比較言語学が専門の著者が98年に出した本の復刊。解説にも書いてあるが、「西洋古典語について『その概略をのぞいてみたいという読者のために書かれたもの』」(pp.273-4)で、「あくまで西洋古典語のしくみを一般読者向けに語ろうとするもので、一般的な文法書、西洋古典語の授業で用いられる教科書などとは趣旨が異なる」(p.274)もの。第1章から3章までは言語の系統や文字について扱い、言語の歴史が分かる部分。第4章からは発音、形態論、統語論など言語そのものの文法について、第8章は韻律、第9章は固有名詞、ということで、解説曰く特に第9章は「エッセイ的な読み物として読むことができる」(p.277)。
風間喜代三と言えば、東大出版の『言語学』という、最もオーソドックス(だとおれが勝手に信じている)な教科書の4人の著者のうちの1人で、おれにとっては本当に久しぶりに読んだ、正統派の言語学の本、という感じだった。ラテン語とか古典ギリシア語とか、大学の選択の授業であったけど、結局それよりは他の授業に興味があって、結局取らずじまいで終わってしまった。で、その後、英語教員としてラテン語とかギリシア語とかの話になると、専ら語源の話なので、正直文法について色々触れたのは初めてだった。ただ、これも解説に書いてあるとおり、「読み物として読めるような配慮は窺え、例文には翻訳や語形等に関する文法的説明も付されるが、やはりまったくの初学舎が通読するには難解であろうと思われる。初学者の場合、何かしらの印欧語系言語の知識を有するか、むしろ内容の理解を進めるために西洋古典語の学習を始める、というのが正解かもしれない。」(p.277)と書いてあり、本当に例文の部分はちんぷんかんぷんだった。It's all Greek to me.って大学時代に古典ギリシア語を勉強してた友人が言ってたけど、本当にその通りだった。だいたいagathos「よい」というギリシア語の形容詞は単数、複数、両数で、男性中性女性名詞で形が異なり、さらに格は5種類あるらしいから、表の中の語形を単純に数えるだけでも45の形がある。絶対無理。動詞だったら、態とか法とかで形が変わって、分詞を作るのだって「ギリシア語は現在・未来・アオリスト・完了の各語幹から、能動態と中動態の分詞をつくっている。そのうえに、未来とアオリストには受動態特有の分詞がある」(p.198)とか。で、3行の例文に対して16行分、日本語の古典だったら「品詞分解」する感じで1語ずつ書いてあるけど、とても読めない。ということだから、ちょっと入門しよう、くらいの人は、そもそも無理な話であるような気がする。英語を教えていて、本当に簡単で単純な語の変化も分かってない生徒を見ていると、この時代に古典語を習得するというのは本当にマニアックな営みなんだろうなと思う。だいたい、著者自身が、巻末の文献案内のところで、『はじめてのラテン語』という中公新書を紹介しながら、「小さいながら形態論、統語論の必要事項は一応揃っているので、あとは退屈なこの言語の文法に読者がどこまで辛抱できるかである。」(p.265-6)って言っちゃってるし。ちなみに「固有名詞も普通名詞と同じ性・数・格による形の変化がある」(p.243)、って面白い。長音記号とか書けないのだけど、例えば「ソクラテス」はSokrates, Sokratous, Sokratei, Sokrate, Sokratesみたいな感じで変化するらしい。古典ギリシア語がこの時代にあったら、おれの名前とか変化させなきゃいけないのか、って思った。
あとは上以外で面白かった部分のメモ。上でも書いてあるように、文法の話に入るまでのところは分かりやすいし面白い。Cがkの音を表す経緯の話で、「実はローマ人は紀元前三世紀の半ばまでには、Cをkとgの双方に当てていた。(略)しかし、これではラテン語にとっていかにも不都合だったから、やがてCに棒を加えたGがつくられて、ラテン語では本来は不要のギリシア字のZの位置、つまりEに続くFの後にいれられた」(pp.46-7)とか、そうか、Cに棒を入れたのがGか、と気づいた。あとギリシア語のアクセントは高低型から、強弱型に移行した(p.72)という話があって、そんな劇的なアクセントの変化って起こるものなのか、とか思った。それから面白い、というかおれにとって新しかったのは、古典語の発音はアルファベットの文字圏ではない日本語話者にとって学びやすく、「幸い我々には綴字に対しての一定の読みの慣習がないから、その点ではより古代人に近く素直に接することができるし、文字を忠実に読むことも容易である。(略)生きていて話されているのならば、このような気ままな発音はとうてい許されないけれども、これらは死語であるからかえって自分の言葉のような気安さで読むことができる」(p.83)って、そうか、そういうことがあるのか、と思った。通じるとか通じないとか、そういう言語じゃないし、という。確かに日本語の古典だって、どう発音していたか分からないけど、そのまま読んでるし。あとは文法が生まれたのがギリシア語だから、今に続く文法用語の起源がここにあって、随所で解説されている。例えば、分詞はギリシア語で「私は分け持っている」という意味の言葉に由来し、「つまり英語の'take part'にひとしいところからもわかるとおり、分詞は名詞(形容詞)であると同時に、動詞の機能をも兼ね備えているという観点からとらえられている」(p.87)とか。あと、英語の月名の由来、って中1教える時にちょっと触れたりしないこともない話題だけど、正直おれがよく分からなかったが、p.96の説明は分かりやすい。5〜10月は、11月と12月の名称が1月と2月に回されて、2か月ずれて、さらにずれた7月を「カエサルは自分の名前にちなんだJuliusに変え、これにならって彼の養子のアウグストゥス帝が8月をAugustusに変えてしまった」(p.96)らしい。なんかこの2人のせいで2か月ずれた、みたいな説明を読んだことがあるけど、そういうことではないらしい。
という感じで、読むには読んだけど、本当に難しい言語なんだな、と思って終わってしまった本。でも本来言語を学ぶというのは、そんなに単純に楽しく分かる、みたいなものではないということだとも思った。(24/10/23)