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友人とゲイパレードを見に来ていた青年、菱屋修介は、晴天の空にアポカリプティック・サウンドが響くのを聞き、天使が舞い降りるのを見た。次の瞬間、世界は終わりを告げ、菱屋は惨劇のただなかに投げ出された。そして彼が逃げこんだ先は自分の妄想世界である月世界だった。多数の言語が無数の妄想宇宙を生み出してしまったこの宇宙を正しく統一しようとする神の策謀と、人間は言語の力を武器に長い戦いを続けていたのだ。
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Posted by ブクログ
言語SF。このジャンルは初心者だが、とても楽しめた。現実と虚構とが入り混じり、感想としては何を書いたら良いのやら。全然わけがわからないのに、感動すら与えてくれる不思議な本。とにかく素晴らしいので読むべし。
月というのは夜空を見上げるとそこにある黄色い円盤、そしてアポロが画像を送ってきたあの荒涼とした衛星。しかし、それとは別に実は月世界というものはあって、うさぎが住んでいたり、かぐや姫がそこに帰ったり、大砲クラブがズドンと行ったり、ブロウチェク氏が気づいたら到達していた世界なのである。月はその周期性に...続きを読むよって正気を示しつつ、他方、その怪しい光で同時に狂気を体現する。 菱屋修介はゲイだが、密かに心を寄せる啓太に誘われ、LGBTのパレードを見にいったとき、世界が終わる。世界の終わりを拒否して菱屋は妄想世界に逃げ込む。つまり「月世界」に。 さて、世界n+1は、第二次世界大戦で敗戦したときに日本語が消されてしまい、その事実さえニホン人が忘れている世界。ニホンはアメリカの一州に併合されており、安保闘争の代わりにニホンの独立運動が起こっている1975年。菱屋修介の異本(ヴァリアント)、言語学者ヒッシャー・シュスケットはニホン語がかつて存在したのではないかという疑惑を調べ出す。調査をやめるように恫喝する官憲。その背後には神がいるらしい(ここでは表示できないけど旧字体の神である)。革命家の枠田宗治の異本であるワクートはニホン語再興こそが独立の要と知り、現実に働きかけ実体化させる力としての言語を身につけつつあるのだった。 ヒッシャーは日本語で書かれたという『月世界小説』に出会い、それを読むことで、世界n−1に移動する。そこは冒頭で菱屋が入り込んだ「月世界」だ。月世界では人間の軍隊が〈駱駝〉というメカのようなものと言語兵器で戦っている。これはどう考えても“月の沙漠を旅の駱駝が行く"というイメージから来ているのだろう。月の沙漠って月じゃなくて地球にあるんだが。 解説は山田正紀が書いているが、神と言語学者が戦うというのは『神狩り』を彷彿とさせるし、神との戦いが言語戦であり物語戦であるのはこの話がメタフィクション化していくことであって、筒井康隆の影響大ということもできる。『月世界小説』の筆者は実はヒッシャー/菱屋なのだ。また、神と対抗する言語を扱うということからかつてユダヤ民族が神により迫害され、いまやニホン民族が迫害されているといい、ニホン人が流浪の民となる小説への言及は、小松左京へのオマージュだ。 1975年の過激派による武力抗争の世界は学生運動に乗り遅れてしまった世代の牧野修のノスタルジーのようでもあるし、アメリカ属国となっているニホン民族を特権化するストーリーは優れて同時代的な批判とも読める。 人間は言語によって世界を認識し、言語によって妄想を紡いで世界を構築する。そしてその妄想世界の登場人物も言語によって妄想を紡いでさらに別の世界を構築する。という具合に無数の平行世界が柘榴のように存在するというのが本書の世界観。神の目指すところはすべての平行世界から言語を消し去ること。 脚注弾とか落丁爆弾による攻撃に曝されながら主人公たちは物語る力によって戦う。冒頭、主人公をゲイとしたのは何の伏線か気になっていたのだが、一応ワケがある。 遙か彼方で収束する物語、その遠方感は、小松左京的であり、山田正紀的である。
