Posted by ブクログ
2010年04月09日
私が今までで最も影響を受けた人物であるダグラス・ラミスさんの最新作。
前著でラミスさんがガンジーの憲法案を研究していることはしっていて、その時に私も疑問を持つことができたのですが、この著書はインドでの研究結果を論文にしたものをベースにして書かれたものです。
前著で持った疑問、それはガンジー率い...続きを読むる非暴力・不服従運動により独立を獲得したインドが、何故暴力をもつ近代国家への道を歩んだのか、ということ。
私は詳しくは調べていなかったから知らなかったけど、暴力をもつのかもたないのかという議論さえも残っていないということで、ラミスさんはそこに疑問を感じていて、インドの研究機関から呼ばれたことを機に研究を進めはった。
ガンジー本人はやっぱり、独立後も暴力を持たないことを最後まで主張していたらしい。
彼の描いたインドというのは、その当時残っていた昔ながらの伝統的な村に主権をわたし、その上にある国家機関には村々をアドバイスしたりリードしたりという権力しかもたない。それこウェーバーが言ったような「正当な暴力」を有すると主張するような国家ではない。そして70万の村はそれぞれ共和国として生きていく。
インドの村はかなり発達していたらしく、それぞれの村でほとんど自給自足していたし、その中にきちんと警備員なども組織されていたらしい。だから、ガンジーはイギリスからの支配から解放されなければいけないけれど、それぞれの村を残したまま、そして暴力は持たないまま発展すべきである。そう唱えていた。
結局、ガンジーは暗殺されてネルーは普通の近代国家への道を歩む。
しかし、ガンジー自身は自分のビジョンが理想主義だから達成できなかったのではなく、「説得できなかった」ことに原因があるとする。つまり彼の描く理想郷は達成できないものなのではなく実は現実的で達成すべきもの、そして達成可能なのであるが、人々に納得してもらえるまで説得することができなかった、ということ。基本的にこの立場はラミスさんとかなり似てると思う。影響されたのか元々そうなのかは知らないけど。
だから、ネルーをはじめとして国民会議が普通の国家へと歩みはじめたとき、ガンジーは絶望して自らの死を意識しだした。「何故神はこの現実を観察させるために私を生かすのだ」と。
国際政治や世界史を勉強していれば、暴力を持たない国家などただの理想郷でしかないと一蹴していまいそうになる。でもそれはただ世界史や政治史というのは戦争の歴史であって、そこに描かれていない社会もたくさんあって、そこには非暴力で平和を勝ち取ってきた人々の行動もある。少なくともガンジーはそう言う。
そして何よりも、インドの独立という歴史的事実がある。
非暴力、不服従。
そこにはガンジーが暴力よりも強力だといっただけの力はあるのかもしれない。
ガンジーはインドがイギリスに植民地化されている原因はイギリスの強さよりむしろインド人が服従していることにあるという。イギリス人のつくる法律を守り、イギリス人が作る作物を買い…
だから協力するのを辞める、それが大きな力になると。
王様にしてもその人を王様と従う人がいなければ彼は王様ではなくなる。
ラミスさんも述べるようにマルクスのプロレタリア革命論と通ずるところがある。
レーニンを経てマルクス主義は暴力革命を肯定するものだと受け入れられているけど、実はマルクスは暴力革命については述べていない。
面白すぎた。さすが私の教祖ラミスさん。
ラミスさんはガンジーの非暴力革命論、スワラージ等、今の世界における市民社会に使えると論じている。
その可能性というのは、先進国社会の働きすぎの労働者、圧倒的多数の途上国の被抑圧者を解放する可能性であると思う。
押し入れの奥底に眠ってるガンジー自伝を引っ張り出して読もう。
マルクスもやっぱり自分で頑張って読みたい。
その後継者がどのようにマルクスを修正したのかも。