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手話は世界共通? 手話はジェスチャー? 実は手話は文法をもち、国によって異なる複数の言語。手話を言語の一つとしてとらえ、ろう者の豊かな文化世界のフィールドワークへ出かけてみよう。文化人類学者が案内する異文化世界への旅。
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Posted by ブクログ
ほとんどの人(健聴者)は、手話がたんなるジェスチャーだと思っていたり、あるいは万国共通だと思っていたり、そうでなくともアメリカの手話とイギリスの手話が(英語の国だから)同じだと思っているのではあるまいか。さにあらず! 本書は、平易な語り口で、手話、そしてろう者の世界を紹介する。 著者の専門は文化人類...続きを読む学。アフリカでフィールドワークをしていた。それが、どのような経緯で手話とろう者の世界にのめり込んでいったのかに始まり、手話の歴史、ろう学校での手話教育vs.口話教育のせめぎ合い、ろう者の文化、そして世界の手話とろう者のことが平易な語り口で紹介されている。 岩波ジュニア新書にふさわしい、よく練られた一冊。
この本を読んで、障害って無意識に障害が無い人より劣った可哀想な人っていうのは偏見なんだという事が分かった。よく、同性愛は障害じゃないよみたいな言われ方するけど、その言い方自体障害者に偏見持ってそうな感じがして違和感があった。同性愛者には同性愛者の世界観があるし、障害者には障害者の世界観があるだけだか...続きを読むら自分達より劣っているみたいな考え方は間違いだと思った。 亀井伸孝(かめい のぶたか) 1971年生まれ.東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究員.日本手話研究所外国手話研究部研究員.手話通訳士.京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了.理学博士.専門は,文化人類学,アフリカ地域研究.著書に,『アフリカのろう者と手話の歴史――A・J・フォスターの「王国」を訪ねて』(明石書店),山田肖子編著『アフリカのいまを知ろう』「ろう者と手話」(岩波ジュニア新書)など. 「 ちょっとした「お客様」の気分でこのような風景を見つめていると、なるほど、自分が知らなかったもうひとつの自然なことばの世界があるのだな、と気づきます。つまり、ろう者は「音を聞くことができないきのどくな人たち」というよりも、むしろ「音を使わない言語と文化をもった人たち」なのだ、という見方に出会うのです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「また、文化人類学は、ある集団の外側から文化を見るだけでなく、集団の内側の人たちの視点で物事がどう見えているかをつかみとることを得意とします。聞こえる教育者にとっては、口話か手話かというのは、せいぜい「どちらの方法を選んで教えるか」という技術的な問題に見えていますが、ろう者の目から見れば、それは「自分たちの言語と存在が否定されるかどうか」というくらいに重大な問題に見えています。その重大さを、ろう者のまなざしに近い立場で理解することができます。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「手話は劣っているに違いないから、学ぶ必要はない、そういう思い込みがまた手話への誤解を生む、というような悪循環はやめて、実際の現象を直視しようと文化人類学は提唱します。そのためのよい方法とは、まず自分でろう者の集まりを訪れて学んでみるという、参与観察の姿勢です。遠回りに見えるかもしれませんが、聴者がろう者という他者について直接的に理解を深めるためには、それがもっとも早道なのです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「 「耳が聞こえないより聞こえた方が幸せだ」と思う人にとっては、この手術は朗報ということになります。実際、人生の途中で聴力を失い、音を聞く暮らしに戻りたいという気持ちが強い人などの場合には、試してみたいと思える技術でしょう。 最大の問題は、この技術の背景に見え隠れしている、手話への誤解と否定の思想です。「聞こえないことは不幸だ」「早く手を打たないと、手話しか話せなくなってしまう」と、手話を話すろう者たちをまるで欠陥品のようにとらえる見方が、今なお聴者たちのなかにあります。最近も、耳鼻科医の団体の幹部が「五歳までに難聴が治らないと、言語がしゃべれなくなる」「一般的に字も読めなくなる」「想像力や考える力は耳が優位である」という講演をし、ろう者の全国組織が抗議したという事件がありました。