無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
すごく良かった。
私も彼女と同じ、学校に通えてなくて、うつになり始めた18歳の頃にこの本を読み始めて、読み終えた今では19歳になってしまったけど、依然としてうつ病で、リストカット癖があって、精神科に通ってて、文章を読んだり日記を書いたりするインターネットと夜更かしが大好きなサブカル系の女の子だ。
彼女はそこにいた。まるで友達みたいに。
読み始めたときは彼女の自傷と自嘲がとにかく悲しくて、なんて痛々しいんだろうと思って胸が苦しかったけど、合間合間に挟まれるユニークな言い回しと普通の女の子の日常にそれらの毒々しさが飲み込まれていってスルスル読んでしまう、過激ながらも楽しい文章だった。
本筋とは関係ないが、病院の処方のガバさとか未成年の精神的な病に対するアプローチの確立されてなさとかインターネットのアングラでディープな感じとか、90年代の空気感が素敵で、完全なる未知の世界を生の視点から見られて面白くもあった。
そんな簡単に酒も飲めたのかよ!?そんなに薬を処方しちゃうのかよ!?父親の分の薬を娘に渡すのかよ!?彼女はこんなにひどい状態なのに、もっと強力な介入はできないのかよ!
などなど。
おまけに未成年がこんな文章を書いてることを特集して記事でインターネット・アイドルなんかにしてしまう大人たち!どこまでも無責任だ。お前らがそれは、ダメだろう。痛みや悲しみを他人が、それも大人が子供の言い分にホイホイ乗っかってエンタメとして消費して拡散なんて、恥ずべき行為だよ。
おおらかっつーか、雑で野蛮な時代だったんだなと思いました。空気感、エモいがヤバいな。
そんなわけあるかい!それアリなんか!?の連続だった。
しかしそんなことを思いながら、そのうち、私は、いつの間にか友達みたいにくすくす笑いながら彼女の文章を読んでいた。
友達同士だからこそ、素直に心配されるより酷い現状を不謹慎に笑い飛ばしてもらいたいことがたくさんあって、私の身にもたくさんあって、そんな同世代の友達(インターネットでも、現実でも)の不謹慎さと刹那的な笑いに私は救われていたんだ。彼女の文章は、まさにそういうものだった。
傷の舐め合いというよりは、リスカ跡を見せ合って「お前やべーな」「やってんなぁ!」って笑い合うみたいな、無言の仲間意識みたいな。
どん底でゲラゲラ笑いながら一緒にトリップしてくれるみたいな。
道徳的じゃないけど、それもまた唯一無二の友達のスタイルだ。私はそれを思い出さずにいられなかった。
だから、その方が彼女にも私にもいいと思って、楽しく読んだ。途中から完全に友達の日記を読むような気持ちだった。
電車の中でこの本を読みながらついクスクス笑って、ふと車窓に目線を移して、「あー私が好きなあの曲、この子も好きだろうな。聴かせたかったな」とか「カラオケ一緒に行ったら絶対くたばるまで歌うのに」とか「休み時間に先生の悪口言って盛り上がりたいな」とか、私が生まれた25年も前に生まれた彼女のことをマブみたいに感じてた。
それは彼女の痛みと私の痛みがきっと同じだから。そして彼女が読者にそう思わせる文才を持っていたから。そんな彼女が書いてくれたから。
苦しみながらも表現することをやめないでいてくれたから。
読み終えた今は、私の心の中に友達が一人増えたみたいな気持ちになっている。
何かあると彼女のことを思い出す。
確かにそこにいる。
彼女が生きて、書いてくれて良かった。
だって私たちが会えたから。
そんな気持ちにさせられる文章だった。
タラタラ読んでいたら、私はいつの間にか彼女より年上になってしまった。
彼女はすごく頑張っていた。腕が象みたいな異形になるほど切るなんて、素人の注射で瀉血なんて、心臓が弱るほどの自傷行為だなんて、聞いたこともない。本人もはっきりと理由がわからないまま、文字通り血をダラダラ流しながらも懸命に楽しくやっていた。
だから私も。彼女があんなに頑張っていたんだから私も。あと少しくらいは、と思った。
19歳になったことのない南条あやちゃんに教えてあげたい。大学なんて大したところじゃなかったよ、そんなことよりカラオケ行こうよ、機種は絶対JOYSOUNDで!って言いたい。
本を読んでこんな気持ちになるのは初めてだ。
悲しいのにあったかい。出会って、そして、別れて終わる。不思議な日記だった。
南条あやちゃん、会ってみたかったな!大好きだよ!
Posted by ブクログ
私のことを
私が消えて
私のことを思い出す人は
何人いるのだろう
数えてみた
…
問題は人数じゃなくて
思い出す深さ
そんなことも分からない
私は莫迦
鈍い痛みが
身体中を駆け巡る (P.15)
怖いのです。何にもなれない自分が、情けなくて申し訳なくて五体満足の身体を持て余していて、どうしようもない存在だということに気付いて存在価値が分からなくなりました。ー所属する何かがないと、私はダメになってしまうようです。(P.298)
手首を切ったり、薬を飲んで自分を保っていたあやさん。それが彼女の生きやすさであり、ステータスであったのかもしれない。誰かに見捨てられる、見放されることに恐怖を感じ、自分では自分の頑張り、心を労わってあげられない。学校をサボったり、用事に遅れたりしているけれど、心の奥底は真面目な人なのかなと思った。彼女が死のうとして生きているのは偶然だったのか、必然だったのか。彼女の性格からして、早死や自殺は避けられなかったのかなとも思ってしまった。この世を去ることで、自分という存在を記憶の中の存在にする。これが彼女が望んだことだったのかな。不安や自己肯定感皆無に近い時は、私も薬を飲んで死んだように眠りたくなるので、気持ちがわかる気がした。
明るくて悲しい
この本を知った時は私も人生に絶望していました。
今では、厭世主義を気取っていただけだと思うけど、その時は本気。
文章は読みやすいけど、だからこそ率直な表現力が心に響きました。
今でも私の大切なバイブルです。
Posted by ブクログ
3年振りに再読。本を丁寧に読み返すことは意外としてこなかったことなのだけど、今の自分にはどうしても必要な言葉たちだと感じての、再読。
ここにはもう一人の自分がいる。この日記を求める人とは密かにそう思っている人がたくさんいるのではないか。わたしもそうだから。だから、南条あやという女の子の痛みを直に感じる。でも彼女なら心の底できっとこう思ってる。
「誰もわたしのことを理解してくれない。ずっとひとりぼっち」
それが分かるから、彼女の最期を想って胸が苦しい。
香山リカさんの解説が一縷の希望を感じさせて、少しだけ安心できた。
この本が若い人だけでなく色んな方々に読まれるものであってほしい。
Posted by ブクログ
全体的に明るくポップな雰囲気ですが、リストカットや薬に関する記述、将来に対する不安、父親とのやりとり等、思春期を過ごす一人の人間の悩みや葛藤が伝わってきます。4篇の詩は胸を打たれました。
この日記はwebサイトに公開されたので、不特定多数の他者によって知られることになるのだけど、父親は南条さんの死後になって初めて日記の存在を知ることになったというのがなんともいえない。父親は南条さんの見いだした自己表現できる場では他者だった。特定の親しい人だけではなくて、不特定の多数に関心が向かう機会はスマホやsnsが発展した現代ではより深化していると思うので、この日記を読んで色々考えさせられることが多かったです。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。