江波戸哲夫著、竹谷仁宏著「ドルがなくなる日」主婦の友新書(2011)
*オーストリアは7月23日セルビアに最後通告をつきつけ、オーストラリア&ハンガリー帝国と切ビアのそれぞれの後ろ盾である、ドイツとロシアとの間に緊張関係が生じた。ロシアと協商関係を結ぶフランスとイギリスは7月末から8月はじめにかけて
...続きを読む国家総動員令をだして臨戦態勢にはいる。これが、ドルが国際通貨になった日の訪れである。気づけば金本位制を維持したのはアメリカとイギリスだけであった。第一次世界大戦を通じて、国際通貨の条件をドルが満たすようになっていた。第一次世界大戦後にポンドに代わって国際通貨としての役割を果たし始めたドルである。その後、金本位体制が崩壊し、第二次世界大戦後には、ブレトンウッズ体制と呼ばれる金ドル本位制に移っていた。
*ブレトンウッズ体制の会議で、ドルのみを金1オンス=35ドルと金に固定させ、ほかの通貨の価値はすべてドルで表示する着んドル本位制に移行することが決まった。さらに通貨の急激な変動を防止するため資金供給をする国際通貨基金IMFが創設された。
*人為的なインフレで戦費をまかなったドイツ。その方法には3つある。1つは、国民の税金負担。2つ目は国民に国債を購入してもらう。これらは一般的に用いられる方法である。3爪は、紙幣を印刷して、財政の赤字に充てる方法である。これは短期的な戦争を想定した考え方であったが実際は4年半かかった。そしてドイツはハイパーインフレへと陥る。
*1997年アジア通貨危機は通貨が投機の対象になった例である。アジアが発生源となって世界に感染を広げていった。国際経済の動向に影響を与えるのが、物からまねーに代わったのだ。
*1998年のロシア通貨危機は国家の倒産である。ロシア通貨危機は国債の売却をきっかけにしている。アジア通貨危機を引きおこしたタイの経済危機は、バブルがはじけて外国資本が逃避したことではじまった。ロシアはこのアジア通貨危機の被害を直接かぶることはなかったが、この影響でロシアの最大の収入源っである原油価格が暴落したのだ。そのため、ロシアは国債の金利払いができなくなるのではないかとの不安が広がった。
*ドル高で貿易赤字がふくれあがる。疲れ果てたアメリカ産業界の保護主義的な動きは85年に最高潮にたっし、対日貿易制限の圧力が加わった。ここでドル高を一気に転換させるために、米/日/西ドイツ/仏/英の5カ国が行った為替介入がプラザ合意である。ドル高をいわば人為的にドル安へと向けたプラザ合意だったが、その後もアメリカの赤字体質は改善しなかった。大量のアメリカ国債を持っている日本はドルの暴落を回避するために、アメリアの財政赤字を埋め続けなければならない。ドルと運命共同の関係になった。