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満州事変時の吉林総領事、上海事変直後の上海総領事、そして日中戦争勃発時の東亜局長と、悪化の一途を辿った日中関係の最前線にあって、軍部独走に抗しつつ和平の道を模索しつつも、最後は敗走のビルマ大使として終戦を迎えた外交官が、日記をもとに綴った第一級の記録。 〈解説〉加藤陽子
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Posted by ブクログ
日本語表現・分かりやすさ5/5。内容の価値5/5。 素晴らしい。あふれる機智とユーモア。また、昔の人だからなのかどうなのか、文章に味がある。例=「この電信は、私には官歴の晩鐘と響いた」(p.240。シャム公使が決まった際)。 ワシントン会議時にワシントンDC勤務。満州事変時に吉林省(満州)領事...続きを読む。日華事変時に東亜局長。ナチスのオランダ侵攻時にオランダ公使。終戦時はビルマ大使(イギリス機の機銃掃射を避けながら命からがらタイに脱出)。面白くないわけがない。 そこここで以下のような人々がフラリと場面に入って来ては二言三言言ってスタスタと出て行く。幣原喜重郎、山本五十六、広田弘毅、松岡洋右、大島浩、昭和天皇……。 昔の外務省には一橋出の人が意外に多かった。 ロッテルダム空襲の死者は3万人との記述ある(p.340)が、Wikipediaでは900人とされている。戦後、公職追放解除の訴願のために書き始めた文章だそうであり(Wikipedia「石射猪太郎」)、日独伊を悪く言いたいという傾向の故の筆の走りか? それにしても数字の差が大き過ぎる。 幣原外交を高く評価し弁護するわけだが、シビリアンコントロールが利かないという日本国の病根への考察はないように見える。
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