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日露の脅威がせまる清朝末期の混沌に、馬賊は生まれた。混乱の中、軍閥の長となり中原への進出をうかがい、覇権を目指した「東北王」張作霖もそんな一人だった。虚飾にとらわれた従来の張作霖像を解体し、中国社会が包含する多様性にねざす地域政権の上に馬賊を位置づけ、近代へと変貌する激動の中国と日中関係史を鮮やかに描き出した意欲的な試み。
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Posted by ブクログ
澁谷由里「馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国」(講談社学術文庫) 馬賊出身とされ、中国東北部で清末から民国初期に政権を樹立し1928年に関東軍に爆殺された張作霖たちの伝記であり、馬賊とは何か、彼らと清朝、革命家、ロシア、日本との関わりを記している。 1. 馬賊とは自警団兼盗賊。地元の有力者がスポンサー...続きを読むとなり地域を保護するとともに管轄外の地域を襲う。日清、日露戦争で日本やロシアは傭兵として彼らを雇った。 2. 張作霖の祖父は山東省から今の遼寧省に渡った。父も無頼の生活の中で死ぬ。1975年に生まれた張作霖は無頼の生活を送るうち獣医の技術を身につけ馬の治療で評判を上げ、馬賊との縁ができたらしい。日清戦争に従軍したが敗戦で帰郷。地域の有力者、趙占元に気に入られその婿となる。趙は自警団を組織し、張をトップに据えた。ここから馬賊として活躍することになる。当時の馬賊仲間、張景恵(後の満州国総理)や張作相(満州国参加を拒絶)が後の奉天軍閥の中核となる。清朝の帰順政策に乗って1902年に清軍の一部となり、多くの馬賊集団を討伐した。1904年に日露戦争が始まると日本、ロシアともに馬賊を傭兵として活用した。清朝軍に属する張作霖は中立を守ったとされるが実際の行動には不明な部分がある。日本側についた馮徳麟は日本軍の仲介で1905年に清朝に帰順した。1907年には徐世昌が初代東三省総督として「満洲」の行政・軍事を総覧する。その中で袁金鎧が自ら組織した郷団(自警団)をベースに王永江らと警察組織を作り上げる。袁や王は張と連携し、前者が警察行政を、後者が軍隊として役割分担しながら満洲に勢力を拡張していく。1911年に辛亥革命が起きるが華北や満洲には影響は及ばなかった。当時の東三省総督は趙爾巽だったが袁金鎧は張作霖を奉天城に入れるよう趙爾巽に進言した。張の率いる軍隊と袁の警察・治安部隊は革命勢力を寄せ付けなかった。袁は王永江に警察の教育と運営を任せた。一方で北京では清朝の陸軍の長である袁世凱が溥儀を退位させ中華民国の北京政府を形成、満洲もその傘下に入る。張作霖も当初はこれを支持するが袁世凱が帝政を企てて失敗し、その後急死すると満州の自立化を図る。
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馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国
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