友人とゲイパレードを見に来ていた菱屋修介に突如その轟音は響いた。空から無数の天使が舞い降り終末の喇叭を吹いている。地面は大きく揺れ、高層ビルは軒並み倒れた。どこからともなく炎に包まれた巨石が降ってきて、裂けた大地から人の顔を持った飛蝗が這い出てきた。人々の悲鳴が聞こえる。眼の前で友人は体を分断された...続きを読む。 「月へ行こう」 菱屋修介はそっと目を閉じる。現実から逃れたいときはいつもこうしてきた。幼少の時から積み上げてきた妄想の世界は自由自在だった。月世界の男が話す世界の理、神々との対抗。それは「言葉」の争奪戦だった。 SFといわれると困ってしまう作品だ。なにせ人と神のガチンコ対決なのだ。創世記のバベルの塔に着想を得ていて、神々が人類から言葉を奪ったのは神々でもコントロールの出来ない人類の発明故と語られる。言葉の普及を神は恐れている。そして打倒神における最重要武器が「ニホンゴ」だというのだ。 破茶滅茶な粗筋からは想像できない冒険譚。菱屋修介が再び目を開けたとき、目の前に広がるのは神々の残虐なのか否か。
ちょっと読みにくい部分もあるけど、SFの醍醐味を感じる読みごたえある作品。 これだけ大がかりな世界観で、言語そのものやら歴史やら神やらと向き合うのに、最初と最後は、小さな望みしかもたない恋心にぎゅっとフォーカスされる、その落差と、だからこそ感じる、大事なものは何か的な潜在的な問にやられる。
トンデモ設定なSFだけど元ネタが実際の出来事だったりするのでかろうじて理解できる感じ。 一気読みしないと世界観に取り残される。 しかしなんでSFって”ぬらぬら”の表現を使われることが多いんだろうか?(←別にこの作品内で頻出というわけではなく、ふとした感想)
言語を使い、物語を語ることで神と戦うっつー話。平行世界的な構造をとっているわけだが、その世界に上位も下位もない。そういう概念を理解するのに時間がかかったが、あとは楽しめた。悪夢のごときビジュアルと、冒険的空気に満ちた神との戦い。確かに神狩りのオマージュか。
言語SFと呼ばれてるのが気になって初牧野作品チャレンジ。「物語を語る」事によって言語を武器に神と戦う人類。なぜニホン語はこの世界から失われたのか。 メタと言いますかー……言語によって多重世界が、そして物語が、繋がり、重なり、拡散して、収束する。その全シーンで描かれる妄想世界の密度が濃くてげっぷがでる...続きを読むほど面白かった!(こういうパラレルワールドっぽいのが元々好きなので)今も余韻にひたって楽しんでます。 ああそうそう。読んでる途中、エンデの某作をちょっと思い出しましたね。
1975年。米国領ニホンの大学院生ヒッシャーは、ジョン・ディーという老人が読めない言語で書いた一冊の本をきっかけに、現在英語を公用語としているニホンにもかつて独自の言語が存在したことを知る。国土回復運動に参加するワクートに誘われ、ニホン語研究を始めようとしたヒッシャーだったが、「警視庁公安課神学対策...続きを読む室」を名乗る黒づくめの男たちに追われ……。言葉を奪おうとする〈神〉との闘いを描いた言語SF。 面白くなりそうな雰囲気を漂わせながら、そのまま尻つぼみで終わってしまった。リーダビリティが高い文体で、地球人の現実逃避によって生まれた妄想の月が人から言葉を奪おうとするという設定は面白かった。 小説が言葉によって書かれるものである以上、言語をテーマに掲げる小説はメタフィクションにならざるを得ない。メタ展開には読者がキャラクターと切実さを共有しづらくなるという難点があるが、本書では菱屋=ヒッシャー(筆者のもじりなのかな)が創作世界を必要とした理由付けが最初になされる。だが、逃避先もユートピアなんかではなく、むしろ菱屋の性向をより厳しく規制する世界だという捻り。テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」の設定を安保闘争の時代の日本に適応させた感じなのだが、〈我々を許さない神〉が他国の神であるというのも皮肉が効いているところだろうか。 言葉に宿るイメージを駆使して戦う月の戦争パートもよかったけど、ルィナンが操るポリイや《王女》が語る物語のような詩情を地の文にもだしてくれたら、もっと盛り上がった気がする。
言語によって築かれる多重世界。統一を謀る神の軍団と抗う主人公達の戦いの話、という解釈で良いんでしょうか?結末もよく分からなかったので、後半を読み直してみようかなと思ってます。
物語が変容しながら枝分かれしていって、どこまで壮大に成長していくのかとワクワクする感じ。枝分かれしたいくつかの物語が最終的に一つに結実するわけだけど、そこが力技な感じがした。
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