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ゴーギャンとその祖母で革命家のフローラ・トリスタン。飽くことなく自由への道を求め続けた二人の反逆者の激動の生涯を、異なる時空を見事につなぎながら壮大な物語として描いたノーベル賞作家の代表作。
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Posted by ブクログ
フランスの社会運動家フローラ・トリスタンと、その孫であり芸術家のポール・ゴーギャン。作中ではこの2人の主人公の遍歴を交互に語る形で、物語が進んでいく。 活動した時代や領域は異なっているものの、この祖母と孫の生き様は驚くほど似通っている。周囲の無理解や抑圧に苦しみながらも、自らの理想の世界(作中ではと...続きを読むきに「楽園」として描かれる)を貪欲に追い求め、しかし志半ばで力尽きる。無謀だと思いながもその生き方に説得力を感じてしまうのは、史実として語られる出来事の隙間を満たす、作者の創造力の成せる技なのだろう。そもそも、この一見ちぐはぐとも言える祖母と孫を照応させて魅力ある作品を組み立てる試みに、作家としての嗅覚の鋭さを強く感じさせられた。
長い小説だけど、もう少し読みたいもう少し読みたいと、惜しむように読んだ。 読み終わってからも、しばらく余韻が残った。
暑くなると、ラテンの文章を読みたくなる。 ゴーギャンの章が特に良い。肌にまとわりつく熱気と湿気。彼は求めていたものを手に入れたのか?
原田マハの「たゆたえども沈まず」、サマセット・モームの「月と6ペンス」とはまた違ったゴーギャン像 -- 芸術はパリの芸術家や批評家、学者、収集家たちによってはめこれている、窮屈な型や小さな視野を打ち砕かなければならない。
自らの意思を徹底して貫くという生き方は、どうしようもなく苦しいものだ。 意思を貫き自分の理想とする楽園へと突き進む道のり、それはまさに地獄の道である。 楽園への道とは、地獄なのだ。地獄が楽園へと誘ってくれるのだ。 そう考えると、楽園と地獄は表裏一体なのかもしれない。
画家ゴーギャンとその祖母のフローラの話。2人の物語を交互に紡いでいく。長編だったにも関わらずあっという間だった。あれだけ長い道のりを一貫した気持ちで生きた、と言うところに無駄がなく羨ましい。仕事頑張ろう!と、まぁたまには休んでもいっか!と繰り返し思わせてくれる作品。
やっと読み終わった〜(1ヶ月以上かかった) 実在した人物、女性社会改革運動家のフローラ・トリスタンと、その孫で画家のポール・ゴーギャンを題材にした小説。 フローラは19世紀パリ周辺、ポールは主にタヒチが舞台。フローラは労働者の団結を呼びかけ各地を回る。ポールはブルジョワの地位を捨て絵を描く。異なる...続きを読む時代を生きる2人が「反逆者」として生きてきた過程を章ごとに交互に描いている。 リョっさんの作品を読むのはは『街と犬たち』に続き2作目。正直なところ、読みながらもうラテアメ文学はしばらく読まない!と決めたほど読み進めるのが大変だったけど、読後感は悪くない。あとがき読むとリョっさんの他の作品読みたくなってきた。(やめとけ)
たぶん本書の「正しい邦題」は、「楽園への道なかば」、だと思う。 「ここは楽園ですか」と問うが、 「いいえ、楽園は次の角ですよ」と延々先送りされてしまう。 叛逆者ふたりは、ふたりとも、至れない。 楽園、なんてばかばかしいね、と生まれた瞬間から白けていた読者が、【1983年生まれが、2017年に読む】...続きを読む(何を見ても、はいはい「ここではないどこかへ症候群ね」) 楽園、という概念は発生当初から頓挫していたのだ、とわかっている現代の作者が書いた、【1936生まれが、2003年に書いた】 楽園、を求めて場所も身分も移動した画家の、身体的・精神的挫折や(とはいえ人食いへの無邪気な憧れは保たれていた)、【1848年生まれ1903年死去】 楽園、という概念を、宗教に依拠せず、労働者と女性の団結を通じて実践しようとした近代の行動家、【1803年生まれ1844年死去】 を読む。 社会やニュースに疎い私だが、精神や気分やイズムへの傾倒やがいかに変容したかを、実感した。 フローラ・トリスタンは高潔な生き方を字義通り必死に行おうとしているが、 被害者面の裏に、実のところ他人を騙したり、子に対しては加害者と同様の仕打ちをしたりしている。 またポール・ゴーギャンは、家族を蔑ろにし、エキゾチスムへの憧れの背後で、 少女略奪(14歳が好きなんだね!)を始めとし、野蛮人への憧れと裏腹の差別に導かれているという、西洋的簒奪を嘆きつつその一部でもあった。 どちらも純粋でもなく純白でもない。 強者が弱者を毟り取るという社会の構図の中で、ふたりとも可能な限り強者であろうとし、性格上不可能な場面では弱者だった。 弱者(労働者/芸術家)としての発言だけでなく、強者(なんだかんだ恵まれた生まれ/西洋人)としての振る舞いも書き落としていない、のが「長い小説」としては優れている。 また、対位法。 衰えつつある者が、その活動に至る経緯や活動初期の活気を思い出す、という小説の構図は、 いわば人生の開始と終焉を網羅するという意味で、正しく伝記であり正しく歴史小説である。 それでいながら死去の瞬間の本人の思考を追うという意味では、伝記や歴史を逸脱した、正しい小説なのだ。 さらには祖母と孫の人生の対位法で、個人を離れ人類へ、という目論見も。 さらには、性の少数者というテーマ。→反権力。 同性愛や男-女への希求は、権力的マチズモへの明確な反旗のサインだ。 作者が21世紀に書き上げてくれたおかげで、前世紀の先進的なジェンダー意識は、更新されながらも今後百年通用するに違いない。 リョサの得意とする時間のねとねとした融和ではない、奇数と偶数は独立しているが、同じ本に仕立てられたことで物質的に融和する、それが精神的に融和する、おお、これはテキストファイルではありえない、本ならではの愉しみであった。 「おまえは……だよね」と語りかける語り手の口調は、優しくて、よい。 また語り手→作者に拠って考えれば、バルガス=リョサの作品にはマチズモへの極めて有効な反旗が多数描かれている。 マチズモはもはや南米特有ではなく、日本にも「濃い霧」のように侵食しつつある風潮なので、頻繁に思い返す小説になるであろう。
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