幼少期から現在に至るまでに、女性の月経や排卵を感知する不思議な感覚を持っている著者。
彼が語る、経験した不思議な世界と、そこから女性の「つきのもの」にまつわることや共感覚を思索している。
内容は女性に関して、古代の男性に対して、さらには和歌に関してなど多岐にわたっているため、若干とりとめのない
...続きを読む印象もあるが、「共感覚」について全般的に面白い記述である。
P37
この(彼のような)性的感覚を持つ男性のほとんどは、おそらくいわゆる知的・言語障害者や自閉症者や(略)アスペルガー症候群であり、いわゆる健常者として社会生活を送っている私のような男性は稀であるという気がする。
P56
私の(女性を目視するだけで、彼女が触ったものが自分も触ったようにかんじる)ミラータッチ共感覚は、女性に向かう場合が九割ほどと圧倒的に多いのだが、他に動植物・自然物(花や石)・人工的物体などに対しても起きる。人間の男性に対して起きることは殆どない。
P96
排卵完治の時に伴う何とも言えない感動や、「現代の倫理上、実際の行動はとれないけれども、今排卵しているこの目の前の女性を妊娠させないと、世界が大変なことになる気がする」という得体のしれない絶望感や悲壮感のようなものは、他の動物のオスなら常に実感しているものだと思って、安心するようにしている。
(卵胞波
著者は排卵の時期だけでなく他の時期にも「ぴょこちゃん(女性の排卵を称する著者の表現)」がみえる時期がある。これにより排卵は28日に必ず一回ではなく、他の時期にもありうる、とする説。
ほかにも交尾排卵に触れている。)
P129
(著者の性欲は一般男性と少し違い)「性欲」というよりは、「性欲と恋愛と生殖が分岐する前の性欲」としか言いようがない気がしている。
P133
装身具だけでなく、タトゥーなど身体加工の意義についても(略)どれが本当かわからない。いくつか挙げると、現代と同じく身体装飾そのものだという説、呪術的行為だという説、身分・職能を示すしるしだという説、苦痛に耐える儀式・訓練だという説、などさまざまで(略)ある。
(排卵感知する著者からすると、これは排卵の感知を攪乱させ、不特定多数の男性から身を守る働きをしている、となる)。
P141
私は、女性の排卵・月経などを感知する自分の感覚を、心理学などで用いられている「共感覚」の概念を用いて「対女性共感覚」と名付けたと書いたけれども、その実感が、「女性の身体と溶け合う感覚」であり、「男・オスにとっての無我の境地」と感じられている以上、それを忠実に表すなら、本当は「親女性共感覚」「溶女性共感覚」となづけたほうがよいことになる。
P145
和歌、特に(男性が女性となって詠む)恋歌は(略)「女性の心で詠む」とは、「女性を解釈する」ことであってはならない。「女性を体験する」ことでなければならない。
特に女性の悲恋を読めることは、男性歌人の価値であり、男性のステータスでもあった。「女性の私たちにも詠めないわ」と女性に思わせるほど女性を詠めていることが、女性の心を動かした。
(和歌を共感覚的に読むのは稲田利徳氏の研究が最初、ほか藤原克己ら)
(性的暴力の被害者、鬱、対人恐怖症の女性の中には)「どこからどこまでが自分の体なのか」時々わからなくなる人さえいる。彼女たちは、「傷ついたのは私の体だけではない、この本(ぬいぐるみ)も私の体の一部で、きっと私の傷をわかってくれるはずだ」と徹底的に信じ、本当に「自分の身体」の領域を(自分が手で持っている)本(やぬいぐるみ)にまで広げさせて、精神的負担を薄める、ということを繰り返している。(コタール症候群の一部???)