二人であることの病い パラノイアと言語

二人であることの病い パラノイアと言語

ビジネス・実用
792円 (税込)

3pt

3.0

フロイト精神分析を構造主義的に発展させ、20世紀の思想潮流にあって、確固たる地位を占めたラカン。本書は、ラカン最初期の1930年代に発表された五篇の論考を収録。「症例エメ」「≪吹き込まれた≫手記」「パラノイア性犯罪の動機」の三篇は、症例報告の記録性があり、明澄ですらある。現代思想の巨人の哲学の出発点を探るための必読書である。

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二人であることの病い パラノイアと言語 のユーザーレビュー

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    Posted by ブクログ

    ジャック・ラカンがとうとう文庫になった!と妙に感慨深く、早速購入して読んでみた。
    ラカンごく初期の、症例報告などが5編収められている。訳者は宮本忠雄・関忠盛両氏。宮本氏は訳者たち自身がラカンをぜんぜん理解していないという悪訳『エクリ』(弘文堂)の翻訳者の一人で、「戦犯」(笑)である。精神医学の専門家であって、思想や文学にはあまり明るくないと思われる。
    このごく初期の文章を読んでみてなにより衝撃的なのは、「ラカンが<ふつうの、わかりやすい文章>を書けている!」という事実である。
    従って後年のあの超難解な、文脈が崩壊したような文章は、言語障害によるものではなく、思考があまりにも飛翔しすぎて文章として破綻してしまっているのだということがわかる。
    症例として、エメ・A、マルセル・C、パパン姉妹が挙げられており、これらの名前は後年のラカンの著書で確か、何度か言及されていた。ということで、この本はラカンを読み込む過程で必要なものだ。
    ただし、ここでの分析はあまり深くなく、後年のラカンの着想からはちょっと遠い。
    最後の「家族複合の病理」は1938年頃のもので、これはちょっと「ラカン流」の色が出てきている。
    それにしても何故訳者は「複合」なんて言わず「コンプレックス」と素直に訳さないのか。「エディプス複合」なんてわざわざ言う必要がどこにあるのか。すでに「エディプス・コンプレックス」という訳語がじゅうぶんに日本で定着しているにも関わらず。これだから、専門馬鹿の学者さんは困ってしまう。

    0
    2012年01月09日

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