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米中間の半導体摩擦が起き、現在も需給が逼迫するなど、世界で半導体の重要性が格段に高まっている。半導体をめぐる国際競争の現状はどうなっているのか。日本の半導体に未来はあるのか。日本半導体産業のパイオニアである著者が、かつて世界を制した日本の家電産業を支えていた半導体の急速な発展の歴史と、日本の半導体産業の盛衰をたどり、現在の日本の持つ強みと弱みを分析。我が国の命運を握る半導体産業の復活の道筋を明快に提示し、官民連携での開発体制を提唱する。
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Posted by ブクログ
日本の半導体が世界シェア50%から10%に落ち込み、今後0%すら予測される状態において、いかに復活するかについての本。 著者は1990年代に既にデジタルノマドワーカーを想定した講演を行っていた。 かつて日本が高シェアを誇っていた半導体産業を凋落させたのは、主にアメリカからの圧力と、日本製品が強かっ...続きを読むたアナログ商品から日本が世界シェアをとれなかったデジタル商品への転換、それにともなう半導体産業の垂直統合型から水平分業型への転換に対応できなかったことなどにあった。 現在は、日本内外で日本製スマホなどの完成品の需要がないため、日本製半導体デバイスの需要も生まれないという関係にある。 一方、川上の半導体材料と半導体製造装置は日本が高い世界シェアを持つ。 半導体は、過去に日米、日韓、米中の貿易問題が起こっているが、アメリカや中国、韓国に比べ、日本のトップは半導体への関心が薄いと指摘している。 スマホやデジタルデバイスで遅れをとった日本が半導体産業で復権するには、自動運転車とロボティクスにおいてシェアを獲得し、その流れに乗ることだと提言している。 自動運転車なついては、著者はアップルカーが新しいクルマの形を示すと予言しているが、スティーブ・ジョブズなきアップルにその能力があるのかは疑問。
半導体の重要性を半導体の歴史を辿りながら解説 著者は日本の半導体の歩みとともに中心部分で仕事をしてきた人であるので真に迫る内容 半導体そのものの知識も得ることができる。 日本にとっての半導体の重要性をよく理解させてくれる。 新しいデジタル時代の始まりに於いて日本が何をせねばならないか、半導体は何に使...続きを読むわれるのか(ロボット=自動運転車を含む)への説得力のある解説
我らが日の丸半導体の「没落の原因」を知るために本書を購入した。 「元日立製作所の専務」である著者・牧本次生氏は、高所から、どのような総括をしておられるだろうか? 先ず「第5章 日本半導体の盛衰」に目を通すと、「何だか様子が違うぞ」とはぐらかされたような気がした。 私はすでに「元日立製作所の技術者」で...続きを読むある湯之上隆氏の本を読んでいたので、つい「湯之上本」の傾向の内容を期待してしまうのである。 よく考えれば、牧本氏は経営幹部、一方の湯之上氏は技術者。 だから、我らが日の丸半導体の「没落の原因」について、お二人の見方や考え方が異なるのは当然である。 私は技術者だったので湯之上氏には馴染みやすいが、牧本氏のような強面の経営幹部はずっと敬遠してきた。 つまり私は経営幹部がもつ大局的な見方や考え方に疎く、最近、それを負い目に感じるようになった。 そういう反省に立って本書を読むと、やはり、それなりに啓発されることが多い。 牧本氏は「第5章 日本半導体の盛衰」の「4 日米半導体協定の締結」で、次のように述べる(要旨): <1980年代になって勢いを増した日本の半導体は、1986年に米国のシェアを逆転してしまった。そこには二つの大きな要因があった。一つはDRAMで世界トップのシェアを取ったこと、もう一つは日本の国内市場が世界最大(1986年時点で約四割)であり、その中で日本企業は九割以上のシェアを取っていたのだ。平たく言えば、日本半導体業界のドル箱はDRAMと国内市場の二つだった。この「二つのドル箱」が半導体協定のターゲットになって、直撃を受けることになった。 このような状況の中で、1985年になるとDRAMの需給バランスの崩れから価格の暴落が起り、世界中のDRAMメーカーが苦境に立たされた。