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一人のホームレスとの出会いがエリート神父の生き方を変えた.人を根底から変える力は社会的弱者の中にあり,神の選びは貧しく小さくされた者の側にこそある.釜ケ崎の労働者たちの感性に学び共に過ごした20年の歳月を語る.身をもって生きられた実体験により育まれた,独自の福音書理解による力強い宗教思想がここにある!
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Posted by ブクログ
今多くの人に読まれている聖書が、いかに歪んだ解釈で訳されていること、大国の傲慢な指導者たちが自分たちの利益を増やすために利用していることがよく分かった。今までキリスト教のことを世界一おせっかいで、白人至上主義な宗教だと私はおもっていた。上記の本当の悪人たちのやり方ですれば、そりゃそこに行き着きますよ...続きを読むね。 でも本田神父の聖書の解釈を読めば、本当の聖書が何を伝えたかったのかを知ることができた! 世の中の貧しく小さくされた人たちの本当の願いを聞き入れ、その人たちを尊敬し、願いを叶えるために一緒に闘うこと。それが神の声を聞き、神の国を築く一歩であること。言葉にすると浅く、ただの思い付きみたいに聞こえるけど、真実はそこに本当にあるんやな。 新しい自分になれた気が少しする。
釜ヶ崎で著者に会ったあと、友人から紹介された本。著者はローマ教皇庁で研究を積んだ経験を有するほど優秀な司祭であるが、現在は、釜ヶ崎で神父をしながら、日雇い労働者たちを支援している。釜ヶ崎の人たちを支援していくうちにキリスト教の教えに疑問を抱くようになり、あらためて聖書を原書から研究し直し、新たな解釈...続きを読むを示している。本田神父の論理をすべて理解しているわけではないが、学術的で論理的であり説得力がある。要は、神さまは支援する側にいるのではなく、支援される側にいるのだということ。神父の献身的な活動は素晴らしく、頭が下がった。勉強になる一冊であった。 「アイヘンバーグさんは、芸術家の鋭い目で、いったい神さまはどちらの側にいるんだろう、炊き出しをする側なのか、それともそれを受ける側か、ということを考え、そして表現しています。普通ならボランティアをする側、助けてあげる側、お手伝いする側に、神さまが働いておられる、とイメージしてしまう。しかし、彼は「そうではない。神さまはむしろ、手助けを必要とするまでに、小さくされてしまっている仲間や先輩たちと共に立っておられるんだ」と見抜いたのです」pix 「働いていく中で気付かされたことなのですが、釜ヶ崎で野宿している労働者が望んでいることは、炊き出しや衣料の無料配布などではなく、仕事だったということです」p3 「「おにぎりを持ってきているけど食べませんか」と声をかけました。その労働者は、ぱっと顔を輝かせましたが、膝を抱えたまま手を出さないのです。「いらないのですか」というと、彼はまわりに寝ている5、6人の人たちをあごで指して、「この人らの分もあるんか」というのです。「わし一人やったら食われへん」と。ドヤにも泊まれず、お腹すかして路上に寝ているわけです。私だったら自分だけこっそりもらって食べたなと思いました。で、彼に「うん、あるよ」と言ったら、「おい、飯や飯や」とみんなを起こして、「すまんな」と言って自分も食べたのです」p5 「わたしたちは野宿をしている人たちを見ると、なにか嫌な感じがしますね。昼間っから公園のベンチでゴロゴロしているし、それだけだったらまだ我慢もできるけど酒瓶なんか置いてある。「ようするに怠け者じゃないか」と、つい思ってしまいます。でも、そうではないのです」p5 「ふつう「愛」というと、ギリシア語の「エロス」(家族、夫婦、恋人同士の愛)。友達同士の「愛」は、「フィリア」(友達として好ましく思う気持ち)。隣人への「愛」は、「アガペー」(好きになれない相手かもしれない、でも大切にしなさいといった、聖書に出てくる「愛」」p9 「(福音の価値観)助けてあげなければ、介護してあげなければ、と思うその人こそ、人を生かすことができる。ボランチィアをする側の人たちよりまちがいなく神の力を伝えるパワーを持っている。だから、このことを真剣に受け止めて、尊敬の心を込めて関わらせてもらったときに、そのように関わらせてもらうことによって、こちらにもその力を分けてもらえる」p34 「分かち合いとか、ほどこしをよいことと思うのは、ゆとりのある人たちの発想なのです」p67 「(受け取る側の立つ背がない)とにかく生きるしかなく、アルミ缶やダンボール集めでわずかでも収入を得て、歯をくいしばって頑張って生きている時に、ほどこしだ、分かち合いだと言わんばかりのクリスチャンの姿勢は、かろうじて保ってきたプライドを踏みにじり、芯張り棒をカラーンと外されたみたいになるのです。