このような手話に向き合う気のない人こそ、まず、手話の世界での参与観察の経験を積んでほしいものです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「音声を話すことが人間としての幸福につながるはずだ、手話を話す生き方などなるべくない方がいいと信じて疑わない、聴者たちの幸せの押し付けがおそろしいと感じるのです。ろう者たちの歴史観では、ミラノ会議、ベルの優生思想、手話否定のろう教育といった、聴者たちによる一連の誤解と否定の歴史と同じ姿勢がそこに見えています。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「自分たちが少数派となり、多数派の幸せを強要される側になったときに、初めてその気持ちは理解できるのかもしれません。人工内耳を警戒するろう者たちのことを「医療の恩恵を拒否する偏屈な人たち」のように見るのは、聴者の立場を一歩も出ていない自文化中心主義の姿勢です。ろう者が受けてきた受難の歴史や、それゆえに共有されている歴史観を含めて、文化全体の中で理解する文化相対主義の視点をもちたいものです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「社会のなかの少数派という視点で見ていると、ろう者は社会の片隅で静かに暮らすせまい世界を作っていると想像する人もいるかもしれません。しかし、ろう者の世界は意外に広く、聴者たちが想像していないような世界史や国際交流のネットワークをもっています。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「たとえば、西アフリカのナイジェリアは、一説には五〇〇もの音声言語が分布していると言われる超多言語国家です。そして、「ナイジェリア語」という統一言語はありません。しかし、ろう者たちはこのような民族の多様性とは関係なく、ろう学校でナイジェリア手話を身につけます(ただし北部にはハウサ手話という別の手話があります)。手話が国の名前をもっていることが多い背景として、このように音声言語の種類、分布、歴史とは関係なく、ろう者だけの言語集団を作ることができるという事情が関わっているようです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「一つの国の手話のなかに方言がいくつもある場合も、放送や教育での使用のために標準手話を整えた方がいいか、多様なままがいいかなどの議論があります。言語政策に関わることでもあり、標準化を進める例もありますが、その方針については、当然のことながらろう者たちが中心になって議論しています。 「手話はどうあるべきか」はろう者たちが決めていくことであって、手話について十分な知識をもたない聴者たちが、軽がるしく意見を差しはさむべきテーマではありません。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「なお、「ろう者は、外国のろう者と会うと、すぐに話ができるようになる」という見方がありますが、これには少し注意が必要です。まず、手話は世界共通のジェスチャーではないので、日本のろう者と外国のろう者はそれぞれ別の手話をもっており、お互いに通じません。ただし、手話の中には、 CLでの「細長い物」「球状の物」の表現のように、視覚的に物事の特徴をとらえた要素がありますので( 2章)、それらを多く使えば、言語の違いを越えて通じる場面が増えます。さらに、ろう者はいつもことばの通じない聴者たちを相手にコミュニケーションをすることが多いので、これで通じなければ別の方法でというふうに、表現を柔軟に使い分けることを得意とする人が多いようです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「また、ラポールは、なにも調査のために利用して、終わったらポイと捨ててしまうようなものでもありません。縁あって、私はろう者の妻と一緒に暮らすようになりました。仕事、友人、家族、さまざまな場面でろう者との関わりが増え、手話とは一生のお付き合いとなることでしょう。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「異文化理解のためのキーワードラポール 文化人類学者がフィールドワークをするときに必要なのが、対象集団の人びとと仲よくなることです。何か月も、時には何年も生活を共にして学ぶので、仲よくならなければ調査を続けることができません。調査の滞在を通して対象となる人たちとの間にできる信頼関係を「ラポール」と言います。ラポールができると、ふだん聞けない本音を教えてもらえたり、外部者が見てはいけない儀礼に参加することを許されたり、調査の幅と奥行きがぐっと広がります。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「そこまでしないとしても、文化人類学者がラポールに導かれ、何十年も同じ村に通い続けるということはよくあります。