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Posted by ブクログ
木簡は紙に先立つ記録媒体と考えがちだが,日本では紙と木簡は併用されていた。木簡は一時的な記憶媒体として,通達や上申などに使われた他,荷札としても使われた。このため,書かれた内容にウソがないと見ることができる。木簡は使用後は表面を削り取ることで,再利用できるのが特徴で,木簡だけでなく削りくずも多数見つかっている。使用後の木簡はごみ穴や溝に捨てられ,嫌気的で腐食に耐えやすい環境にあったものが,千数百年の時を経て我々の目の前に現れる。
最古の木簡を特定することは困難にしても,天武天皇の頃から多用されるようになった。この本では,主に天武,持統天皇の時代の京,飛鳥浄御原宮や藤原京の遺跡から出土した木簡が取り上げられている。幅3 cm足らず,長さ最大〜30 cmの木片の表裏に書かれた墨字は読めない部分も多く,字数も多くないにも係わらず,律令国家の現場の状況−庸調の様子−を知ることができる。そして時として,学会の論争に終止符を打つような発見もあるから面白い。木簡を通して,当時の大陸の関係は,朝鮮との係わりが深かったことも見て取れるようだ。いずれにしても,わずか十数字に書かれた情報から広がる世界の面白さを知った。
Posted by ブクログ
まず口絵に木簡のカラー写真が載っている。これが木簡だと視覚的に了解出来る。暦木簡、墨画木簡、戯画木簡、天皇木簡、漢詩木簡、万葉歌木簡、音義木簡…この本には写真、地図、系図などが豊富で、絵本好きの私としてはたまらない。満足な造りだ。博物館などで木簡や土馬などの実物を何度も見た経験はあった。
日本人として恥ずかしいことに古代の日本人が書いていた木簡が読めない。真似して書くことも出来ない。古代はもちろん近世の古文書や現代の書も読めない。読めないから辞書も引けない。
そんな自分にとって木簡初体験と言えるぐらい近しいものに感じられるようになった。
読めないから遠い、から、少し近しい気分にさせてくれたのは、さすがホンマもんの専門家だと著者に脱帽。
Posted by ブクログ
飛鳥で発掘されている木簡から判明した日本古代史における最新知見を新書にて学べます。主に本書の該当年代は7世紀半ばのいわゆる「大化の改新」から8世紀初頭の大宝律令制定直後まで。木簡は壬申の乱後の天武期に飛躍的に多く発掘されているとのことです。
この時代の日本側史料としては政治的意図がこめられた「日本書紀」「続日本紀」がどうしても中心となってしまうため、膨大な量の木簡に書かれた文字を解きほぐすことによって、新たな発見や補強が可能となるということでとても興味がありました。
そもそも木簡はその特性上、下級官人による一時記録やタグの扱いがほとんどで、何度も削り再利用されるものとのことで、最後に大量に捨てられたものが発掘されてくるようです。別用途に再利用されることも多く、再利用の結果、籌木(クソベラ)になっているものも少なからずあるとは驚きです。発掘で出てきても触りたくないなあ。(笑)
本書では、それら木簡の文字を復元することで浮かび上がる、王宮の場所や配置、交通・輸送や官人勤務の実相、生産工房や飛鳥寺の活動、大宝令制定後の実態など、様々な切り口でこの時代の政治・経済・文化空間を再現してくれて興味深かったです。
だが、本書の醍醐味はそうした細かい様相の再現だけではなく、東アジアにおける政治の大きなダイナミズムとともに、旧来の論争の行方も示唆しているところでしょう。乙巳の変後の「改新の詔」に疑問を呈することになった「郡評論争」が、天智期には「国-評-五十戸」の行政区分ができていた可能性があり大化の改新の再評価に向かっているとは面白い。また、藤原京が天武末期から造成され始めたという話も興味深いですが、百済滅亡後に新羅と親交を深め、そして、その後の唐への接近という政治・外交方針の転換が、親朝鮮半島路線から新中国路線へ変更である平城京造成・大宝律令制定などに代表される変革であったという話はとても面白かった。藤原京は中国式都城を造成するには不向きな土地だったのですね。701年は大宝律令制定、遣唐使任命、そして翌年に持統の死去という古代史における大転換の時代であったということがよくわかりました。
木簡発掘作業には興味があるのですが、「あとがき」を読むと作業自体は大変そうだなあ。お疲れ様です。(笑)
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