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アラブの春は、宗教勢力の反動を呼び、中東は未曾有の混乱に陥った。“あの「革命」は徒労だったのか?” ムバラク政権崩壊から三年。人気の絶えた広場に再び降り立ち、革命の意味を模索しながら無残な失敗とも思える出来事について考察する。著者の堪能なアラビア語は、人々の本音を次々と引き出す。ジャスミン革命と紫陽花革命の比較等、3.11後の日本を考える上で示唆的な内容も含む。第12回開高健ノンフィクション賞受賞作。
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Posted by ブクログ
[春よ、いずこへ]世界中の耳目と賞賛を集めながらも、のちの政治的混乱などから今ではその季節は終わりを告げたと捉えられることが多い「アラブの春」。革命は徒労だったのか、という問いに対し、中東各地を取材し、生の声を聞いた記者が綴ったルポルタージュです。著者は、カイロ支局での勤務をはじめとして、長年にわた...続きを読むり中東地域に関わり続けてきた田原牧。第12回開高健ノンフィクション賞受賞作です。 自身も活動家であったことが影響してか、カイロを 始めとする都市を訪ね歩いた末に著者が導きだす「革命とは?」との問いへの回答には興味深い示唆がありました。また、特にアラブの春以降の中東情勢が簡潔にまとめられていますので、複雑と見なされることの多いこの地域について知る一歩としても役立つ作品だと思います。 因果関係をはっきりとさせないままに行われる日本とアラブの比較、その比較の土台となるアラブの春に関する思索に関して、その枠組みからチュニジアがほとんど抜け落ちていることなど、欠点もないわけではありませんが、そういった諸点を含めて、日本人のある知識層が持つアラブ感の一端を如実に示す一冊でもあるように思います。少し穿った見方かもしれませんが、まがりなりにも中東やアラブに関わる人間として、思わず考えさせられるところが少なくありませんでした。 〜革命が理想郷を保証できないのであれば、人びとによって最も大切なものは権力の獲得やシステムづくりよりも、ある体制がいつどのように堕落しようと、その事態に警鐘を鳴らし、いつでもそれを覆せるという自負を持続することではないのか。個々人がそうした精神を備えていることこそ、社会の生命線になるのではないか。〜 なぜこの本に「ジャスミン」と銘打ったのだろうか☆5つ
田原牧(1962年~)氏は、北海道生まれ、麻布高校在籍時に都内の定時制高校の統廃合反対運動に参加し、明大政経学部に進学したものの、新左翼セクトとの揉め事で大学を追われた。その後、小規模広告代理店勤務、フリーのジャーナリストを経て、中日新聞社に入社し、湾岸戦争、ルワンダ内戦等を取材。1995~96年に...続きを読むカイロ・アメリカン大学アラビア語専科留学、1997~2000年に中日新聞カイロ特派員、また、同志社大学一神教学際研究センター客員研究員、季刊誌「アラブ」編集委員等を務め、東京新聞(中日新聞東京支社)特別報道記者。紙面では戸籍名の田原拓治名義でも執筆している。2014年に出版された本書で、開高健ノンフィクション賞を受賞。 本書は、2010年末から2012年にかけてアラブ世界で発生した「アラブの春」を取材するために、2011年末~2014年初に、エジプト、シリア等の国々を繰り返し訪れ、著者が見、聞き、感じ、考えたことを綴ったノンフィクションである。同時に、日本において、東日本大震災による福島第一原発事故をきっかけに、2012年に発生した反原発デモ「紫陽花革命」にも触れ、社会運動・革命とは何なのかについて考察している。 「アラブの春」は、チュニジアの「ジャスミン革命」を発端に、北アフリカから中東のアラブ諸国にほぼ例外なく広がったが、その規模は、チュニジア、エジプト、リビアのような政権の打倒に至った国から、サウジアラビアのように小規模な抗議運動に留まった国まで、様々である。