噴火や震災などの災害時に救援に駆け回ったり、恩返しに村に学校を建てたり、文化を紹介するための博物館をいっしょに作ったり、ラポールは「調査」の範囲をこえて、研究者がさまざまなアクションへとふみ出していくもとになることもあります。「観察して学ぶだけ」にとどまらないこともある、文化人類学者の姿のひとこまです。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「この本では、ろう者の言語と文化の世界を広く見わたしてみました。目新しいおもしろい話題もあれば、少し厳しい現実もあったかもしれません。手話のことをほめすぎるでもなく、さりとて苦しいことばかり強調するのでもなく、ろう者が生きている文化の全体像を、ろう者コミュニティの内側の実感とともに紹介しようと心がけました。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著 「私が二四歳、大学院の学生の頃、フランスのろう者たちを描いたドキュメンタリー映画『音のない世界で』(ニコラ・フィリベール監督、一九九二年)を見て、そこに聴者たちの知らない自律的な言語と文化があるということを、ショックとともに知りました。どうやら、そこに耳が聞こえる私たちが知らなかった何かがあるらしい。そう確信した私は、異文化への好奇心ひとつで、手話の世界に飛び込みました。ろう者の手話が分からないのはくやしいので、ろう者たちの集まりがあれば必ず出向き、手話が分からなくてもその会話のなかに身を置いて、ひたすら慣れるようにしました。いっさい音や文字に頼らないで手話を見るぞと心に決め、テレビの音を消し、画面に紙を貼って字幕を隠し、手話の番組を毎日見続けました。」 —『手話の世界を訪ねよう (岩波ジュニア新書)』亀井 伸孝著
手話サークルの仲間(手話歴的には大先輩!)が「読むべき!」と貸してくれました。 著者の亀井さんは、Twitterではビシビシと厳しい(激しい?)印象ですが、こちらの本は岩波ジュニア新書なので、中高校生あたりを対象にした優しい雰囲気が全般的にただよっています。怖くないですよ〜。 もちろん、優しい口...続きを読む調の背後には、豊富な知識と経験とデータ、厳しさと覚悟が感じられます。 手話ついて、ろう者について漠然と興味を持った中高生や、地域の手話講座を受講し始めた人、民生委員さんなどなど、あらゆる人にお薦めできる本です。 「テレパシーの国」の例から、新井素子の「あの懐かしい蝉の声は」を思い出しました(『イン・ザ・ヘブン』収録)。ほとんどの人が第六感を持っている世界で、それがない人は“障害者”とされ、第六感を持つために手術をされる……というような内容の短編です。素子さんも聴覚障害を意識して書いたとあとがきにありました。ちなみに「あの懐かしい……」の初出は『SF JACK』(2013年)らしいです。偶然だとしたらすごいですね。もっと長編で読んでみたいなぁ。
文化人類学者が、手話を異文化と位置づけ、その世界を案内するというユニーク切り口の本。 フィールドワークの入門本と言った方がしっくりくる気がします。 「フィールドワーカーには、そもそもプライドがありません」 この言葉にグッときました。
これは読んで良かった。映画の「CODA」を観て手話というかろう者の世界に興味を持って読んでみた。手話は自然言語である事、ろう者の中に一人だけ聴者の自分がいたら自分がハンデを持つ側になる事などを理解して、自分が浅はかな理解を持ってたのが良くわかった。なんならろう者はハンデのある人たちだから助けてあげな...続きを読むいと、くらいに思ってて思い上がってた。恥ずかしい。とまあ色々教えてくれた、手話を異文化として捉えたとても面白くて素晴らしい本。多言語としてとても興味あるな、手話。
手話についての考え方や歴史、ろう者への理解が深まる1冊。手話へ偏見なんて持ってないと思っていたけど、そうでもないことに気付かされる。
書いてあることは確かに手話の世界では基本的なことなんだろうけど、ジュニア新書にするにはちょっと内容が難しいかもしれません。書き方の問題なのかな。業界用語を説明せずに使ってしまうあたりは、ジュニア新書に目立ちますね。 大学生ぐらいで、手話に興味を持った方におすすめです。 聴覚障害者福祉の本ではあり...続きを読むません。あくまで、手話を言語としてどう見るか。手話の歴史はどうなのか。 そこら辺りが平易(業界人が読めば)に書かれています。 読んで損はありません。 本格的な勉強にも、ひまつぶしにも、どちらにも役立ちます。
「手話の世界」の全体像が捕らえられる。世界では、日本では、歴史的には、文化としての手話、言語としての手話などなど。筆者は文化人類学者。奥様はろう者。
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