そこまできちんと押さえないといけません」p68 「それぞれが自分の社会的な場を活かして、職場や家庭、持っている技術や能力や人材を使って、彼らの思いに連帯しつつ協力を惜しまないことです」p193 「(大事だと言っている)「はらわたをつき動かされる」痛みの共感は、「あわれみ」とはちがいます。「あわれみ」は、こちら側の優位性、安全性が前提になっていることが多く、しばしば軽蔑の思いがひそんでいるものです。路上生活をよぎなくされている人を見て「あわれ」に思う人は少なくありませんが、なかなか行動に結びつきません。何かしたとしても、「ほどこし」のようになってしまいます。「あわれみ」は目にしている苦しみに同情するにとどまり、「痛みの共感」は苦しみの原因を取り除く行動に向かわせる、といえそうです」p196 「私たちは貧しく小さくされている人たちから「学ぶ」必要を感じるようになります。その必要を感じるようになったら、もうだいじょうぶ。私たちのあゆみは正しい方向に向いています」p219 「私たちが貧しく小さくされている人たちから学ばなければいけないというのは、彼らが個人として私たちよりも優秀で模範的だからではなく、抑圧され貧しくされるとはどういうことかを、誰よりも知っているからであり、そこから解放されるために、まず何をどうすべきかを、自分のこととしてわかっているからです」p225 「(釜ヶ崎における転職のハードル3つ)「住民票」(ドヤでは取れない)、「身元保証人」、「給料の後払い」」p237
神は貧しく小さくされた者と共にある。キリストも大工ではなく、早死にするとされた石工の息子であり、大酒飲みと罵られた貧しく小さくされた者だった。だから、キリストが病人、寡婦、孤児と接するときは上から下への謙虚な姿勢ではなく、同じ目線、より低みに立って彼らを尊重しているという。キリスト教者はこの点を勘違...続きを読むいしていることが多いが、金持ちが貧者に施しをするのが偉いわけではなく、貧者にこそ学ばなければならない。 この本は情報や知識の伝達という意味ではほぼ上記内容の繰り返しが多いのだが。これは説教であり、行動の変容、社会運動への参加を促しているものと考えれば納得できる。
のっけから、わたしはフリをしてるだけだった、という筆者の告白が続く。 うん。宗教者(信徒含む)ってホントに信じてるのか、信仰してるフリをしてるのか、よくわからないことがある。 それでも、わたしには何人か信頼できる宗教者はいて(その中には不可知なものを肚の底から信じてる人もいれば、そうでない人もいる...続きを読む)、そういう人に出会えてわたしはラッキーやな〜、とは思ってる。 そこに、この人の名前も入れてもいいかも(もし、ご本人にお会いする機会があったら、の話だけど)、と思わせる本。フランチェスコに影響されたわたしとしてはフランシスコ会の方だというのもツボ。 (余談だけど、南直哉さんが若い頃クリスチャンになろうとして、当時心酔してた神父さんだか牧師さんに「信仰というのは人を信じることではない。神を信じること」とバッサリ切って捨てられたというハナシもかなり印象的だった。) この人は徹頭徹尾 神と聖書(広く定着している聖書協会の和訳ではなく原典)を信じていて、現実の中でそれを解釈し信仰を深めていく。というより確信を持っていく。というか、それまでの信仰を改めていく(ただこの人の聖書の読み方は正しくないとねちこくブログで検証している人もいることを後から知った)。 ともかく、「利他」とは何なのか、深く考えざるを得ないところに追い込まれます。善良な人は読まないほうがいいと思う。
キリスト者向けかな。 ただ、内部的には批判もあったことでしょう。 ここまで、イエスを貶めることを経会員は良しとしたでしょうか。 でも・・・・言われていることはもっともなこと。そして正当なこと。なかなかわかってはもらえないでしょうが。
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釜ケ崎と福音 神は貧しく小さくされた者と共に
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本田哲郎
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