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キリスト教世界で「裏切り者」「密告者」の汚名を一身に受けてきたユダ。イエスへの裏切りという「負の遺産」はどう読み解くべきなのか――。原始キリスト教におけるユダ像の変容を正典四福音書と『ユダの福音書』に追い、初期カトリシズムとの関係から正統的教会にとってのユダと「歴史のユダ」に迫る。イエスの十字架によっても救われない者とは誰か。
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Posted by ブクログ
イスカリオテのユダに関する語源から芸術まで、ユダづくしの一冊。キリスト教におけるユダの位置付けの原理的な難しさを感じる。ユダはイエスを引渡した者であるという意味では確かに悪人であるが、そのユダの罪悪なかりせば死をもってみせたイエスの十字架の贖いも、その後の復活もないわけで…。 時代が下るにつれて、ユ...続きを読むダの評価が厳しくなるという事実はおもしろい。当初はユダの行為を含めて、イエスの辿った奇跡の一部とみていた可能性がある。後世の解釈次第でユダのポジションは大きく変わる。 でも、歴史の中のイエスはやはり正直に思ったのだろう。こいつ「生まれてこなければよかったのに」と。
救世主イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダ、その原始キリスト教におけるイメージの変遷を解説した書。正典四福音書およびそれに続く諸文書(使徒教父文書・新約聖書外典)、および『ユダの福音書』におけるユダ像を考察、それぞれの資料がユダにいかなる意味を与えたか、それらから逆算される史実上のユダ(「歴史...続きを読むのユダ」)の姿を説く。 本書は、原始キリスト教の諸文献におけるユダの描かれ方を追い、その変容と実情を解説したものである。キリスト教における「裏切者」「背教者」の代名詞として有名なイスカリオテのユダではあるが、その描かれ方は正典四福音書内においても差異がある。著者は各文書におけるユダの描写を丹念に抽出し、それぞれの作者(ひいては、それらを聖典とした初期教会)がユダをどう捉えていたのかを考察している。また、本書の巻末には石原綱成氏による『ユダの図像学』を収録し、古代~中世の美術作品におけるユダ像の実態を紹介している。 著者は四福音書のユダ記述を突き合わせることによって、時代が下るにつれて(他の使徒たちが理想的に描写される一方)ユダが「悪魔視」されていく傾向にある点を指摘、逆に成立が最も早いと考えられている『マルコによる福音書』においては、復活後イエスと再会する"十二"使徒の内にユダが含まれている(=ユダの裏切りの罪はイエスを見捨てた他の使徒の罪同様許されている)可能性が示唆されていると主張する。各福音書におけるユダ描写の差に着目したこの主張はなるほどと思い、イメージの時代的な変遷という意味でも面白く感じられた。ただ他の論点については(資料が元々限られていることもあり)憶測を投げっぱなしにしている箇所がいささか目立ち、それらを踏まえた「歴史のユダ」の復元像についても根拠に乏しいのではないかと思うのが正直な点であった(特にユダのイエスに対する「愛憎関係」、裏切りに対するイエスの「(呪詛を伴うような)憎悪」など)。また著者は総論として「正統的教会は自らの罪をもユダに負わせ、彼をスケープゴートとして教会から追放した」としているが、この「自らの罪」というのもいささか唐突に出てきた論点のように感じられた(恐らくは使徒の内から背教者を出したという「負の遺産」のことを指しているのであろうが、だとしてもそれがそのまま「教会の罪」となるかと言われると疑問である)。
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ユダとは誰か 原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ
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荒井献
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