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名画の悲劇は美術史の知られざる裏の顔だ。修復不可能になったムンク《叫び》、2012年にアパートの一室から発見されたナチス御用画商の隠し絵画1万6000点、8万8000個の破片から再現されたマンテーニャのフレスコ画、フェルメール《合奏》を含む被害総額5億ドルの盗難事件……欲望と不運が綾なす黒歴史に詳細なビジュアルで迫る!
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Posted by ブクログ
1034円 青い日記帳(あおいにっきちょう) 國學院大學文学部文学科卒、Tak(タケ)の愛称でブログ「青い日記帳」を主宰する美術ブロガー。1年に300~400の展覧会を鑑賞し、レビューや書評など、幅広いアート情報を毎日発信する。展覧会や美術書のインフルエンサーとして講演、イベント登壇するなど、い...続きを読むまや美術業界では欠かせない存在。著書に『いちばんやさしい美術鑑賞』、『名画のひみつがぜんぶわかる! すごすぎる絵画の図鑑』、『マンガでカンタン!名画の見方は7日間でわかります。 西洋美術編』、『失われたアートの謎を解く』(監修)など。本名は中村剛士。 「一般的に世界的な名画は、売却が難しいため盗難には向かないとされるが、フェルメールはその希少性から、国家を動かすほどの影響力を持ちうると考えられてきたようだ。また、フェルメール作品はサイズが小さく持ち運びやすいことも狙われた理由としてあるだろう。しかし、過去の盗難が教えるようにいずれも取引きや売却に失敗している。フェルメール作品は図らずも「名画は闇のマーケットでは売れない」ということを実証している。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「ガードナー美術館のコレクションを作り上げたイザベラ・スチュワート・ガードナー( 1840─1924)は、ニューヨークの裕福な家の出身。 14歳でパリの学校へ入学すると、フランスやイタリアの美術を見て育つ。 20歳にしてボストンの名家、ガードナー家の三男と結婚。本格的に美術品を収集したのは、実父の膨大な遺産を相続した四十代を過ぎてからのことだ。約 10年間で作り上げたコレクションは、イタリア絵画を筆頭に、オランダ絵画や印象派絵画、アジアの美術品、ナポレオンの手紙やベートヴェンのデスマスクといった幅広いものだった。 1903年、彼女は 2500点に上る美術品を完成したばかりのヴェネツィアン・スタイルの邸館に陳列し、全ての人が作品を楽しめるように自宅兼美術館をオープンした。そんな彼女の遺言は、自分の死後も作品は永続的に展示し、 1点たりとも自分が陳列した場所から動かしてはならない、というものであった。この遺言ゆえに、盗難後も展示替えがなされることはなく、美術館には空の額縁が飾られることになった。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「第一次世界大戦を三年後に控えていた一九一一年八月二〇日、麦わら帽子をかぶった一人の若い男がルーヴル美術館を訪れた。パリ東部に住むヴィンチェンツォ・ペルージャ。左官職人として生計を立てるイタリア人で、《モナ・リザ》を盗んだ男だ。一九一〇年一一月から翌年の一月にかけての三ヶ月間、ルーヴルではナイフで作品を傷つけられるのを防止するため、重要な絵画にガラスカバーを施す作業が行われていた。ペルージャも出入りの業者として数週間その作業に関わった。そのため展示品の位置や出入口、守衛のスケジュールについて知悉していたと思われる。彼は他の多くの来場者同様、何食わぬ顔で入館し、計画通り展示室の死角になるバックヤードで一夜を明かす。翌八月二一日は休館日だった。作業する人の目を避けつつ、小さな倉庫を抜け出し、《モナ・リザ》が公開されているサロン・カレに侵入した。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「ヒトラーが異様といえるほど「芸術作品」に執着を持った背景には、少年時代の夢と挫折があった。ヒトラーの小さい頃からの夢は建築家になること。しかし成績は芳しくなく建築家になるための大学進学は難しい状況に陥った。なんとか受験資格を満たせるウィーン造形美術アカデミーの絵画科を探し出し受験するが、結果は二年連続の不合格。彼に与えられた評価は「知力貧弱・デッサン試験不可」「文句なく、画家への不適性」という散々なものだった。 表現主義の画家エゴン・シーレは、ヒトラーが受験に失敗したウィーン造形美術アカデミーに一年早く入学。芸術の都ウィーンでも、すでに表現主義は美術界の大きな潮流だった。古典的な表現しか認めないヒトラーとウィーン美術界の求めるものはあまりにもかけ離れていた。 ヒトラーは自分の芸術的な才能に自信があった。