「居酒屋の闇の力」(la puissance des ténèbres d'un assommoir)という言葉には意外な、そして豊かな含意がある。「居酒屋」(assommoir)という語は、ゾラの有名な小説のタイトルと同じである。ゾラはファン・ゴッホが愛読していた作家であり、もちろん『居酒屋』も読んでいた。手紙を受け取ったテオも、この言葉がゾラの小説のタイトルであることに気づいただろう。また、「闇の力」もある文学作品のタイトルと同じなのである。ゾラの『居酒屋』ほど有名ではないが、「闇の力」はトルストイの戯曲のフランス語訳のタイトルである。このフランス語訳はファン・ゴッホのパリ時代にあたる1887年に出版され、さらに、翌1888年2月10日と17日、ファン・ゴッホがアルルに発つすこし前に、パリのテアトル・リーブル(自由劇場)で上演されていた。ファン・ゴッホがこの上演を見たかどうかはわかっていないが、彼はシニャックらとともにこのテアトル・リーブルに作品を展示していたこともある。当時のフランスではロシア文学が流行していて、ファン・ゴッホもトルストイやドストエフスキーの作品をフランス語で読んでいたことがわかっている。また、ファン・ゴッホは後の手紙にテアトル・リーブルがロシアもので成功したことも記している。 このような状況を考えれば、ファン・ゴッホとテオが、このトルストイの戯曲の上演を一緒に見ていた可能性すらある。もしテオがこの戯曲または上演を知っていれば、手紙の記述を読んだテオは「居酒屋の闇の力」という言葉から、その豊かな文学的連想を読み取っていただろう。『居酒屋』で主人公ジェルヴェーズの堕落を象徴する場は「コロンブ親爺の居酒屋」であり、『闇の力』で、どろどろした親族間の争いの中で殺人に手を染めていくニキータが酔いつぶれるのは、やはり居酒屋なのだ。 ファン・ゴッホがこの絵を描いた時、彼の脳裏にはおそらくこれらの居酒屋のイメージがあったのだろう。そして、「居酒屋の闇の力」という言葉を読んだテオも、「人が身を持ち崩し、おかしくなり、罪を犯しかねない場所」がどのような場所なのかを、その文学的連想と記憶から、鮮明な具体的イメージとして思い描けたにちがいない。