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その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。(解説・柳澤桂子)
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Posted by ブクログ
理不尽、暴力が非日常的で興味深い。そして、同時に仏教(曹洞宗)の持つ厳格なまでの戒律がなぜ生まれたのか。なぜ今も続いているのか。 現代の感覚で言えば、体罰、つまり暴力による組織の統制は許されないものだろう。しかし、至る経緯、歴史、背景、想像を働かせ、相手の気持に立ってみる。 人間の多様性は、こういっ...続きを読むたものを必要としてきたのだろう。なければ、ふるい落とされてしまう人々が居たのだろう。 現代の快適な生活からは想像ができない過酷な世界を知れる。
永平寺に行く前に読んで、想像して、 実際、現地を観たら雲水の生活がわかった気がした。 とても面白い本。
永平寺の生活が描かれている本。 雲水さんに話を聞いていも、この本に 書かれていることはそのまんま永平寺だと言ってた。
日常であった社会生活に疲れ出家を決める。 その先は曹洞宗本山永平寺。 この本を読んでますます永平寺に行ってみたくなった。
過酷でストイックな修行僧の実話。2年前父から読めと言われて読みました。極限に追い詰められた人間の本性が見事に描ききれてました
筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。 先日、永平寺に行って献茶式に出席し、そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかがわかったような気がする。 永平寺での修行は、朝起きてから夜寝る...続きを読むまで、すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない。「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の立場を心得、自己を捨てそれぞれの役割に徹することによって永平寺が存在している。 そこには、個人の感情などさしはさむ余地はない。必要最低限のものだけにそぎ落とされた物欲、 法堂での、「水盤に揺らめく水のように大きく静かに波打つ」あの読経も、 とぎれることなく続く、法要の流れも、廊下を足袋はだしで歩いても、ほとんど汚れなかったのも、 雲水さんの修行のなせることだったのだ。 読んだからといって私の生活も、物欲も相変わらずで(おいしいものは食べたいし、靴は欲しいし・・・・)何も変わらないのだけれど、あの冷え切った空間を揺るがしていた読経の声は、忘れないと思う。
筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。 頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。 先日、永平寺に行って献茶式に出席し、 そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかが わかったような気がする。 永平寺での修行は、朝起きて...続きを読むから夜寝るまで、 すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、 トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない 。 「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、 先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。 すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の立場を心得、自己を捨てそれぞれの役割に徹することによって永平寺が存在している。 そこには、個人の感情などさしはさむ余地はない。 必要最低限のものだけにそぎ落とされた物欲 、 法堂での、 「水盤に揺らめく水のように大きく静かに波打つ」 あの読経も、 とぎれることなく続く、法要の流れも、 廊下を足袋はだしで歩いても、ほとんど汚れなかったのも、 雲水さんの修行のなせることだったのだ。 読んだからといって私の生活も、物欲も相変わらずで (おいしいものは食べたいし、靴は欲しいし・・・・) 何も変わらないのだけれど、 あの冷え切った空間を揺るがしていた読経の声は、 忘れないと思う。
出家して1年間寺で修行した記録。 修行生活自体別世界すぎて興味深かったが、欲望を取り上げられた人々の心の動きから、生きているってどういうことだろうなんて考えたりするのも面白かった。 ただ、言葉が難しいところがあるので、さあ読むぞっていうパワーが必要かも。
初めて物事に目的も方法も無いことの意味を知った。 何かのためにするわけではなく、ただするのである。 ある形になることで、全てを脱ぎ捨て、ただこの一瞬の時にまみえること。
永平寺の修行がこれほどまで激しいものとは想像もしていなかった。 著者の体験から既にかなり年月は経っているけれど、現在も同様に厳しい修行が行われているのだろうか。 「信じる」「救われる」ということは、「理不尽に耐える」ということと表裏一体なのだと感じた。 厳しい修行をされている雲水の方々には敬意しかな...続きを読むい。
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食う寝る坐る 永平寺修行記(新潮文庫)
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野々村馨
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