まだこんな事を考える年齢ではないのかもしれないけど、私は時々自分の最期を考える。
誰に看取られ、誰に支えられ、どんな最期を送るのだろう。
けど、どんな最期であれ、大好きな人に見守られて逝きたいと思う。
このお話は本当のお話です。
高度成長期、縫製一筋に生きてきた私は小さな工場を経営し
...続きを読む、苦しくも充実した日々を送っていた。
長引く不況、膨れ上がる借金。万策尽きた時、妻のガンを知る。
「これからは名前で呼んで」呟く妻、なけなしの50万円、古ぼけたワゴン。二人きりの最後の旅が始まった。
このお話の中の私は、結局妻を病院に連れて行かなかった―。
正しくは連れて行けなかった…
「病院は嫌。オッサン(私の事を妻はそう読んでいた)と一緒におれるだけでいいの。」
そんな妻の言葉があったから。
放浪に出て9ヶ月間、私は妻の看病をした。
妻の最期から目をそらしていた私も、妻の苦悩を知り、逃げずに向き合った。
そして、二人はいつも一緒だった。
妻が最期に望んだコト。
それは自分の愛する人と一緒にいること。
それだけで良かった。
そして私も、妻を一人にしないと約束した。
妻は古ぼけたワゴンの中で息を引き取った。
私は「保護者遺棄致死」という容疑で警察の取り調べを受けた。
延命だけじゃなくて、"自分が望む最期を選ぶ"
そんなことが言われている今だからこそ、読んで欲しい。
本当の幸せな最期って何なのだろうか。