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日本最古の歴史書『古事記』には数々の解けない謎がある。『日本書紀』と合わせて、どちらも天武天皇の勅命による編纂というが、なぜ同じ政権が“2つの歴史書”を必要としたのか? なぜ『古事記』の記述は新羅に好意的で、『日本書紀』は百済を贔屓とする外交方針の違いがあるのか?本書は、天武天皇が政権を掌握した“壬申の乱”を通じて『古事記』が語ろうとしない7世紀の謎に挑む。「『古事記』は天武系、『日本書紀』は天智系の歴史書だった?」「壬申の乱と天武天皇を讃える『古事記』」「朝鮮半島の争乱に振り回された倭国」「なぜ大海人皇子の人気は高かったのか」「反動勢力だった中大兄皇子と中臣鎌足」「衰えていなかった蘇我氏」「唐を棄て新羅をとった天武天皇」「蘇我入鹿殺しの主犯は秦河勝である」など、くすぶり続ける『古事記』偽書説や、『古事記』編纂に見え隠れする渡来系の豪族の影など、気鋭の歴史作家が大胆な発想で真実に迫る!
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日本と朝鮮半島は位置的に非常に近いから、古い時代から人の往来が多かった。航海技術の歴史が日本に於いて登場し始めるのは遣隋使、遣唐使辺りからである。遣隋使は飛鳥時代の600年から614年にかけて、推古天皇や聖徳太子が当時の中国の王朝である隋に派遣した公式の使節団である。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で、日本の立場を中国と同等に置いたフレーズは有名であるが、大陸および朝鮮半島との歴史的な交わりはこの辺りから顕著になる。その頃の朝鮮半島と言えば、高句麗、百済、新羅の3国が覇権を争う「三国時代」であり、日本の朝鮮半島との外交はこの百済と新羅に対して目まぐるしく展開されていく。朝鮮半島から見れば海の向こうである日本が、いずれの味方をするかで、国の命運が決まりかねない状態となる。優勢な高句麗は大陸中国からの進出を重装騎兵を用いた騎馬戦術で撃退する強力な勢力であったが、一方の百済は頻繁に国家滅亡の危機に瀕し、日本へ逃れる者も多くあった。
日本史によく出てくる大陸からの優れた文明、技術の流入は、こうした百済人などからも多く伝えられ、日本の国力の増加に寄与してきた。新羅からも同様に政争に敗れた貴族や民衆が日本に逃れてきている。これらの人々は日本の各地にコロニーを築きながら徐々に定着していくが、時の天皇により重用されるなど、徐々に政治舞台にも登場し始める。近年、秦氏に関する書籍などを多く見かけるが、秦氏は聖徳太子の時代以降、政治に大きく影響を与える事となる朝鮮系の一族である。
古代日本史を紐解く鍵となるのは「古事記」および「日本書紀」であるが、この二つの書籍は、前者が親新羅、後者が新百済という別々の立場をとる。また前者が民間の伝承を元に編纂されたものであり、後者は正式な国の歴史として編纂されたものである。この二つの書物の立場の違いや、前述した朝鮮半島の歴史を合わせて、日本史の真実に迫ろうとするのが本書の内容である。歴史の研究者によって謎解きが続けられる日本の歴史であるが(一時期は聖徳太子ですら、架空の人物と言われた時期もあったが)、当時の資料が乏しいだけに、あらゆる文献から文字を拾い上げ、想像を駆使しながら仮説をいくつも立てて立証していく。歴史の面白さはまさにこのはっきりとした答えがない中で、どの様に物語を紡ぎあげていくかであり、本書もその一つである。
歴史は時に、その時代の権力者の正当性を確立するために使われる。前の時代を否定し、自らの正当性を主張する。易姓革命が主の中国ではよくある話だと思っていたが、万世一系の日本の天皇家についても同じである。そこから余計な思惑を排除し、真実を突き止めようとする歴史家たちの努力の凄さや執念を感じた一冊である。
Posted by ブクログ
なぜ、ほぼ同じ時期に『古事記』(712)と『日本書紀』(720)というふたつの歴史書を必要としたのか。しかも『古事記』は新羅に好意的で、『日本書紀』は百済に好意的(反新羅)である。中国の歴史書は多くの場合、新王朝が前王朝を倒した正統性を明らかにするために記されていることを考えれば、当時の日本では、2つの王朝が争っていたと推測できる。
当時(7世紀中頃)の朝鮮半島情勢を見てみると、新羅、高句麗、百済が鼎立した三国時代。もともと、新羅、百済などから日本への移住者はおり、政権争いもあった(乙巳の変)。さらに、唐が新羅を支援して百済を攻撃し、百済が滅亡する(660年)あたりから、百済の遺民が大量に日本に入ってくる。
百済滅亡を機に663年、朝鮮半島の白村江で、日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦争が起き、日本は大敗し、唐・新羅に対する防衛強化が必要となる。このような外交政策の中で672年に生じたのが、壬申の乱である。天智天皇亡き後の天智天皇の弟(大海人皇子)と息子(大友皇子)の争いとされているが、663年の白村江の戦の延長線上で考えるべきであろう。つまり、天智天皇は舒明天皇と皇極女帝の間の子(百済系)であり、その息子である大友皇子(弘文天皇)は百済系である。しかし弟である大海人皇子(天武天皇)は蘇我系の高向王(壬申の乱の立役者)と皇極天皇の間の子(異父兄弟)であり、新羅系ということだ(p.144)。つまり壬申の乱は、新羅と百済の戦いが背景にある。勝って即位したのが新羅系の天武天皇である。
ふたつの歴史書がある理由について、『日本書紀』は、百済の王子である中臣鎌足を始祖とする藤原氏が、改革派である蘇我氏を排斥する一方、蘇我氏の功績を聖徳太子という架空の人物の功績にすり替えることで、一方的に蘇我氏(新羅系渡来人)を悪者にする立場で記されたものであるとする。一方『古事記』は、親新羅の天武天皇の勅命によるものであるが、その妻であり次の天皇である持統天皇以降が実は、百済寄りの政権であったため、『日本書紀』が正史として編集されることとなった。その一方、『古事記』は、新羅系の秦氏によって、その奉祭する神統譜を『古事記』に加条することによって、新羅系渡来人の正統性を訴えるために執筆された、とする。
この「2つの歴史書」の問題を当時の朝鮮半島情勢や渡来人と密接に絡めて検討をしている点には面白味を感じる。著者の推理により結論付けている点が多いのは確かであるが、資料万能主義に囚われた歴史観は、歴史上の勝者による一方的で独善的なものになりかねない。従って、隣国の動きや人間の情も入れつつ、批判的に見て、推理することも必要だと思うし、面白く分かり易い歴史観が提示されていると捉えてよい思う。
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