タイトルと表紙に惹かれて読んでみたが
想像以上に良い本で気がついたら付箋まみれになっていた...
農業の素晴らしさを伝えるというよりは
「農」という広い世界に視野を広げて
「農」にはどんな世界が広がっているのか
かつて百姓はどのように生きてきたか
百姓仕事とよばれるものが何を守ってきて
その価値を現代社会でどのように捉えていくべきか。
農薬、食料自給率、農家の減少など
現代の問題についても鋭く切り込みながら
百姓である著者の視点で語られていく。
〝百姓仕事は、自然も風景も情愛も生産しています。〟
明治以降に作られた「日本農業」という概念と
加速する資本主義社会に対する著者の批判は自分にも
グサグサくるものがあり
おカネになる価値しか「価値」として見ない資本主義社会の歪んだ価値観は自分の中にも根深く潜んでいることに気づかされた。
これだけでもこの本を読む価値があったと思う。
生産量とか作付面積だとか
数値ばかりを農業の価値だと見てきた。
コモン(共有財)という言葉が一般的になり、それらが私たちの生活をどのように支えてきたのか意識され始めてきたが
コモンは必ずしも資源に限らず
そこには百姓仕事とよばれる人間の営みも含まれていたのだった。
大多数の日本人は長らく百姓として生きてきた。
田んぼを守り、田んぼと共に生きて
百姓だけの世界を持っていた。
稲は育てるものではなく、できるもの。
でも、田んぼは百姓が毎年〝つくる〟ものだと
著者は記している。
これが「稲植え」ではなく「田植え」という
言葉の思想だった。
〝「ただの時間」「ただの村」「ただの草」「ただの人生」というようにです。ようするに、とりたてて言うような価値がないものですが、じつはいちばん大切なものです。〟
この本に長田弘さんの詩と同じことが記されていて
とても嬉しかった。
いま思い返してみると
子どもの頃は田んぼのカエルやおたまじゃくしを捕まえて遊んでいたし
小学校で田植え体験をした時の、田んぼの泥のひんやりと滑らかな感触はなぜか今も記憶に残っている。
自分が住んでいる村では田んぼを守る人はほとんどが高齢者で、あと10年も経てばどうなるだろうか。
田んぼを守る人がいなくなったら
村の人たちの生活と風景はどのように変わるのだろうか。
カエルの大合唱は聞こえなくなり
赤トンボは見られなくなるのだろうか。
この本を読んで色々考えてしまう。
厳しいことも書いてあったが
著者の田んぼへの愛情と
百姓仕事に対する敬意と情熱を深く感じる本だった。
新しい価値を見つけたとしても
すぐに利益に結びつけるのではなく
それが私たちの生活とどのような関係にあるのか...
新しく発見したと思い込んでいるだけで
それらは元々あったものなのだ。
未来につなぐべき価値について、静かに考えていきたい。
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