米国のSIAは通商法301条に基づいてUSTR(米国通商代表部)に日本製品をダンピング容疑で提訴した。 続いてDRAMメーカーのマイクロンは商務省に日本の64キロDRAMをダンピング容疑で提訴した。これらの相次ぐ訴訟を契機として日米双方の政府が協議を開始し、一年間の交渉の結果、1986年9月に締結されたのが「Ⓐ マーケットアクセスの改善」と「Ⓑ ダンピング防止」の条項を含む日米半導体協定だ。> <半導体協定が締結されてからほぼ半年が経過した1987年3月、日本にとって衝撃的な事態が起った。「日本は日米協定を守っておらず、日本市場における海外製品のシェア向上に目に見える成果がない」ということを理由に、米国は通商法301条に基づく制裁を行うと発表した。 問題を解決して制裁の解除を求めるべく、中曽根首相が渡米してレーガン大統領とのトップ会談に臨んだが、米側の返事は冷たいものであり、会談は物別れとなった。 この突然の301条発令とトップ会談の決裂とは、日本政府と民間企業に対して米国の怒りの大きさを強く知らしめ、日本はすっかり委縮してしまった。これは一種のトラウマとなって長く尾を引いたように思われる。> 著者の「日本が米国の強い怒りに委縮し、それがトラウマとなって長く尾を引いた」という指摘は説得力がある。 日本の政・財・官の上層部は、「米国の強い怒り」に接して、日本が「米国の植民地のような存在」であることを思い知ったようだ。 宗主国の意に染まなければ、ドカンとタタキ潰されるのである。 場合によっては「命」に関わることもあるようだ。 「日米半導体摩擦」は単なる独立国間のビジネスの問題ではなく、「植民地 vs. 宗主国」という「政治問題」の形相を露わにしたのである。 「日米安保条約」を命よりも大事に思っている日本は、大袈裟だが、命が縮むような思いがしたのだろう。 米国のご機嫌を直したい日本は、我らが日の丸半導体の活動にブレーキを掛けたとしても無理はない。 そういう意味では、我らが日の丸半導体の没落の原因は、単に経営幹部の能力の低さだけの問題ではないと言えよう。 さらに牧本氏はこう述べる(要旨): <「日本市場における海外製品シェアを20%にする」という「数値目標」は市場を動かす大きな力になった。協定開始の1986年の海外製品シェアは8%程度だったが、協定の最終年の1996年には約28%となり、シェアのシフトは20ポイントとなった。> <当然ながら10年間のシェアシフトがすべて半導体協定によるものとは言えず、自然増の分も含まれている。1996年交渉時の米国側は、半導体協定がシェアシフトに大きな力になったことを認めていた。この条項によって、既存の欧米企業はもとよりであるが、DRAMに参入したばかりの韓国メーカーにとってはまさに「漁夫の利」であった。DRAMは互換性の高い標準品であり、日本のユーザーからは、海外製品比率向上の手段として歓迎されたのだ。> <「ダンピング防止」条項によって日本の各企業はFMV(Fair Market Value、公正市場価格)に基づいて売価の設定を行なわなければならず、値付けの自由度は完全に失われた。このことが、欧米や韓国のメーカーにとっては競争上、極めて有利に働いた。 日米半導体協定のシェア・モニタリングとFMV制度の両面からの締め付けで日本のDRAM事業は大きなダメージを受けた。 日本のシェアは協定の前年に80%に迫る勢いであったが、協定の年を境にして急速に下落していった。協定終了の1996年には40%のシェアでかろうじてトップをキープしたが、韓国の追い上げは激しく、技術面での優位性も失われた。 1996年に日米半導体協定は終了したが、この年からメモリ業界は強烈な不況に見舞われた。DRAM事業は大きな打撃を受け、日本の総合電機各社はDRAMへの意欲を失い、これを切り離すか撤退する方向に舵を切った。その最初の動きが日立とNECのDRAM部門を統合したエルピーダの誕生(1999年)であり、後に三菱のDRAMも合流したが、その他のメーカーはDRAM事業から撤退した(東芝、富士通、沖電気、松下電子、日鉄セミコンなど)。この過程で日本のDRAMシェアは激減し、2000年代初頭には4%まで落ち込んだ。エルピーダのみとなった日本のシェアは2009年に16%まで盛り返したが、2012年には急激な円高の影響などで経営破綻となり、ついに日本からDRAMメーカーが消えた。