Posted by ブクログ
2014年10月08日
この本には大いに不満がある。内容にではない。内容はつとに素晴らしい。素晴らしいだけに、その素晴らしさを表現出来ていないタイトルに大いに不満がある。
この本は日経ビジネスオンラインでウェブ掲載していた文章を加筆修正してまとめたものだ。そのときのタイトルは『生きるために読む古典』だった。
このタイトル...続きを読むは素晴らしいと思う。内容を端的に、的確に表現したものだ。こちらのタイトルは日経ビジネスオンラインの名編集者・山中氏が付けたものらしい。
本になってタイトルが変わったのは出版社が違うからか。その辺の事情はよくわからないが、こちらのタイトルは出版社の方が付けたものらしいから、なるほどこの本に対して愛も思い入れもないのだろう。
それにしても、まるでこの啓蒙書のような薄ら寒いタイトル。これで果たしてこの本が売れたのかどうか。本当にこの本を必要としている人が手に取ることができたのかどうか、はなはだ疑問だ。
この本はバリバリのビジネスマンが、今よりもっと「強く」なるために古典を読みましょう、という内容ではない。「生きる」という基本的なことにすら必死で、藁をもつかもうともがいている病人のような人に、そっと差し出すおかゆのような本だ。
さて古典の紹介本というと、どんな内容を想像するだろう。
この本を書いた人はこういう人で、こういう時代に生きて、こんな時に書かれて、内容は4章に分かれていて、最初はこういう話、次にこういう話、最後にこういう結論になっていて、この世界ではこういう位置づけでとらえられている…
完璧だ。パーフェクトだ。だが、この本では古典はこういう風に紹介されない。
書いた人のことは教えてくれる。内容もちょこっと出てくる。だが、ほとんどは「岡さんがこの本を読んでどう感じたか、どういう読み方をしたか」という内容に終始している。紹介本というより、エッセイに近いと言ってもいいかもしれない。
私は、学校での国語の成績が良かった。とりわけ、「作者がどう考えていたか」系の問題は得意だった。それは、先生受けするような内容を適当に羅列するのが得意だったとも言える。
だから、岡さんの読み解き方は斬新だった。がーんと頭を打ち据えられたと言えば良いのか。
岡さんの古典の読み方は自由だった。あくまでも自分が主体で、自分に必要な読み方をしていた。
作者が絶対に意図していないような読み方だって平気でしていた(もちろん、岡さんはそれを承知でそういう読み方をしている)。
「古典」が、学校でいい成績を取るためのものではなく、「生きるための道具」として活用されていた。
そうだ、これが、本来の読書だ。
古典のイメージと言うとどんなものだろう。
難しい。ちゃんと読んだことがない。教科書で見た。
大凡こんな人が多いのではないか。そしてそういう人に、古典をちゃんと最後まで読み切ったことがあるかどうか聞いてみたい。おそらく、ほとんどの人は首を傾げると思う。
いや、こんな言い方は良くない。私が実はそうだ。それなりに本を読んできたつもりではあるけれど、内容を聞きかじって読んだ気になってる本がほとんどだと思う。
だけど、この本を読むと、そういった本を、ちゃんと「自分の目で」読みたくなってくる。
そこには、岡さんが読み取ったような内容とは違うことが書かれているかもしれない。いや、きっとそうだ。私が生まれて生きてきた中で育まれてきた人生観、道徳観、価値観、それによって同じ本でも、きっと違う風景が見えてくるはずなのだ。
wikiを見れば、その本がどういう内容かはすぐ分かる。けれど、自分の目で見てみたときに、きっとそれ以上に得られるものがあるはずなのだ。
いや、そういう読み方をしてもいいのだ、私だけの、かけがえのない古典がその時生まれるのだ。
岡さんの、この本に出会って、そのことを学んだ。これは本当に良い本だ。