第二次世界大戦の勃発直前に「戦争屋ではなく芸術家として生涯を終えたいと思う」と語ったという証言が残るほどだ。芸術家を自負する自分に扉を閉ざしたウィーンとそこで評価されていた表現主義。この芸術のありようこそが、ドイツ人にとって諸悪の根源である──歪んだ芸術観と認められなかった劣等感は絡み合い、ヒトラーは手に入れた権力で芸術をひざまずかせようとしたのではないだろうか。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「バーミヤン遺跡と繰り返された破壊 仏陀が入滅して 500年間ほど、仏像は作られてはこなかった。「私を拝するな」という仏陀の言葉があったのだ。しかし現在のバーミヤン周辺には、紀元前後に多くの仏教徒が存在し、 2世紀頃には、バーミヤンの石窟寺院や仏像や仏教壁画などの制作も盛んだったと考えられている。 ガンダーラは仏像が初めて制作された地で、距離的に近いバーミヤンは影響を強く受けている。 しかしなぜ、このような大規模な仏教遺跡へと発展していったか。それには、 1 ~ 3世紀頃にこの地を支配したクシャーナ朝カニシカ王の存在がある。バーミヤンやガンダーラに住んでいた仏教徒は、騎馬民族の異教徒であるイラン系のクシャーナ朝の侵略のもとで、大きな被害をこうむり、その惨禍から逃れるために、仏教への帰依はより深まり、仏陀の姿を見たいという欲求が強くなっていた。そのクシャーナ朝の時代、世界地図的に見れば、その両隣には漢帝国とローマ帝国があった。交易の活発化が始まり、シルクロードが形成されていく。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「エドゥアール・マネは一八三二年生まれ。ドガより二歳年上である。裕福なブルジョア家庭に育ち、外出する際は黒のハットを必ず着用する紳士であった一方、頑固で譲らない性格をのぞかせるところもあったようだ。裸の婦人をはべらせた紳士たちのピクニック《草上の昼食》や、ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》をパリの娼婦に置き換えて描いた《オランピア》などの作品は、二一世紀の現在では傑作とされるが、厳格な道徳観に支配されていた一九世紀の美術界では、スキャンダラスな作品として、烈しい非難を浴びた。神話や聖書の世界ではなく、産業革命のもと近代化・都市化されていった生活風景をありのままに描いたことから、マネはフランス美術界に革命を起こした画家とされ、後の印象派画家たちの先駆けとなる。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「独創的で「新しい絵画」を目指す者としてお互い尊敬し合っていたが、生来の皮肉屋である二人の論争は、しばしば芸術論を超えた誹謗中傷に陥ることもあった。マネの「名誉欲」をドガが非難したかと思えば、ドガが女性に興味を示さないことをマネがからかうという具合で、カフェで激しく言い争う姿はたびたび目撃された。ある意味で喧嘩ができるほど心を許し合っていたともいえるだろう。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著 「ウジェーヌ・ドラクロワといえば、一九世紀の西洋美術史において、ロマン派の画家として世界的に有名である。しかし、二〇一五年に日本で開催された「ボルドー展」で来日した大作《ライオン狩り》を観た人は、強い衝撃を受けたに違いない。なぜなら、《ライオン狩り》は上半分が失われた状態で展示されたからである。 一八五五年、フランスで初めての万国博覧会が開催されることになった。ナポレオン三世率いる政府は、ドミニク・アングルやウジェーヌ・ドラクロワら自国が誇る美術を全面に押し出すことにより、フランスの歴史・文化における成熟度を対外的にアピールすることにした。ドラクロワが政府から一万二〇〇〇フランの制作費を受けて描いたのが一八四〇~五〇年代にかけて何度も取り組んだ画題の一つ、オリエンタル風の《ライオン狩り》だ。 博覧会が始まると、人馬や猛獣が画面上に高密度で入り乱れ、迫力あるダイナミックな構図の作品は大きな話題を集める。批評家のボードレールは「正真正銘の色彩の爆発」と最大限の賛辞を送ったという。万博終了後は、ボルドー美術館に収蔵されることに決まった。幼少期を過ごし、同地に愛着があったドラクロワは、生まれ故郷であるボルドーに作品が収蔵されることを大いに喜んだらしい。」 —『失われたアートの謎を解く (ちくま新書)』青い日記帳著
著者のブログが面白くて手に取った本。 美術品泥棒の漫画(エロイカ~)を彷彿とさせてくれたこともあり、最後まで飽きなかった。失われたアートや、盗まれたアートに思いを馳せることで、まだ失われも盗まれもしていないアートへの愛がわく一冊だった。
アートブロガーで有名な青い日記帳さんの著書 学者とは違った視点と切り口でアートの裏側を描く 面白いですよ!