> 「日米半導体協定のシェア・モニタリングとFMV制度の両面からの締め付け」に苦しめられたという日本のDRAMメーカーに同情します。 しかし、エルピーダの経営破綻の原因は、「急激な円高の影響など」というよりは、湯之上氏が指摘している通り、高コスト体質改善の努力を怠った経営にあると思われる。 また、「韓国メーカーにとってはまさに「漁夫の利」であった」ということは、実情は「米国が韓国に「漁夫の利」を与えた」という説がある。 つまり、米国が日本の半導体産業を必要としなくなったようである。 だとすれば、我らが日の丸半導体の発展は、初めの頃は米国側からの期待や援助があったからと考えられる。 決して、日本民族単独の努力の成せる業というわけではないようである。 結局、米国が許容する範囲でしか、日本は活動できないのだろう。 韓国も同じであり、今は、たまたま米国の追い風を受けているのだろう。 最後に、津田建二氏の『知らなきゃヤバイ!半導体、この成長産業を手放すな』(日刊工業新聞社、2010年)から的確で愉快な指摘を紹介したい(編集あり): <「日本没落の原因は、結局、経営判断ミス」 これらの水平分業や、さまざまなビジネスモデルの模索には、日本の半導体メーカーはほとんど登場しない。いまだに昔からの垂直統合型の半導体ビジネスにしがみついているからだ。 前半で、日本の半導体が没落した原因を、時代の変化に適切に対応しなかった経営陣と親会社の経営陣のまずさと表現したが、具体的に次の9つの要素が考えられる。 ① 90年代後半では投資すべきタイミングに投資しなかったこと ② 経営判断が出来ておらず、常に横並びに国内他社の様子しか見なかったこと ③ いつまでもコストの高いメインフレーム向けのDRAMを作り続けたこと ④ 主力製品をシステムLSIへと切り替えたのにも拘らず、DRAM並の微細化投資を続けたこと ⑤ 低コストで製品を作る技術を馬鹿にして本気で取り組まなかったこと ⑥ 顧客の声を聞かずに作っていたこと ⑦ エンジニアの方がマーケティング担当者、営業担当より立場が上という目線 ⑧ 経営陣は自分の首をかけて社員の心をまとめることをしなかったこと ⑨ グローバルな動きを無視したこと > これらは、日本民族の美点である「大和魂」の裏側に付いているディメリットではないですか。 「日本半導体の復権」のためには、日本民族の「魂」叩き直す大事業が必要になりそうだ。 お終い
積読していた一冊。半導体の将来というより、過去半導体市場を日本が勝った経緯を知る上で有益な一冊だと思った。
ハーバード大学修士、東大博士、史上最年少の32歳で日立製作所の部長職に就き「出る杭」と呼ばれた著者。半導体の歌まで作り、本書で紹介する程、少し変わった人という印象。後半は自らの半導体半生を振り返りながらも、戦略上いかに半導体が重要かを説く。尖った人材。しかし、だからこそユニークな生き様という気がする...続きを読む。 トランプ政権の発足以来、米中半導体摩擦が激しくなった。中国は世界最大の半導体消費国であるが、国内で生産する事は限定的であり、大半を輸入に依存。国産比率を上げるために政府が巨額の資金を投入していることにアメリカは警戒を強めており、安全保障上の懸念となる主要企業をエンティティーリストに入れて制裁を加えた。これによ、ファーウェイのスマホ事業は失速。また、20年末頃から、地政学的リスクが顕在化し、自動車向け半導体の調達が不安定化。 本書で面白いなと感じたのは、こうしたエポックメイキング的な史実よりもサイドストーリー。例えば、2021年テスラが人型のロボットを開発すると発表。テスラボットと名付けられたロボットの高さは172センチ重さ57キロ。あるいは、1997年の『デジタル遊牧民』という書が、半導体の進化によりポケットサイズの万能端末、リモートワーク、リモート講義などを予言。極め付けは、学天則の話。生物学者で元・北海道帝国大学教授の西村真琴が作った“人造人間”で東洋初のロボット。 学天則で検索すると、奇妙なロボットの写真が見つかる。1928年の話だ。不思議な時代の匂いを感じ、まるで古いアルバムを開くよう。変わった人からは、変わった物の見方を学ぶ。
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