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1高在学中から西田幾多郎に傾倒し、宗教文学に一境地を拓いた劇作家倉田百三(1891-1943)の代表作。浄土真宗の開祖親鸞を主人公とし、生き方に悩む多くの若い人々の心を捉えた本書は、のち各国語に訳され、海外にも数多くの読者を得た。ロマン・ロランのフランス語版への序文を付す。改版。(解説=谷川徹三 注・年譜=鈴木範久)
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Posted by ブクログ
設定は史実と合わないけれど、そして、戯曲を読むのははじめてでしたが、とても面白いです。すべてお預け申して、祈り、ですね。祈り、の概念は、浄土門系の書物では、私はここではじめて合いましたが、よかったです。
信心には一切の証は無い。 面白かった。古い言葉が多いし脚本調だったのもあって、最初は中々進まなかったけど、半分くらいまでいくと一気に読めた。 親鸞がいいこと言いすぎて困る。 そして登場人物全員涙もろ過ぎる。 左衛門が改心するのではなくその息子の若松が親鸞に弟子入りする設定が良かった。 仏でも...続きを読む恋はするのか。
救い難い極悪人であると自覚して生きていく親鸞に共感。 ここまでストイックに信じることが出来るか、今、自分自身を試したい。
親鸞の後半生を、弟子の唯円の視点から綴った戯曲。20世紀初頭にあって、浄土真宗の教えとキリスト教的慈愛と赦しとが通ずることを見抜いていた倉田百三の慧眼に感服します。 親鸞の教えは、とても純情です。 印象的だったのは恋愛に関する箇所。親鸞と唯円とのやりとりは、現代人の感覚でいえばウブだと思われるか...続きを読むもしれません。でも「何人も異性と関係を持った方が、経験値が上がる」とか「童貞乙www」なんてうそぶく人間よりも、親鸞や唯円はよほど愛について真剣で本質的なのだと思います。 ほんの200ページだけど、仕事や恋愛、親子関係や死など、言及されるテーマはとても広いです。まっすぐさ、純情さに胸を打たれました。
厳しい物語だ。 生きることも、残ることも逝くことも。 否とも是とも言わぬラストの言葉をどうとらえるのか。 それがすべてだろう。 キリスト教では是でなければならず、浄土真宗では・・・・ふうむ。深い。
非常に有名な戯曲作品だが、これまで読んだことがなかったのは、戯曲自体がさほど好きではないためと、宗教がテーマになっているのでつい敬遠してしまったためかもしれない。 しかしこれは日本文学が誇るべき傑作だった。誰もが読んでおくべき本である。 親鸞が登場し、一応浄土真宗の思想をベースにしているが、厳密に史...続きを読む実を追っている訳でもないし、浄土真宗を専門的に解説しているわけでもない。どうやら、この作品での親鸞の思想は、仏教とキリスト教が混ざり合ったような、一種の普遍的な「宗教」イメージである。その点、仏訳版に際しロマン・ロランが書いてある通りだ。 しかも宗教のドグマを一方的に示してくるわけではない。市井の人間のさまざまな悩みを普遍的なかたちで扱いながら、まさに「生きた」思想を生み出そうとしている。 感動的である。 最後の最後に至っても、親鸞の息子は信仰を拒否するが、そうしたすべての現実を認めつつ、親鸞は「それでよい。みな助かっておる」と微笑んで死んでゆく。意外で深みのあるラストだ。 この本は人生について考え始める若い頃に読んでおくべきだったかもしれないが、大半の人物が口をそろえて「寂しい、寂しい」とつぶやいているその心情は、私はこの年齢(42歳)にしてようやく身につまされたのかもしれない。 これを書いた作者は当時27歳。日本文学の奇跡のような作品である。
・・・・・書きかけ・・・・・ 倉田百三は、ちょうど120年前の1891年(明治24年)2月23日に広島県の北東部にある庄原市で生まれた劇作家・評論家。 この本は、かつて教養主義的な香りたっぷりに、真剣に人生とは何かと真正面から問いかけ、悩み苦しんで感受性と思索を鍛え上げて自己を確立していこうとし...続きを読むた若者たちが、思春期の必読本あるいは青春のバイブルみたいな感じで読んできた、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』や山本有三の『路傍の石』、阿部次郎の『三太郎の日記』などの系譜に連なる重要な著作だったのですが、教養や自己の確立よりも功利的実利的な価値観の支配する現代では、ほとんど誰も見向きもしない本かもしれません。 一高生の時から西田幾多郎に傾倒したという早熟な彼は、宗教文学のジャンルに新境地を切り開いた人ですが、これは代表作というよりこの本だけで今でも読み継がれているといっても過言ではないと思います。 浄土真宗を創出した親鸞が主人公とで、息子の善鶯生き方に悩む多くの若い人々の心を捉えた本書は,のち各国語に訳され,海外にも数多くの読者を得た.ロマン・ロランのフランス語版への序文を付す.改版.(解説=谷川徹三 注・年譜=鈴木範久) 内容(「BOOK」データベースより) 恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。 --このテキ 「青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ 百三」
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」に有名な悪人正機説(の解釈の一つ)を理解できたような気がする。 キリスト教の価値観を織り交ぜるなどにより、普遍的な作品となっている。
お も し ろ い ! え〜〜なにこれ?出家?弟子?なんか怪しい…とか思いながら読んでちょっとびっくりした 軽い!楽しい!そしておもしろ! 「他力本願」の本来の意味をこの本で知ったんだ…
親鸞を中心に、人々の苦しみと救いを描く。あくまでフィクション。 「知識が殖えても心の眼は明るくならぬでな。」(103頁) 「信心には証拠はありません。証拠を求むるなら信じているのではありません。」(104頁) 「しかし若い時には若い心で生きて行くよりないのだ。若さを振り翳して運命に向うのだよ。...続きを読む」(135頁) 「聖なる恋は他人を愛することによって深くなるようなものでなくてはならない。逢って下さいと恋人がいって来る。自分も飛んでいきたいほどに逢いたい。けれど今日は朋輩が病気で臥ていて自分が看護してやらねばならない時にはどうするか?朋輩をほって置いて夢中になって遇いに行くのが普通の恋だ。その時その朋輩を看護するために逢いたさを忍び、また逢おうといって来た恋人も、では今日来ないで看護してあげて下さいといって、その忍耐と犠牲とによって、自分らの恋はより尊いものになったと思い、後では淋しさに堪えかねて、泣いて恋人のために祈るようならば聖なる恋といってもいい。そのとき逢わなかったことは、恋を薄いものにしないで、かえって強い、たしかなものにするだろう。それが祝福というものだ。」(232頁)
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出家とその弟子
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倉田百三
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