つい先日平昌オリンピックが終わった。メダルを取った選手たちの映像があっちこっちで流れ、それに尾鰭がつくかのように、待ってましたとばかりに各テレビ局が用意した盛り上げストーリーが紹介されていく。
そして総理までが、「国民栄誉賞」云々と言い出している。
私もアスリートが試合後に語るコメントは大好き
...続きを読むで、自分には見えない(領域で)自己と闘っていることは容易に想像できる実績を引っさげての言葉には力がある。でも、彼、彼女らはまだ若い。人生のまだまだ入口に立ったばかり、そんな彼らの長い将来を見据えると、ここからの大変さの方が目に映る。この「国民栄誉賞」は荷が重すぎないか、あるいは、そんなに軽くて良いものなのか?
一方で、我武者羅応援団の応援(相手に向き合う)姿勢は真剣だ。途中「約束」という言葉が出てくるが、相手を応援するというのは、応援する側の信頼度がないと言葉の威力がない。そのために我武者羅応援団は「我らが必死に生きる」ことを約束している。
この約束、言葉の上だけだから地に足が着いてないように思うかもしれないけど、彼等の選ぶ言葉、依頼者に応える応援スタイルは考えに考え抜かれている。そして、それを伝えるための訓練も入念だ。
だから、伝わる。
この本でも、何度もポロリときたけれど、YouTubeで動画を見ると更にポロポロになる。
“熱い”という言葉はカッコワルイという覚めた空気感があちこちに蔓延しているけど、カッコイイ、カッコワルイなんてかとばかり気にしていると、納得や満足、充実というものを自分のなかから感じることを見失ってしまう。金の亡者ならぬ人目の亡者になっちまう。
いろいろ意見はあろうが私は純粋に我武者羅応援団を応援したくてしょうがなくなった。だって私が生きている日々に自分がかけている言葉と同じ世界の言葉を彼らも使っているから。
『自分を信じるかぎり、進み続けることができる。
だから、ビビって足がすくんでも、「WE. ARE BEAUTIFUL」という思いを胸に、震えながらまた一歩踏み出すのです。
それが、僕らが美しいと思う、僕らの生きざまだから。』
話題になってくると我らの信念を見失いがちになるから気を引き締めねばね。