Posted by ブクログ
2009年10月07日
2009年4月25日 初版弟1刷発行(5月中に増刷決定)
うまく文字にできず、読後ずいぶんたってしまった。
理由は二つ。ひとを食うヒグマの恐ろしさに怯えたことと、作者の文章がうますぎること。
ノンフィクションなのに小説を読むように感じてしまったからだ。
熊は世界では7種いて日本にはツキノワグマと...続きを読むヒグマ。ヒグマのほうが大きくて獰猛。
ディズニーの黄色いクマのプーさんは7種にはいっていない。
タイトルの「羆」はヒグマと読む。
吉村昭氏に「熊撃ち」という同タイトルのノンフィクションがあるので、あえて羆(ひぐま)という漢字を使ったのかもしれない。北海道のクマはヒグマだから、羆撃ちなのかもしれない。kumauchi とルビがふってあるので、クマ撃ちと読んでいいのだろう。
現在62歳になる著者の羆専門のハンターになろうとする20代ころから30代前半まで。
猟犬フチとの出会いからフチとの猟フチの死までが全編を通してつい昨日のことのように生き生きと描写されている。
作者は、時に母熊を撃つ非情なハンターである。非情なる理由は人を襲う熊だから。
羆のテリトリーに侵入した人間が悪いのかもしれないが、羆が獣であることを忘れてはいけないと教える。
こういうノンフィクションは初めの20ページがおもしろいだけであとはな〜んだが多いが、これは、逆である。初めは動物愛護教会からクレームがくるだろうな〜とか、女の私が好き好んでこういう本を読んでいるなんて人はなんておもうだろうかとか。フチがでてくるあたりから現実のすごさに動揺しながらも、自分とはかけはなれた、生き方を選んで生きている姿に魅かれてゆく。
フチは小柄なアイヌ犬のメス。
猟犬にはオスが良いとされているが、作者はタフだが放浪癖とむら気のあるオスを嫌い、子育てをする情と忍耐強さのあるメスを選んだ。生後2ヶ月から厳しくかつ愛情をかけて育てる。
フチに、撃った羆のうまい内臓を分け与えて食べさせ、羆を捕らえる喜びを体に覚えさせる。
山奥で猟中にはぐれてもフチを置き去りにして帰る。たとえ羆の餌食になろうとも自分で帰ってこれないような犬なら猟犬にはなれない。
フチという名は、アイヌ語で火の女神を意味する言葉なのだが、フチと決定する理由がすごいリアリティである。
場所は北海道の山の中。猟期は冬。解体した熊や鹿の心臓を雪の上におくと、凍ってしまう寒さなのだ。
寒く震えた唇でも「フチ」と発音できるからだという。凍えた唇では、ポチやタマとは言えない。
ためしに薄く口を開いて口を動かさずにフチといってみてほしい。
フチは、羆を見つけ、作者が追いつくまで、羆をその場にとどめておく役だ。
羆に噛み付いてはいけないし、自分がやっつけられてはいけない。
羆に逃げられたらもっといけない。山奥の道のないような茂みや崖で、羆の周りを走り周り、逃げ道をなくしながら、忍耐強く作者が追いつくのを待つ。作者が追いつく気配で、より一層激しくほえる。羆を鳴き声でまどわし、猟師が近づいていることに気づせないためにだ。賢い犬だ。
フチは、老いて腫瘍ができやがてひとりで静かに死んでいく。
この本は、フチという犬との感動の人生物語だ。
50年ほど前まで、作者の周りの日本の熊は生きた鮭を食べる習慣はなかったという。
飛び跳ねるサケやマスをくわえた熊を撮りたい写真家が餌付けし、生きたサケを食べるのが熊の文化となったのだという。