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暗黙のうちに男性主体で語られてきた歴史は,女性史研究の長年の歩みと「ジェンダー」概念がもたらした認識転換によって,根本的に見直されている.史学史を振り返りつつ,家族・身体・政治・福祉・労働・戦争・植民地といったフィールドで女性史とジェンダー史が歴史の見方をいかに刷新してきたかを論じる,総合的入門書.
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Posted by ブクログ
どちらかと言うと《「フェミニズム」寄りのジェンダー論》と思い手に取った。しかし違った。《ジェンダー史》という存在と意味を改めて考えさせられるキッカケになったと思う。 『正邪の判断はこの中には無い』 この本は自律している。何かに加担することなく冷静に方法論を考え、可能な調査結果を分析とその信頼性をも...続きを読む加味して思考を進めていく。少し“定性的“な感じもしたが、致し方ないのだろう。 主にドイツのジェンダー史を見ながら、日本のジェンダー史を辿って行く。 引き込まれたのは 第7章 身体 第9章 労働 第10章 植民地・戦争・レイシズム ここいら辺りを読むと『ジェンダー史』というのはその時々の社会が作り出すもの。固定化されて現在にそのまま至るものも多いけれど。 二項対立的な性差へ考え方は、男女問わず、どちらの側からも築かれたのだということが分かる。 男性の都合の良いように作られた。というイメージが強かったが、一概にそうとは言えないようだ。 自分にとっては目から鱗な部分の多い本でした。
新書ということもあって平易で簡潔に書かれていて読みやすい。内容は女性史やジェンダー史の勃興から歴史叙述との関係、家族史や身体史や労働史、他には近代家族論、社会構築論、ポスコロなんかが扱われている。ほとんどの章で日本やアジアのことについての記述が含まれていて、読んでいて沸いた「日本やその他の地域ではど...続きを読むうなんだろう」といったような疑問にはある程度は応答してくれていて快適だった。 ジェンダー史は全く知らんので記述の確度は分からないけど、姫岡さんは全くの門外漢のぼくでも知ってるような方なので信頼できるとは思う
ジェンダー史の基本について学べるだけでなく、戦争、福祉、労働とジェンダーについても学べる。 「日本での第二次世界大戦中の女性事務職の急激な拡大は、戦後、女性に「特別な配慮を要する存在」というあらたな意味を与えることによって、「花嫁修業としてのOL」、「判断事務=男性」「作業事務=女性」という事務職...続きを読むの性別職務分離を準備した。」(214p) この部分とか、性役割の形成と戦争についての説明がうまくなされていると思った。 強いていうなら、日本とヨーロッパ以外の国のジェンダー史についても知りたかった。
ジェンダー初学者としては、目からウロコの内容だった。特に、第5講「家族を歴史化する」、第6講「近代社会の編成基盤としてのジェンダー」は、視点の変更を迫られるものだった。 以下の点は、本書で特に衝撃的に受け止めた点として概略をメモしておく。 ・ルソー、エミール、服従は女性の自然の状態、夫に従いつつ...続きを読むましく家庭を守る妻の像を描いた。 ・カント、人間の理性による自由な決定が不可能として身分制を批判、それができる成熟状態に達せられるのは男性だけで、女性は一人前でない「未成熟状態」の存在と考えた。これは「自然の性差」であると考えられた。それを後押ししたのは、17世紀の科学革命の台頭だった。近代科学、解剖学による身体的な差異に意味を付与。 ・フランス革命。女性も参加。1792年の共和制の樹立後、女性の選挙権、政治参加を否定。その能力に欠けるという理由。 フランス革命は、男性の公領域、女性は私領域という公私二元的ジェンダー秩序を基盤として近代市民社会が形成されていく、その出発点ともなった。 ・ドイツ、フィヒテ。夫婦関係における男女の愛の形の本質的な相違をベースに、妻の愛が夫に献身するもそであるのに対して、夫の愛は妻の献身に自然の寛大さで応えるものだとし、これにより夫婦の人格的一体化が成り立つと考えた。
「ジェンダー史」の成立までと、それが明らかにしてきたものを10章に分けて説いている。 実は本書を読む前、ちょっと誤解していて、ジェンダー研究の歴史のかと思っていた。 が、そうではなく、歴史学の中で、ジェンダーがどのように主題化していくのかということだった。 ならば、どうして「ジェンダー史学」とか「...続きを読むジェンダー歴史学」という言い方ではないんだろう? 「ジェンダー史」という言い方が、歴史学業界では普通なのかなあ? 前半4章は、歴史学の研究の流れが紹介され、この整理はとても分かりやすかった。 ジェンダー史は、第一波フェミニズム、第二波を経て、生まれた。 第一波では、これまで歴史学が顧みてこなかった女性を歴史学の対象とする「女性史」が成立し、第二波フェミニズムの時には、既存の歴史学が男性に偏向したものだと批判する「新しい女性史」が成立する。 しかし、いずれも女性という周縁的な内容を扱ったもので、既存の歴史学の幅を広げたもの、として済まされることになる。 そこでジェンダー史が現れる。 知と権力の関係の中で、どのように性差が意味付けられ、どんなメカニズムで社会の中に組み込まれ、はたらいていくのかを分析するもの(主にJ.スコットとその影響にある人たちの立場)だ。 つまり、社会構造を作り出す力として、ジェンダーを捉える。 ジェンダー史とは、その歴史的過程を跡付けていく学問ということのようだった。 