもの。誰もが知っている名画を題材に、歴史、宗教、文化、当時の世相や常識などから、画家のメッセージを解釈する楽しさを教えてくれる。(ここからネタバレ注意)例えばモナ・リザの背景には上部から緑豊かな自然、橋のかかった枯れそうな川、荒野が描かれているが、これは文明が興る以前、文明(建設)、そして滅亡を示唆しているという。そしてモナリザの微笑みは「私だけがそれを知っている」と言うものであり、故に人は惹きつけられるのだと(諸説あり)。こういう見方ができるようになると美術鑑賞が楽しくなるだろう。もっと早く知ってたらと思う。
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ここしばらく「男性性と女性性の結合」、「対立物の結合による全体性の回復」とか、ユング系のトピックを探究していたのだが、ちょっと気晴らしに若桑みどりさんの美術史の本を読んでみる。
という、つもりだったんだけど、読んでみれば、「美術史」というよりも、「社会におけるイメージの活用史」とでもいう内容で、その視点には、「フェミニズム」とか、「ポストコロニアル」みたいなのが入っていて、どっぷり「男性性/女性性」のテーマのなかにありました。(まあ、なにを読んでも、最近はそういう頭で読んでしまうわけだが)
この本で、対象とされるのはいわゆる美術だけでなく、より民衆レベルの戯画とかも対象だけど、著者の専門とする西洋というか、西欧の話しが多いですね。
ギリシアから始まり、中世〜ルネサンス〜フランス革命〜ナショナリズム〜ファシズムという流れで、政治とか、宗教とかのなかであらわれるイメージの分析。なかでも、「フェミニズム」という視点から、旧約聖書の外典にある「ユーディット」という女性英雄の分析(その絵が表紙になっている)とフランス革命期に市民のシンボルになった「マリアンヌ」の分析が冴えている。
公共の場に、彫像として何を置くのか、というテーマもしばしばでてきて、民衆に対する為政者のメッセージ伝達の方法として、重視されてきたことがよく分かる。
そういう流れの中で、最終章の東京の都庁をはじめとする公共の施設における女性の彫像の分析は、新鮮。著者も西洋的なイメージ解読のメンタルモデルを手放して、改めて、現実を見てみたという感じで面白い。
個人的に一番驚いたのは、本論からは外れるんだけど、キリストの母マリアに関する教義のところ。
マリアの処女懐妊は、聖書には明記されておらず、初期のキリスト教ではこの信仰はなかった。これが、長い論争の末、カトリックの教義として公認されたのは、なんと1854年であった!
え〜、処女懐妊って、そんな新しい話しだったの???みたいな。(公認された教義ではないけど、民間の信仰としては、かなり長い間あったものらしいが。。。)
この辺の話しは、ユングの「ヨブへの答え」で、「聖母マリアはキリストから天国に招かれて、身体のまま昇天した」という、いわゆる「聖母の被昇天」の教義が1950年に公認されたことに関する議論を最近読んだところだったので、面白かったな〜。
あと、キリスト教には、「予型論」という「旧約聖書のなかにある話しは、新約聖書のなかの話しとあらかじめつながっている」、つまり、予告編みたいなものであるという考えがあるらしい。
この辺は、「ヨブへの答え」で、ヨブの試練がキリストの誕生を準備したという話しと似ている。旧約聖書と新約聖書をつなげるのは、ユングの心理学的な解釈かと思っていたのだけど、キリスト教のなかにもともとそういう「予型論」というのがあって、ユングもある意味その連続性のなかにいたのだな、と思った。 -
Posted by ブクログ
美術作品を見るのは好きだけれど、どこをどう見ていいのかには、実際自信がない。
自立した読者ならぬ、自立した鑑賞者になりたくて手にした本。
でも、若桑さんの本は、多分これで三冊目。
で、読み終わった結論としては・・・
「自分でイメージを読み解くのなんて、無理」。
イメージの意味を読み解くには、その画家についてや、その時期の文化や思想にまで通じていないといけなさそうだ。
特に、この本は私にとってあまり馴染みのないルネサンス美術を対称にしているから、余計そう思ってしまうのかもしれない。
まあ、でも、最初のイメージを扱う三つの方法論(様式論、図像学=イコノグラフィー、図像解釈学=イコノロジー)について、概要を知ることが出来たのは収穫だったかも。