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千利休亡きあと茶の湯の天下一宗匠となった古田織部。侘びから一転、豪快にして軽妙洒脱な織部焼をはじめ、茶の湯に新奇の流行を巻き起こした武将織部の数寄の極致と、慶長年間の乱世を生きた実像を描く。
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Posted by ブクログ
へうげもの、の古田織部について、実在した織部の姿、武士としての側面ではなく、茶人としての姿を描き出そうとするもの。なかなかいいです。
古田織部の茶の湯の流儀に技術的なところも含めて、詳細に触れている。 時代の流行りも触れているので、大きな流れのようなものも把握できる。(唐物から和物の陶器へ) 華やかである意味は破壊的に斬新さがある桃山文化を具現化しているのか。 古田織部は最後に自刃することになるが、そのあたりは本著のスコープではな...続きを読むい。あくまでも茶の湯のKnowledgeが中心なので、それはそれで統一感があっていい。 利休からの流れで、何を守って、何を変えたのか、を押さえておきたい。 以下引用~ ・山上宗二は室町時代の唐物絶対主義の茶の湯の信奉者であり、利休は室町時代の美学に従って茶の湯界に創作の新天地を開拓した人であり、織部はまったくの創作の茶の湯の楽しみに耽った人であった。 室町から桃山と進む茶の湯界の革新と進展は、この三人に集約されている。 ・利休が古典の唐物主義を打破して、創作へと一歩大きく踏み込んだのも還暦を迎えてからのことであったが、織部もまた同様に、価値観の定まらない創作物を誰はばかることなく見事に使いこなして、多くの賛同者を得ていくのは、還暦を迎えた慶長年間になってからであった。 ・かつての脇役、花入と水指の分野が、創作茶陶にとっては造形の上で最も面白い器であると映ったのは、茶人ばかりではなく陶工においても同様であったろう。むろん、備前焼の陶工が最も気を入れて創作したのも、この二つの器であったことは、遺品が暗黙のうちに物語っている。 ・ファッショナブルな茶陶をつくりだす美濃焼と、ファッショナブルな茶の湯を演ずる古田織部の間には、「今様」をともに目標としていた点で、強い紐帯で結ばれていた。 ・「茶の湯は仕様は古をもっぱら用い、茶の湯の作意は新しさを専らとすべし」利休
利休の始めたことをさらに推し進めた古田織部の茶の湯における創意工夫のさまを、茶会の記録を詳細に拾って唐物偏重から今焼(慶長年間に勃興してきた美濃焼・唐津焼・伊賀焼など)への転換と各々の茶道具ごとの活用の有り様を通じて解説していく。 古田織部が天下一の宗匠とされるのはそれ以上にうまい人々が亡くなったか...続きを読むらだと酷評する細川三斎はさすがだなと思った。 (元の角川叢書からは第五章が省かれているという)
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