著者はドイツ近現代の労働史を専門としてきた人というだけに、本書の中にある、「生産領域だけに注目する」だけでなく、家との連関を考えないと労働の全貌は把握できない、という指摘は説得力がある。 たしかに、労働や生産は、経済の問題となり、それは従来の歴史学でも主要テーマであったはずだ。 ある時期まで女性の姿がその領域に見えないのは、近代家族が成り立っていくのとセットで、女性が補助的な労働を担うものという役割が成り立っていったからであり、女性が労働に関わっていなかったわけではない。 これがごっそり「見えない」存在になっていたとすれば…と思うと、そら恐ろしい気持ちになる。 後半はジェンダー歴史学が明らかにしたものが取り上げられていく。 筆頭は家と家族。次に身体と性、福祉、労働、植民地、レイシズム、戦争と続く。 この辺りは、それぞれ1冊以上の本になっても不思議でない、問題が山積する領域。 (最後の章は、なんか突然終わってしまった感もある。) 権力機構の中で、女性が、社会的地位などにより、被害者にも加害者にもなるという錯綜が見られる。 単純なものが好まれる雰囲気も感じられる昨今だが、こういう社会の複雑さに向き合えるか。 読み終わってから、考えてしまった。
読んでいる途中だけど、第4章の記述の中で、歴史を考える上で、「正史」という見解はもはや成り立たず、ジェンダー史もある見方としての歴史の一つなのだ、という指摘は心に留めておく必要があると思った。 ジェンダー史だけでなく、障害者の観点から捉えた歴史とか、民族や移民の観点からとらえた歴史とか、多様な歴史の...続きを読む見方があるということを改めて気付かされる。 これまでの歴史の叙述から埋もれてしまった歴史を掘り起こし人々の歴史認識をズラすことに貢献してくれるのが、上記の新たな歴史学なのだろう。 だけど、できれば依拠した出典の明記の仕方がもう少しわかりやすいほうがいいなと思った。例えば、「〜〜(〇〇 2024)。」とか「〇〇(2024)によると、〜〜。」みたいな感じで。
長かった~。でも久しぶりに「勉強の本だ!」と思った。歴史学の文法。 女性の地位向上、と一口にいっても時代によってその論理は異なるのだ。 中世以前は近代的家族観とは全く違った意味合いだったんだね。子宮は男性器の裏返しってウケる。そういうこともすべて、科学者がひとつひとつ解明していったことなのだ。
ジェンダーとはなんだろう。 本書は女性史について10個のポイントを挙げて解説する。 自分自身がイメージしていたものが歴史的に見るとある種思い込みであったことに気づかせてくれた。 例えば、一言で「フェミニズム」といっても母性主義に則ったもの(日本では平塚らいてうなどが代表)であったり、 ウーマンリブ...続きを読むに否定的であったりと、決して一枚岩ではないことは興味深い。 また、かつて私が学んだ歴史教科書においては、女性が入っていようがいまいが、人々は一緒くたに「個人」「民衆」との記載であった。その上で女性参政権は〇〇年、などの注釈だったと記憶している。 しかし現在の歴史総合ではジェンダー配慮記載になっているとのことで、改めて勉強をしたいと感じた次第である。 意外だったのは第9講の「労働」である。 女性の労働というと、『女工哀史』に代表されるような受身的存在の犠牲者、という印象が強かった。 (「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」と言って亡くなった女工のイメージあるいはインパクトが強い) しかし実際は時間管理改善など抵抗の側面もあり、必ずしも可哀想で搾取されてばかりだったわけではないようだ。 とはいえ、繊維工業では、男性が親方、職人としてアイデンティティを保っていたのに対し、女性は普及品の作成、良き嫁としてのあくまで一技能という位置付けに置かれていたことは変わらぬ現実としてあることも忘れてはならない。 第10講は本書の中で最も興味深い。 端的にいえば女性は必ずしも戦争中の被害者としての側面のみにあらずということ。 著者の専門とするドイツ社会、第二次大戦中は自ら戦争に協力をしていた女性たちの存在も指摘する(当然日本でもだ)。 男性独裁だけではない負の側面もまた見つめる必要があるだろう。 一方で、戦争中の性暴力はプロパガンダでもある。 この国は女を守れない国、弱い国であるというアピールができるからだ。 今なお続く紛争を思い、女性や子供のために何かできないかといつも考えている。 社会を考える上で、男対女ではなく、フラットに見つめることは大切な要素だ。 それぞれの言葉を丁寧に読み解くこと、結論ありきで研究をしないこと、その難しさと必要性を感じる本であった。
★★★ 読めてよかった この本では、主に元来の「男性の視点のみ」から語られてきた歴史を批判して登場した女性史の成立・女性の権利の歴史などを追っていくものだ。例えばルネサンスは従来の歴史では芸術の復興などとポジティブな見方をされているが、女性の視点から、特に富裕層の女性からすると、恋愛・結婚の自由を...続きを読む取り上げられた、『不幸な』歴史だった。 意外性はあり、また現代のジェンダー観は近代以降に急速に作られたものだったという指摘は大変興味深い。しかし一方で、女性史は女性視点での資料があまり残っていないために推論で語られやすいという特徴も見受けられた。この点を解消できなければ筆者の、女性史はもっと重視されるべきという主張には賛同できないと思った。
第7講「身体」だけめくってみるけど不安になる。デューデン先生やラカー先生そんなに権威みたいに扱って大丈夫なんだろうか。ていうか、あちこち出典なしで断定的な表現で書かれているのでよろしくないと思う。
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