銀座を代表する顔の1つに上げられるのが、シャンプーの「TSUBAKI」などで有名な資生堂が浮かんでくる。あの資生堂の歴史と初代社長の福原信三(1883-1948)に注目した著者が、博士学位論文をもとにしたのが今回の本。
意外だと思ったのが、最初から銀座にあったのではなく、創業から半世紀あまり「
...続きを読む東京新橋資生堂」として知られていたことだ。それと同時に福原信三は、写真が趣味で日本の写真史に残る有名人で、都市計画や景観保護運動にも力を入れていたことなど一経営者の枠を超えた活躍をしていた人物であったことなど興味深い点がある。
資生堂といえば、パーラーが浮かんでくる。1900年のパリ万博に信三の父有信は、視察に行った。パリに行く途中で寄ったニューヨークのドラッグストアで、ソーダ水が売られていたことに驚き、帰国後機械のみならず、材料に至るまでアメリカから取り寄せた。1902年に資生堂でソーダ水の発売を始めたと著書に載っている。そういえばモクモク羊は一度も行ったことがない。銀座が似合うダンディーな男ではないからなあ。とは言っても生きている間に一度ぐらいはパーラーに行ってスイーツを買って食べたいと思う。
日本の西洋化の波に乗って、化粧品販売、パーラーやギャラリーの運営をして資生堂の銀座におけるブランド力を高めた。その進取に富む企業精神が今でも受け継がれているからこそ、資生堂のブランドが色あせることがないのが分かる。あの虎屋も伝統に新しさを加えて進化(あるいは深化)を遂げているのが良い例だ。
最近は、中国をはじめとするアジア市場に力を入れているとニュースで流れていた。この先、資生堂がどう変化していくのか見るのが楽しみだ。