そして、「アラブの春」後の情勢は、エジプトのように強権的な軍政権に戻った国があれば、シリア、イラクのようにイスラーム過激派組織(ISのような)が台頭し混乱が広がった国もあり、その結果は「アラブの冬」と呼ばれることさえある。 各国の状況は異なる中で、取材の中心となったエジプトでは、(事実をシンプルに整理すると)2011年初に大規模な反政府抗議運動が発生し、わずか17日後に30年以上続いたムバラク政権が崩壊、2012年初までに段階的に実施された総選挙で「同胞団」が圧勝し、同年6月に同胞団幹部のムルスィーが大統領に当選した。しかし、ムルスィー政権は、公約になかったイスラーム化政策を進める一方、リベラルな公約を反故にし、市民の不満は募った。その傍ら、軍は独裁政権時代の力を維持しており、2013年初夏に同胞団政権の退陣を求める市民運動が始まると、軍は事実上のクーデターでムルスィーを解任したが、その後、独裁政権時代の実力者たちが息を吹き返し、2014年初夏には軍総司令官だったスィースィーが大統領に就任、現在に至っている。 この事実だけ見れば、エジプトは3年前に戻っただけのようであり、著者は、まず「すべては徒労だったのか?」という問いを立てるのだが、長年の中東駐在経験に基づく人脈と知識、更には堪能なアラビア語を駆使して取材を進める中で、そうではないという結論に至るのである。それは、「革命の意味はその結果ではなく、過程にこそ宿る。・・・それは革命の主人公である民衆一人一人の変化だ。人間が強くなることと言い換えてもよい。革命の理念が成就すること、あるいは自由を保障するシステムが確立されることに越したことはない。それに挑むことも尊い。しかし、完璧なシステムはいまだなく、おそらくこれからもないだろう。・・・革命が理想郷を保証できないのであれば、人びとにとって最も大切なものは権力の獲得やシステムづくりよりも、ある体制がいつどのように堕落しようと、その事態に警鐘を鳴らし、いつでもそれを覆せるという自負を持続することではないのか。個々人がそうした精神を備えていることこそ、社会の生命線になるのではないか。」ということだ。 そして、この点において、「アラブの春」と日本の「紫陽花革命」の残したものは、基本的に異なるとするのだ。 「アラブの春」で起こった事実を理解するのは、アラブ世界における、宗教(イスラーム教)はじめ、部族や国やその歴史についての深い知識がないと難しい。が、本書において著者が伝えたかったことは、おそらく、その詳細な事実ではなく、アラブ世界においては、我々日本人が表面だけを見て理解するのは難しい、様々な背景があるということと、何より、こうした社会運動は、たとえ表面は変わらなく見えても、人と社会を変えるのだということであろう。 読み終えて、小熊英二のベストセラー『社会を変えるには』をふと思い出した。 (2024年6月了)
2002年にイランに行って以来、つとめてイスラムとは何かについて理解しようとしているけれど、未だに確たるものは無い。2014年の開高健賞受賞作品であるこのノンフィクションは、その意味でも出色である。アラブの春とは何だったのか。エジプト、そしてシリアの今の姿を、市井の人を通じて分析するこの一冊はここ数...続きを読む年ではピカイチのイスラムノンフィクション。そして、傍目にはとても成功したとは思えないエジプトの抗議運動から、日本の反原発(そして今なら反安保)デモを浮かび上がらせ、日本人に足りないものを間接的に指摘しているようにも思え、その視点に共感する。 筆者は1960年代産まれだか活動家としての前歴を持ち(つまり革命家としては挫折し)、またトランスジェンダーであることもカミングアウトしている。マイノリティの王道(変な言い方だけど)を歩んできたことでこそ得た目線が、こう言う見方をさせるのかな、ともちょっと思った。
ジャスミン革命から3年。2014年までのアラブの現地の様子を垣間見れる貴重な書。実際に現地に足を運び、現地の人の声を丹念に拾っている。これこそジャーナリズムだと思う。
