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Posted by ブクログ
読みどころはブリンマー・カレッジ時代の津田梅子。彼女のほかの伝記と大きく違うのはこの点だ。
1891年、25歳のトーマス・H・モーガンは、ブリンマーに生物学の准教授として赴任した(彼は、その後ショウジョウバエや染色体地図の研究で偉業をなしとげ、1933年ノーベル生理学医学賞を受賞する)。それまで生物学の基礎を学んでいた梅子は、彼の指導のもとで卒業研究をおこなった。ふたりの共同研究(カエルの卵の軸定位についての発生学的研究)は、イギリスの学術誌Quarterly Journal of Microscopical Scienceに掲載された。ちなみに、梅子はモーガンの2歳年上だった。
多くの人が思うのは、もし梅子がアメリカに残って、研究の道に進んでいたら、おそらくは……。でも、アメリカに留まっていたら、津田塾は影も形もないことになる。日本にとって、とても大きな損失になっていたはずだ。
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