Posted by ブクログ
2015年02月08日
17世紀フランスの貴族、ラ・ロシュフコー公爵フランソワ六世のお小言集。モラリスト文学などと称される、商業化以前の文学ジャンルです。
ロシュフコー家は王室のすぐ次の上席を占める大貴族でしたが、ブルジョワ革命前夜のこの時期の宮廷では、田舎司教から成り上がったリシュリュー、イタリア出身で国内に地盤のな...続きを読むいマザランといった実力派が台頭しており、封建貴族のたそがれ時代であったようです。
不遇の貴族が不平不満をぼかしつつも語るという"あれもいかん、これはけしからん"スタイルはイスラムのコーランに近いものがありますが、著者ロシュフコー公爵のひねくれっぷりが素敵です。これもまた知識人的態度といえましょう。
近刊"他人を攻撃せずにいられない人たち""プライドが高くて迷惑な人"が評判を取った精神科医の片田先生がこれらロシュフコーの箴言を随所で引用しておられます。
◆解説より
○「私は読書を好む」(「自画像」)というラ・ロシュフコーが、戦いの合間の休息や隠棲の日々を過ごしたヴェルトイユ城の豊かな蔵書には、もちろんキケロもセネカもあった。彼らの説く結構な美徳に対して、対人関係でさんざん苦汁を飲まされてきたラ・ロシュフコーが、懐疑と反発を抱いたであろうことは、想像に難くない。これに反してエピクロスのアタラクシアには共感できたであろうし、諸家が指摘するように、モンテーニュは彼の愛読する作家だった。
◆箴言
○哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服する。
○自分が偉いときめこんでいる人の思い違いを正してやることは、港に着く船は全部自分のものだと信じていたあのアテネの狂人に人びとがしたのと同じくらい、けしからぬおせっかいである。
○あの男は恩知らずだ、ただし彼の忘恩は、彼が悪いというよりも、むしろ彼に恩恵を施した男のほうに罪がある。
○誰かからいったん善いことをしてもらうと、その人に悪いことをされても甘受しなければならなくなる。
○自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である。
○われわれは、どちらかといえば、幸福になるためよりも幸福だと人に思わせるために、四苦八苦しているのである。
○何かを強く欲する前に、現にそれを所有する人がどれだけ幸福かを確かめておく必要がある。