あまりにもアラブの国々、イスラム教についてわからないので、なんとかもう少し理解を深めたいと思っている。 少し前に内田先生と今話題の?中田考さんの対談本「一神教と国家」を読んだ。 これからも、関心を持っていきたい。 わかりやすく書かれていると思うが、わりと読みづらかった。著者の経歴も気になった。東京...続きを読む新聞も最近気になっていたところだし。 スンナ派とシーア派の区別だけでも、高校時代からどっちがどっちか混乱しているのに、スンナ派の中も分かれていて・・・ちょっと覚え書きとして書いておきたい。 スンナ派は四大法学派に代表される伝統主義とサラフィーヤに分かれている。 伝統主義というのは著名なイスラーム法学者による教義の解釈を権威あるものとして認め、それを伝承していく潮流。 サラフィーヤはそうした伝統主義が初期のイスラーム精神を歪曲させたとみなし、教団そのものともいえるイスラーム共同体(ウンマ)が成立した当時の預言者ムハンマドと教友たちの純粋な精神の回復を目指している。 キリスト教にたとえると、前者はカソリック、後者はプロテスタントに近い。 サラフィーヤにも、大まかに三通りの傾向がある。一つは現実政治から距離を置いて宗教的戒律を厳格に守ることに固執するワッハーブ主義(サウディアラビアの国教)に代表される流れ、二つ目は政治には積極的に関わるが、あくまで今ある国民国家の枠組みを前提とする同胞団系の潮流だ。三つ目が最もラディカルで、民族や国境とは無縁だったウンマを早期に解決するためにイスラーム圏での近代国境を廃止し、共同体の歴史的な運営方法であるカリフ制を最高させようという勢力。 166ページ アラブの春とは直接関係ないが、個人的に引用しておきたい部分。原発は反対と思うが、きちっとと言葉にできなかった。この部分を読んだとき、「そうだそうだ、私も自分の言葉でこういうふうにまとめたかった」と思ったところを引用しておく。 ”原発が許されない根幹の理由は、そのシステムが被爆労働者という人柱を生み出し、過疎地へ危険を押し付けるという何重もの差別を不可欠とし、さらに放射性廃棄物という始末に負えない毒物を将来の世代に丸投げするという非倫理性にこそある。” ー 93ページ
なんとなく物騒なところという認識でしたが、少し頭の中が整理されました。イスラム国の背景も少しわかったようです。しかしそこに生きる人々の現実は厳しいです。
この本を読んで分かったことは、自分はイスラム教について、また中東についてあまりにも素養がないことでした。難しい固有名詞がたくさん出てきて、読み通すのは苦しかった。
イスラーム国というキーワードを読み解くためには、中東の現状を把握しなければならないと思い立ち、本書を手にした。アメリカの中東戦略の徒花とでもいうべきアルカイダがテロを起こし、イスラーム国樹立に至ったのが2014年。9・11のアルカイダのテロに大義などないが、同様に報復したアメリカのイラク戦争にも大義...続きを読むはない。 イスラームは神という絶対的な他への完全なる服従によって、我執からの解放、すなわち絶対的な自由を獲得しようとする思想、だという。そこで異物の排除が生まれる。それはタクフィール(背教宣告)というイスラム教で定められた猛毒(虐殺)さえも容認される。民衆に牙を向ける運動の過激化はイスラムに限ったことではなく、クメール・ルージュやセンデロ・ルミノソ、ひと昔の日本の新左翼セクトの恐怖支配との類似性に救いのなさを感じざるを得ない。
時系列も場面もあちこち飛ぶし横文字多いしで非常に分かり辛い本だった。しかし、終章だけは読む価値があった。革命の本質とは何か、何が重要なのかが分かった気がした。
「アラブの春」がもたらしたものはなんだったのか、という問いに対しては、民衆一人一人の変化であり、革命とは必ずしも体制の変化ではなく、自分たちの力でいつでも現状を変えることができる、という自信を持つことができるようになること、ともいえるのではないか…というのは大変興味深かった。 文章がちょっと読みづら...続きを読むかったな…抽象的で長々とした表現が多かった。自分の知識が追い付いていないからというのも大きな理由だけれど、それにしても文章が頭に入って来づらかった。
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