Posted by ブクログ
2009年10月07日
誘拐モノの小説にはあるルールが存在する。
推理作家の西澤保彦氏いわく、万にひとつも模倣犯が現れぬよう、わざと犯行過程に実行不可能な手順を紛れ込ませておく、のだそうだ。
本作でいうならば、それは「100億円の身代金」「劇場型犯罪」「慈愛」である。
和歌山に山林を持つ、大地主の柳川とし子を誘拐した犯人...続きを読むグループは当初5000万円の身代金を用意させるつもりだった。だが、とし子に「自分はそんなに安くはない」と一喝され、家族に100億円を要求する。
まず、ありえない。
そして、警察の手による犯人確保の隙を作らせないため、
身代金受け渡し等の一部始終をテレビとラジオに生中継させる。
劇場型とよばれるメディアを使った犯罪…これもありえない。
そして「慈愛」。
人質からのアドバイスや巨額の身代金など、
映画化もされた本作はその奇想天外な部分がクローズアップされがち…だとは思うのだが、この作品の本質はこの「慈愛」にあると思う。
それは、とし子を助けようとする人々であったり、
とし子を尊敬する人々であったり、
犯人がとし子に持つ秘められた思いだ。
この「慈愛」だけは、どんな模倣犯も真似することはできない。
それがこの小説を読めば分かる。
ミステリー史にその名を刻む名作を読み終わったあと、
思ったのはそんなことでした。(泉)