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「澤穂希」の「ジュニア版 夢をかなえる。」「ほまれ なでしこジャパン・エースのあゆみ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「澤穂希」の「ジュニア版 夢をかなえる。」「ほまれ なでしこジャパン・エースのあゆみ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
14歳で代表入りして以来、日本女子サッカー界を牽引してきた澤穂希の選手として人間として、女性アスリートとしての歩みをはじめて自身の文章で語ったものです。
彼女という存在に興味があったので読みました。 正直に申し上げて、僕はサッカーそのものにはあまり興味がありません。「なでしこジャパン」の彼女たちが一躍脚光を浴びた試合も翌朝スポーツニュースを見て結果を知ったぐらいでしたから。しかし、日の丸の旗を身にまとい、フィールドをかける彼女の後姿を写した写真をNumber誌で見て、それで彼女という人間に興味を持ったので、この本を読んでみる事にしました。おそらく、彼女の経歴に関しては僕なんかよりも皆さんのほうが詳しいのかもしれません。
一読して思ったことは、彼女は幼い頃からサッカー一直線で、大学に進学してから学業を取るか?サッカーを取るかという選択肢があったときに、サッカーを選び、若干20歳で単身渡米をし最初は言葉や生活習慣の壁に悩まされながらもグラウンドでのプレーを通して乗り越えていく姿に感銘を受けました。さらに、試合中で後に手術をしなければならなくなるような怪我をしたときにも、選手生命の危機になるような怪我を押して、果敢にフィールドに立ったという話も自分が彼女の立場だったら絶対にたたないだろうな、と思うだけに、彼女のサッカーにかける執念を感じるものでした。
以前、女子サッカーのクラブチームで活躍する16歳の女の子を特集したテレビ番組を見たことがありますが彼女たちのどこかに『私が未来の澤穂希になるんだ!』という思いがあるのかどうかはわかりませんが、彼女の存在が今まであまり日のあたることのなかった『女子プロサッカー』に一筋の光明をもたらしたことはいうまでもないことだと思いますので、これはぜひ、一読をしていただけるとありがたく思います。
Posted by ブクログ
史上初となる2011年度「FIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)」を受賞させた穂希さん。
1978年お米が不作でお米がいっぱい採れますようにとの願いで命名されたそうです。
6歳の時初めて蹴ったサッカーボールがゴールした瞬間がきっかけとなりサッカーの虜になられ、
座右の銘は「夢は見るものではなく叶えるもの」の通りFIFA女子ワールドカップ2011年ドイツ大会優勝を実現された、そんな彼女は、凄いとしか言葉がでない。
勿論、逃げ出したくなるほど苦しい思いをするときも自分で見つけた大好きなことだから、サッカーをやめようと思ったことは一度もない。
とことんやりとおさないと結果は出ないと強気だが、やはり陰で「チャンスの波に乗りなさい」といつもお母様の後押しがあったからこそだとも思わさせてもらった。
監督、コーチをはじめ先輩や後輩や周囲の方々から慕われていた彼女の性格も素敵で、沢山の皆さんからのお言葉からよくわかる。
この人こそ間違いなく日本代表のエースでありアスリートなんだと感動をいっぱい頂いた。
Posted by ブクログ
生まれた年のお米が不作だったため、翌年の豊作を願って穂希という名がついたそうだ。
今年彼女がキャプテンとして成し遂げた偉業は、豊作と同じくらい日本を明るくするものだった。
元々足の力が強い子供で、兄に連れられサッカーを始めたそうだ。
そこからこの女性版キャプテン翼の物語がスタートするわけだが、順風満帆だったわけではない。
女子サッカー不毛の時代に生まれた彼女は男の子と共にプレーをする。
試合中にスパイクを蹴られ、相手の男の子を追いかけ回した。
全国大会にチームが出場したが、女の子ということで大会に出られなかった。
合宿等の時には、チームメートの母親と同じ部屋に寝泊まりして協力を得ていた彼女に、大会事務局は協力することはなかった。
その後12歳でベレーザへ、15歳で日本代表、企業スポーツ衰退の壁が立ちはだかりアメリカへ。
言葉の壁から数ヶ月ホームシックに。
その後アメリカプロリーグで大活躍するもリーグ全体がたち消える。
日本代表では欧米の厚い壁どころかアジアの壁が立ちはだかった。
もうこれだけ日本中がなでしこ騒ぎになっているから知っている人も多いと思うが、彼女はそれらを全て乗り越えて世界一まで日本を導いてくれた。
ワールドカップを優勝したチームメイトは若い頃彼女にあこがれた選手も多く、彼女から勇気と目標をもらった選手たちである。
私はその原動力が、全て彼女の母の一言にあるような気がしてならない。
小学生時代スパイクを蹴られた事件だが、その後の母の言葉がこれだ。
「将来『澤穂希という女の子は、サッカーを続け、こんなふうになりました』と、その男の子に胸を張れるよう、しっかりがんばりなさい」
全てがこの言葉に集約されている気がしてならない。
今なら彼女は堂々とその男の子に胸を張って言えるだろう。
「世界チャンピオンの澤穂希です」と。
私は地下鉄でこの部分を読みながら胸が熱くなった。
もう一つ別の視点で澤選手の成功の秘密を探ると、一つの共通項があることがわかる。
それは、彼女が部活育ちではないこと。
部活を短絡的に否定しているわけじゃなく、彼女は常に自分より上の人たちとプレイする環境に身を置いていたのだ。
小学生の頃は女子チームではなく、普通に男子と争っていた。
ベレーザでは年上の女性たちとプレイした。
アメリカでは、世界のトッププレイヤーと対峙した。
彼女は常に競争が激しい環境に身を置いていたのだ。
それが彼女をあそこまでに成長させたのではないだろうか?
学年や先輩後輩というしばりを受けずに彼女はやってこれたのだ。
ここから言えることはいくつかあると思う。
一つは、やはり試合に出る環境は重要であるということ。
そして自分の実力をのんびり発揮する環境ではなくて、ファイトしなければならないレベルに常に身を置くこと。
この選択肢が大事なのだろう。
今後女子サッカーの競技人口が増えることが予想できるだろう。
しかしそれは一方で試合に出られない人の数が増えることを意味してしまうと、あまりにも逆効果だ。
澤選手は確かに凄い。
男子サッカーで言えばキングカズのような存在だろう。
しかしただただ崇めてしまうのではなくて、参考に出来る部分は冷静に参考にしていく姿勢が女子サッカー界とマスコミを含めたまわりには必要だろう。
さてお祭り騒ぎのマスコミのおかげで、なんだか彼女たちのいらない部分までスポットライトが浴びているところだが、今後競技のことを考えれば、この祭りの後が最も重要である。
そして幸運にもオリンピック予選がすぐそこだ。
話題を持続していくことができるわけだ。
逆に有頂天になってここで躓くと、マスコミはもう相手にはしてくれない。
そんなケースを何度もスポーツファンは目にしているだろう。
長野オリンピックを沸かしたスキーのジャンプ競技について何か最近マスコミは報道しただろうか?
柔道はどうだろうか?
スピードスケートは?
日本のスポーツマスコミは競技を育てる意識はないのである。
だからこそ今回の女王の伝説はこれがクライマックスになってはいけないのだ。
澤選手の背中を見て走った選手は数知れないだろう。
しかしまだまだ走り続けてもらわなければならない。
女子サッカーがこの国に根付くまで。