なんとなく知ってるけどほんとは知らない人、宮本常一。この新書を手にしたすぐ後に日経新聞のthe STYLEに取り上げられたのも不思議な気がします。日本中を旅して民衆が語る物語を聞いて書き残した人、でも柳田國男のような民俗学の始まりのアカデミズムを感じる訳でもないし、折口信夫のような文学に繋がる古代研究みたいな業績でもないのかな?という、もうちょっとカジュアルなイメージを勝手に持っていました。それは彼が自らを「山口県大島の百姓」と自称し権威的な立場をいっさい取らなかったことによって生じた誤解なのかもしれません。大阪の小学教師だった彼を、東京に作ったアチック・ミュージアムに呼び寄せ入所させた渋沢敬三の教え「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役を務めていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある」を全うしたこと、それが宮本常一の存在の核なのだと知りました。そしてそれが来年の生誕120周年の前年に召喚されている理由だと感じました。「コスパ」「タイパ」という効率化、そして最短で知識を繋ぎ合わせるAIの時代に収まりの悪い、っていうか全く逆の方向性のスローな知、非常に刺激的で魅力的でした。後に批判の対象となる成長についてのオプチミズムの素朴さにも温かみを感じました。その一言では言えない”Who is 宮本常一?”を彼に影響を受けた人々の仕事を通して描く著者の手法にも感心しました。それがジブリどころかスピッツの草野マサムネやアジカンの後藤正文まで拡がっているのです。まったく関係ないけど最近覚えた「カルチュラル・アクティビスト」という言葉を当てはめたく(絶対、使い方間違ってますが!)なりました。宮本常一は学者でも文学者でもなくカルチュラル・アクティビストだ、と。