盗難、戦争、略奪、劣化…様々な理由で失われたアートを解説。戦時中に消失した「芦屋のヒマワリ」について知りたくて読みました。 思想のために略奪や破壊を行うのは許せないけど、同時に作品を守り、復元に携わる人達が尽力していることを知れて良かったです。
失われたアートの謎、となっているけれど、謎解きではなくきちんとした史実でとてもおもしろい。 失われた作品、その軌跡。人の手によって壊された作品、その悲劇。そして、人の手によって奪還されたり修復された作品の数々。 現在ある作品たちが明日もあさっても同じ姿で観られる訳ではないことを、あらためて実感した。...続きを読むだからこそ、どんな小さな展覧会でも観たいものはチャンスがあるうちに観ておこう、と思った。 わたしの現在の心残りは、かつてベルギーを訪れた際にゲントの祭壇画を観に行かなかったこと。あの作品にも、収奪、奪還という歴史があったのか。大好きな作品をいつか、この目で観られることを願います。
あとがきには「主観を排し事実だけを〜淡々と綴る」と書かれているけれど、かなり演出がかっているというかドラマチックに書かれている印象でした。美術にそこまで興味がなくても推理小説や警察もの、戦争映画が好きな人も面白く読めるんじゃないかな。事件や政治との絡みが切り口なので。 読みやすいのに解説や図版がた...続きを読むくさんあって内容は薄くなかったです。時代や地域も様々で、青い日記帳さんってすごい方なんだな… 個人的にはモリアーティのモデルになった人の話とパリオペラ座の天井画の話が好きでした。
絵画はいつでも同じクオリティで見ることができるエンターテインメントだと思ってた。 ただ美しいとか、人間のものの見方の変遷を楽しむとか絵画を見て発見することを楽しむエンターテインメントだと思ってた。 絵画も他のエンターテインメントと同じように、 チャンスを逃すと次はどこで会えるのか 同じクオリティを楽...続きを読むしめるのか 約束されていないということがわかり 展覧会のチャンスは逃さず楽しもうと決めました。
モナリザ 1911年イタリア人左官工ペルージャによって ガラスカバーを施す業者として休館日に持ち出し 自宅アパートに2年間も保管 本人がイタリア人画商にモナリザをイタリアに戻す交渉 50万リラ=5.8億円相当を要求 ひび割れの状態で本物と判断 7カ月間の拘留後釈放 ムンク「叫び」 ...続きを読む5枚のうち2枚が強奪 1994年リレハンメルオリンピック開会式の日の朝、 オスロ国立美術館に梯子をかけガラスを割り侵入 ワイヤに吊り下げていただけ 悪人仲間の協力のおとり捜査で逮捕、奪回 2004年オスロ市立ムンク美術館 銃を持つ強盗により強奪 同時期の犯罪の首謀者からの情報で 「マドンナ」とともに発見 その後、4000万クローネ=6.7億円かけた防犯対策 ガラスケースに入れられている
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